内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「あらゆる理解は、愛を通してなされる」― ハーンとチェンバレンの失われた親交の形見

2018-02-07 06:19:41 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンの来日当初の良き理解者でありかつ庇護者であったチェンバレンは、ハーンと同い年であったが、1873年にいわゆる「お雇い外国人」として来日し、1886年にはすでに東京帝国大学で教鞭をとりはじめていた。1890年にハーンが来日して以降、両者はしばらく親密な親交を結んでいる。松江の英語教師の職を紹介したのも、のちに東京帝国大学の講師の職を紹介したのもチェンバレンであった。
 皮肉なことに、ハーンが帝国大学講師となってからは、つまり同じ大学の構内で教鞭をとるようになってから、逆に両者の関係は疎遠になってしまう。日本観の違いがきっかけだといわれている。
 しかし、それはそれとして、二人のあいだにはかなりの分量の往復書簡が残されていて、それらは、両者の関係・それぞれの日本観・当時の日本社会の様子を知る上での貴重な資料になっている。
 チェンバレンは、ハーンの没年の翌年1905年にその著書『日本事物誌』の第五版を刊行しているが、その中で、リヒャルト・ワーグナーの言葉を引きながら、ハーンを絶賛している。

 細部における科学的正確さが、繊細で柔和で華麗な文体と、これほどうまく結合している例は、かつてほかにないであろう。これらの真に深みのある創見にみちた著作に接すると、私たちはリヒャルト・ワーグナーが言った言葉の真実を感ぜずにはいられない。「およそあらゆる理解は、愛を通してのみ、我等にいたる」。
 ハーンは誰よりも深く日本を愛するがゆえに、今日の日本を誰よりも深く理解し、また、他のいかなる著述家にもまして読者に日本をより深く理解させる。(池田雅之『NHK 100分 de 名著ブックス 小泉八雲 日本の面影』より)

 その繊細な文化と素朴な民衆たちをこよなく愛し、英語で名文を書く異数の才能をもった異国出身の一人の作家を恵まれたことは、日本にとってほんとうに幸いなことであった。