内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

感情の零度としての自己

2018-02-18 00:00:00 | 哲学

 あらゆる感情が、生命にとって外在的な要因に本質的には拠らず、つねに自己触発的であるとすれば、私たちは、命あるかぎり、一瞬たりとも、けっして無感情ではありえない。
 そのことは、しかし、その多様な感情内容の総和が生ける自己だということを直ちに意味しない。なぜなら、自己がもし多数の感情の加算の結果あるいは多様な感情の時間的展開でしかないとすれば、自己は自己として自己によって把握され得ないからである。
 他方、一切の感情から超越した審級が自己なのでもない。なぜなら、そのような審級は、定義上、やはり自己として自己によって把握され得るものではないからである。
 動いてやまない感情がそこにおいて生成し、それとして受容され、かつそれ自体はいかなる感情によっても左右されることがない「場所」こそが自己と呼ばれるに相応しい。
 とすれば、自己は、あらゆる感情を可能にすると同時にいかなる感情によっても到達不可能な極限であり、その意味で、「感情の零度」として定義されうる。













失われたものへの哀切なる追想 ― 文学的創造の根本動機の一つ

2018-02-17 01:12:08 | 詩歌逍遥

 語られた歴史によっては到達不可能な黙せる過去への哀切なる追想が文学的創造の根本動機の一つなのだと思う。
 万葉の時代の宮廷歌人たちの使命は、その追想に詩的表現を与え、一つの共同体内でその追想を共有させ、永続させることにあったと言えると思う。

近江の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ (III-266)

 『万葉集』を代表する名歌の一首であるこの柿本人麻呂の歌を読むとき、私たちは詩歌の生誕の現場そのものに立ち会うという幸福を恵まれている。
 かつてわずか数年の間とはいえ大陸風の華やかさを謳歌したであろう近江朝廷は、今はもう跡形もない。「夕浪千鳥」という『万葉集』中屈指の美しさを湛える詩語によって一挙に形象化された夕暮れの湖上にその千鳥たちの鳴き声を聞くとき、抑えがたく、心が撓み萎えるように、古のことが痛切に偲ばれてならない。
 千年の時を超えて、同様な心情の内的共鳴を芭蕉の『おくのほそ道』の中の著名な名句のうちにも聴くことができる。

夏草や兵どもが夢の跡












語り得ないことこそ、ほんとうの歴史である

2018-02-16 10:57:17 | 哲学

 太古の昔から無数の人々によって事実生きられてきた沈黙の歴史と、語られそして書かれた歴史とは、どちらも「歴史」という同一語で指示されていたとしても、まったく別物である。
 後者は、前者の後にしか可能にならず、しかも何らかの仕方で前者を裏切ることによってしか成立しない。語られた歴史は、それを語る者の意図にかかわらず、生きられた歴史についての「騙り」でしかありえない。
 こう言ったからといって、語られた歴史は所詮虚構にすぎないといった類の暴言を吐いて、真摯なる歴史家たちの途方もなく膨大な仕事の蓄積に難癖をつけたいのでは毛頭ない。
 言いたいことは、むしろ、真逆である。到達不可能な語り得ぬものへの愛惜あるいは/そして畏敬の念こそが歴史家たちの仕事を最も深いところで動機づけているのだと思う。
 歴史を語り続けること、何度も語り直すこと、それは、本来的には、単なる知的学術的興味から起ることではなく、贖罪的義務感からでもなく、ましてや失われたものへの感情的な執着に由来するものではない。それは、私たちすべてがそこから生まれ、そこへと消えていく沈黙の大海への永劫回帰の運動の、人間によって生きられる一つの形なのだと思う。













きれぎれの感想 ― 反省と愚痴

2018-02-15 22:11:47 | 雑感

 今日の記事は、短い反省とちょっと長めの愚痴(あれぇ、やめるって言ってなかったけぇ?)です。
 まず反省。
 仕事を一人で抱え込んではだめですね。特に、私のように能力のない人間は身の程を知るべきだと思い知らされました。責任感と義務感に囚われて一人でやろうとしても、できないことはできない。独りで無益に足掻くよりも、素直に助力を頼んだほうがいい。同僚たちの忙しさを目の前にして、これ以上負担をかけたくないと、どうしても遠慮してしまうのですが、少なくとも相談はしてみるべきですね。みんな、例外なく、協力的だしね。ありがとう、みんな。
 そして愚痴です。
 上に書いたことの裏返しでもあるのですが、あまりに安易に人にものを頼むのもどうかと思いますね。実は、一昨日、ある一件で、久しぶりに、ほんとうにぶち切れたんです。
 こちらの事情を無視して、あまりにも安易に、そして形式的に、「お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いします」の一言で、あれこれ頼んでくる人が数か月前からいて、これまでできるだけ穏便に対処してきたのですが、あまりも一方的なお願いばかりで、ちょっと度が過ぎるし、言わないと気がつかないんだろうと思って、とうとう切れたんです。
 「ふざけるな! ガキじゃあるまいし、そんな甘ったれた姿勢ならば、そもそも海外生活をしようなどと思うな。自分でやれることはまず自分でやれ。その上でどうしてもこれは無理、ということがあれば頼め。俺はあんたの秘書でも、ましてや召使じゃない!」と、まあ、もちろん、この通りの文言を書いたわけではありませんが、気持ち的にはこんな感じのメールを本人に送りつけたんです。
 そしたら、本人からはすぐに詫びメールが届きましたが、それを読んでも、溜息が出るばかりでした。なんか基本的にものごとがわかってないんですかね。結局、自分のことばかりで、ほんとうはこちらを思いやる気持ちなど欠片もないのだなあってわかる文面だったんですよ。そういう文章しか書けないのでしょうね。文は人なり(もちろんこれは自分に返って来る言葉でもあります)。
 ああ、明日からまた前向きに生きていけるかなあ。












きれぎれの感想 ― 歴史教育と政治について

2018-02-14 23:59:59 | 雑感

 12日月曜日に京大の学生たち9名とこちらの日本学科修士の学生たちの共同ゼミがあり、それに出席して、それぞれの発表について若干のコメントを述べた。
 全体の共通テーマ「国際紛争」に何らかの仕方で関わる問題について、学生たちが準備した発表を聴きながら、私自身いろいろなことを考えさせられたが、その一つは、歴史と教育と政治との関係ということだった。
 歴史の学び方は国によっていろいろと違いがあるとしても、多くの場合、教育課程の中に組み込まれた歴史の授業を通じて私たちは自国ならびに世界の歴史について学び始めるのが一般的だろう。ところが、教育制度の中で教えられる歴史は、その時代の政治と無関係ではありえない。
 国家が教育制度を保証する以上、その内容に国家が介入するのを完全に防ぐことは難しいかも知れない。とりわけ、国家のイメージに直接関わる歴史教育の場合はそのことが問題になりやすい。
 だからこそ、歴史教育で大切なのは、視点・視角が変わると、「同じ出来事」の見え方も変わってしまうという自明なはずのことを特に具体的に示すことであろうと私は考える。
 それゆえ、自分の講義の試験問題では、必ずどの視点から事柄を見ているのかを示さなくてはならない出題をする。誰のものでもない視点から見た「客観的な」歴史など存在しないことを自覚してほしいからである。













辞書を読む愉しみ ― 引用例からの始まる思索の散歩

2018-02-13 23:59:59 | 読游摘録

 フランス語の辞書で一番よく使うのは Le Grand Robert のオンライン版だ。オンライン版のよさは、毎年48ユーロ払うだけでつねに自動更新され、つねに最新の改訂版が使えることだ。
 特に、用例検索が便利。単語レベルではなく、表現レベルで辞書の本文全体に簡単に検索をかけることができる。その検索機能も数年前に比べて改善されている。以前は、検索をかけても、用例が出てくる項目のリストはすぐに出てきても、それぞれの項目の中で当該の用例が出てくる箇所は自分で探さなければならなかった。項目が短い場合は問題ないが、長い項目だと、用例を見つけるのに時間がかかり、すこしいらいらすることもあった。何年か前から、用例が出てくる各項目をクリックするだけで、自動的に用例箇所に移動してくれるようになった。
 ある著作家の引用箇所もたちどころにリストを呼び出せる。先日、transcender の用例を調べていて、用例の一つとしてアンドレ・マルローの Les Voix du silence の一節が挙げられていたので、ついでにマルローからの引用例が同辞書にどれくらいあるか検索したら、なんと938箇所もヒットした。同じ引用文が複数の項目に挙げられていることもあるから、引用箇所の実数はいくら下がるだろうが、それにしても多い。
 引用例には、当該の単語を含んだ文あるいは文節だけではなく、前後数文も一緒に引用されていることも多く、それらを読むだけでいろいろと考えさせられたり、引用文献を読んでみたくなったりもする。上記のマルローからの引用もその一つ。

Quelque lié qu'il soit à la civilisation où il naît, l'art la déborde souvent — la transcende peut-être… — comme s'il faisait appel à des pouvoirs qu'elle ignore, à une inaccessible totalité de l'homme.

 同項目のもう一つの引用例は、理論物理学者ルイ・ド・ブロイ(Louis de Broglie, 1892-1987)の Physique et microphysique (1947) から。

La Vie nous apparaît sous des aspects opposés : tantôt, elle semble se réduire à un ensemble de processus physico-chimique, tantôt elle paraît s'affirmer comme caractérisée par un dynamisme évolutif qui transcende la physico-chimie.

 この本、その出版当時の現代物理学の認識論的枠組みの理解に関して、若きシモンドンに決定的な影響を与えた本である。今でも古書で安く手に入る。
 このブロイからの引用例もかなり多く、全部で125箇所ある。そういえば、西田幾多郎は、ブロイの『物質と光』(Matière et lumière, Paris Albin Michel, coll. « Sciences d'aujourd'hui », 1937)の次の箇所(p. 303)を好んで引用している。

« Les couleurs existent-elles dans la lumière blanche avant la traversée du prisme qui va la décomposer ? » Oui, dirons-nous, elle existe... mais seulement comme existe une possibilité avant l’évènement qui va nous faire savoir si elle est effectivement réalisée.

 この箇所の西田による言及をめぐっての「謎」については、2016年2月29日の記事で話題にしているので、ご興味があれば参照されたし(いつもそうしているように、日付をクリックすると当該記事が別のウインドウで開きます)。












「演劇」としての研究発表、その演出、そして舞台稽古

2018-02-12 00:00:00 | 雑感

 フランス語の発表原稿を作成するときは、準備ノートも原稿自体も最初からフランス語で書くことは、過去に何度かこのブログの記事でも話題にした。
 それは、日本語を介在させずにいきなりフランス語で考えるためであり、そのほうが原稿作成に時間がかからないからでもある。もちろん、引用する文献に日本語で書かれたものがあれば、それを仏訳する際には二言語間での思考の往還が要請される。しかし、その場合でも、いかにフランス語に「落とし込む」かという方向に注意は傾く。
 とはいえ、フランス語のそれぞれの言葉の色合いが直感できるほどフランス語に熟達しているわけではない。どこまでいっても、フランス語は、私にとって、外国語というより、その微妙な真意を本当には感じ取れない異言語のままだ。これはもうどうしようもない。
 同意語あるいは類義語を概念的には識別できても、それらの間の微妙な使い分けは私の貧しい仏語能力では感覚の次元にまで降りてこない。これまでの豊かとはいえない言語経験から帰納的に推論し、蓋然的な帰結を得るだけで精一杯だ。辞書は、引いてもこちらの探している答えが見つからないことが多いので、確認あるいは参考程度にしか使わない。
 だから、文法的には大きな誤りがななく、一応意が通っている仏語は書けるが、言葉の組み合わせの適切さに関してはまったく自信がない。当然、論文集として出版される最終原稿は必ずネイティヴにチェックしてもらう。しかし、知り合いで信頼できる有能なフランス人たちは皆忙しいから、発表原稿のようないくらか長い文章のチェックは気軽には頼めない。
 最近は、口頭発表原稿はもう事前には誰にも見てもらわない。その必要がないほど完璧な文章が書けるようになったからではもちろんない。単に、チェックを誰かにお願いする時間的余裕をもって原稿を仕上げられないだけのことである。それに、少しくらいおかしなフランス語だろうが、聞いてわかればいいじゃん、と、開き直る図々しさも身についた(自慢できることではないが)。
 学科のフランス人の同僚たちは皆きわめて優れた日本語の使い手たちだが、厳密に言えば、その日本語はやはり完璧ではない。それでも彼らは日本語で立派に研究発表したり講演したりしているのである。私のフランス語はそれには劣るとしても、まあ許してちょうだいよ、と言えるレベルにはあると思う。完璧主義は外国語運用に際して障害にしかならないと思う。
 普段、フランス語で授業していて、学生たちから先生のフランス語はわからんという苦情は受けたことがないし(って、思ってても本人に言うわけないか)、試験答案を採点していて、私の説明をちゃんと理解して書いてくれていることが確認できる場合も多いし、過去に何人かの学生から直々に「お褒めの言葉」を賜ったこともあるから、まあそうデタラメなフランス語は使っているわけではないとは言えると思う。
 というわけで、3月の発表原稿も、もちろん自分なりには推敲を重ねたが、ネイティヴチェックなしで、昨日午後、学会責任者である同僚に送信した。締切りに遅れること11日。けっして褒められた話ではないが、とにかく先月末は仕事が立て込み、原稿どころではなかった。もちろん、事前に事情は説明して了解はとってあったし、自身学科長経験者であるその同僚も私の現在の立場をよく理解してくれている。それに、実のところは、この程度の遅れであれば学会の準備に支障を来すこともないようである。
 これから来月21日の発表までまだ一月以上ある。原稿を少し「寝かせた」後、さらに推敲を重ねていくつもりである。発表のテーマが『万葉集』の多声部からなる一歌群の演劇的構造の分析であることはすでに過去の記事で述べたが、今回、国際演劇学会での発表ということもあり、発表の展開そのものにも演劇的構造をもたせてある。だから、推敲といっても、それは単に発表原稿の文章を彫琢することではなく、発表の「演出」と「舞台稽古」もその過程には含まれている。













個的存在の孤独感を突き抜けて、海洋における太古からの律動との共振へ ― 『万葉集』と源実朝(承前)

2018-02-11 14:24:15 | 詩歌逍遥

 今日の記事では、昨日の記事で予告したとおり、小川靖彦『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(角川選書、2014年)第五章「「道理」によって『万葉集』を解読した仙覚―中世における『万葉集』」の第二節「源実朝の『万葉集』」に依拠しつつ、『万葉集』巻第四の「笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌二十四首」中の一首、

伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波 畏き人に 恋ひ渡るかも

と、実朝の傑作、

大海の 磯もとどろに 寄する波 われて砕けて 裂けて散るかも

との関係について考えてみたい。
 笠女郎の歌では、上三句は「畏き」を起こすための序詞。高い家柄の家持を、近寄りがたい“畏れ多い人”と言い、その“畏れ多さ”を具体的に表現するために、伊勢の海の磯も轟々と鳴り響くほどに寄せる波のイメージを用いている。
 笠女郎は、序詞として、眼前の情景ではなく、奈良にいながら伊勢の海を詠んだ。なぜか。それは、小川靖彦によれば、家持の“畏れ多さ”を表すのには、ありきたりの情景では不十分で、「皇祖神を祀る伊勢神宮が鎮座し、「神風の伊勢」と称えられた伊勢の海に波が打ち寄せる、霊威ある、最も畏怖を感じる情景でなくてはならない」と笠女郎が考えたからである。
 笠女郎の歌の上三句をほぼそのまま利用して「大海の磯もとどろに寄する波」としたとき、実朝は、その情景の「畏さ」を十分に意識していた。そして、昨日の記事で見たように、下二句の表現においても万葉歌に学びつつ、動詞を四つ重ねるという独創的な発想によって、「海の霊威の発動するさまを力強く描いた」(小川前掲書)。
 この実朝歌は、「二所詣」の歌を集めた一連の中に配置されている。「二所」は、頼朝以来、鎌倉幕府が最も崇敬してきた関東の鎮護神である伊豆山権現(伊豆山神社)と箱根権現(箱根神社)を指す。この一連には、神威を称える歌や、統治者としての意識が濃厚に表れた歌が見られる。このような作歌姿勢には、神の加護を祈り、国土の繁栄を賛美した古代帝王の巡幸を思わせるものがある。

実朝は、伊勢の海の情景に匹敵するような、二所の神威の表れた伊豆の海の情景を、畏敬の心をもって歌い上げたのです。その風景の壮大さは、国土を賛美する王者としての意識が生み出したものです。実朝にとって『万葉集』は〈古代〉的世界を顕現させるものでした。(小川前掲書)

 この歌は、小林秀雄以来、実朝の孤独感や憂悶を表現した歌として読まれるのが通り相場になってしまっている。確かに、『万葉集』における「われて砕けて」は、昨日読んだ万葉歌からも明らかなように、本来恋の物思いによって心が千々に砕けることを表すものであった。だから、孤独感や憂悶のような個的感情をこの歌に読み取ることはあながち間違いとは言えないだろう。
 しかし、万葉歌の感情表現に学び、記紀・万葉の時代の古代的王者の挙措に倣って壮大な風景を詠み上げたこの歌は、実朝の個的存在としての孤独感を突き抜けて、海洋における太古からの律動と共振する詩的表現たりえていると言えるのではないであろうか。












言葉の命の蘇りとしての詩的表現 ― 『万葉集』と源実朝

2018-02-10 23:59:59 | 詩歌逍遥

 万葉集の全歌読了計画は順調に進んでいて、すでに3066首読み終えた。残り1450首である。今日読んだ十首のうちの一首は巻第十二・2894。

聞きしより 物を思へば 我が胸は 割れて砕けて 利心もなし

【原文】従聞 物乎念者 我胸者 破而摧而 鋒心無

 結句の「利心」は「とごころ」と読み、「するどい心、しっかりした心。たしかな心」(『岩波古語辞典』補訂版)の意。歌意は、「その人のことを噂にきいてから憧れてずっと物思いに沈んでいるので、私の胸は破れてこなごなになって、生きた心地もない」(伊藤博『萬葉集釋注』、集英社文庫)、「あなたのことを聞いた時から物思いをしているので、私の胸は割れて砕けて正気もない」(新版『万葉集(三)』(岩波文庫)。
 この歌を読まれて、実朝のあまりにも著名な名歌、

大海の 磯もとどろに 寄する波 われてくだけて 裂けて散るかも

を直ちに思い浮かべられた方も少なくないであろう。
 実際、岩波文庫の新版『万葉集(三)』の上掲歌の注には、源実朝は、この万葉歌にならって詠んだとの指摘がある。『釋注』には、実朝歌についての言及はなく、万葉集中の類句を二つ挙げるのみ(XI-2716、XII-2878)。
 岩波古典文学大系版『山家集・金槐和歌集』の上掲実朝歌の頭注には、巻第四の「笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌二十四首中の次の一首(600)を挙げ、実朝がそれに学んだとの指摘がある。

伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波 畏き人に 恋ひわたるかも

 歌意は、「伊勢の海の磯をとどろかしてうち寄せる波、その波のように恐れ多いお方に私は恋い続けているのです」(伊藤博『釋注』)。
 この笠女郎の歌と実朝歌との関係については、小川靖彦『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(角川選書、2014年)第五章「二 源実朝の『万葉集』」にきわめて示唆的な注解がある。これについては明日の記事で取り上げる。
 万葉歌をこよなく愛した実朝のことであるから、上掲万葉歌二首両方から学んで作歌したことは間違いない。しかし、これはいわゆる本歌取りとしての見事な成功例ということに尽きるものではなく、ましてや単なる形式的模倣ではない。
 吉本隆明は、『源実朝』(ちくま文庫、1990年)の中で、「べつに実朝の歌は、力強いから『万葉』調なのでもなく、『万葉』を模倣したから『万葉』詩人なのでもない。実朝のある種の秀歌が、〈和歌〉形式の古形を保存しているから『万葉』の影響があるというべきなのだ。」(174頁)と指摘している。
 確かに、万葉の古形が実朝において、「複製」されているのではなく、「再生」されていると見るべきだろう。〈和歌〉の古形に込められていた言葉の命が数百年の時を超えて新たな詩的表現のうちに蘇っているのだ。











願いを叶えてくれた学生たちへの感謝の言葉

2018-02-09 14:34:49 | 講義の余白から

 昨日の朝、学部二年生の一人から、1月の試験の答案を私のオフィスアワーのときに見せてほしいとのメールが届いた。学生たちにとってのこれは権利なので、もちろんすぐに承諾の返信をする。その女子学生は、とても優秀で、授業中もっとも熱心にノートを取っている模範的な学生の一人で、いい質問もよくする。当然、古代文学史も古代史もとてもいい答案だった。
 その学生が来るのを待ちながら、採点済みの彼女の答案をあらためて読み直していた。私が授業中に注解した歌ではなく、人麻呂の歌あるいは『人麻呂歌集』から自分で気に入った五首を選び、それらに対して自分の感性に基づいてとても繊細なコメントをつけていて、それはこちらが感心するほどであった。
 その学生は、いつも教室で並んで座っている仲良しの男子学生と一緒に来た。彼もなかなかに優秀な学生だ。それぞれの答案についてあらためて講評を述べ、知識不足から誤った解釈をしてしまっているところなどを指摘したり、補足説明を加えたりした。
 こちらが説明を終えると、女子学生のほうが、「この試験問題はほんとうにおもしろくて、自分でも万葉集についてもっともっと知りたいと思って、たくさん調べました。こんなに試験のために勉強したのははじめてです。万葉集の歌はほんとうに素晴らしくて、特に人麻呂の相聞歌は大好きです」と目を輝かせながら話してくれた。
 それに対して、「こっちもね、普通、答案の採点というのは苦痛な作業であることが多いのだけど、今回の君たちの答案を読むのは楽しくさえあったよ。それくらい、みんなよく準備したいい答案を書いてくれた」と応じる。
 その学生は、「文学史の授業は、作品を読むというより、知識を詰め込み、作品そのものはそのごく一部を翻訳するだけで、しかも自分たちの現在の日本語力ではとても作品を味わうところまでいかないことをずっと不満に思っていたのですけれど、万葉集の授業ではほんとうに作品に触れることができました」と嬉しそうに話してくれる。
 「そう言ってもらえると、私もとても嬉しい。たとえ文学史の授業であっても、君たちと一緒に作品を味わうことが自分のミッションだと思っているからね。もちろん、作品を味わうには時間がかかる。だからこそ、試験問題を試験三週間前に公表し、授業で私がした説明を基に、君たち自身でじっくり時間をかけて調べた上で、歌そのものについて自分の感性に即したコメントを準備してきてほしかったんだよ。それにね、試験のためだけに無理に暗記したことは、試験が終わったらすぐに忘れてしまうことが多いけれど、自分から自主的に調べたことはなかなか忘れないものだよ。」
 「もっと勉強して、もっと作品がよく理解できるようになりたいと思っています。」
 こんなやりとりをした後、学科の授業全般のこと、来年度彼らが三年生になるときに導入される新しいカリキュラムの内容などについてもひとしきり話した。
 帰り際に、「先生は、来月のシンポジウムで発表されるのですよね」と聞くので、「うん、国際演劇学会のシンポジウムで発表する。山上憶良の七夕歌の劇的構造について話します」と答える。
 「聴きに行きます」、そう言い残して、二人は学科研究室を出ていった。
 授業はいつもうまくいくとはかぎらないし、自分のやっていることにとても懐疑的になることもしばしばある。しかし、昨日、二人の学生と話しながら、こちらの狙いが当たったなどという得意気な気持ちではなく、ちょっと大袈裟に響くかもしれないが、ずっと願っていたことが叶ったような幸せな気持ちになった。
 ありがとう、学生たちよ。