このシリーズ、取り上げられている人たちの他に類例を見ないヴァライティと意外な組み合わせからして、この企画を立ち上げた編集者たちの慧眼が光っている。
私自身は、同シリーズの他の本は読んだことがないので、全体の評価は留保する。その上で言うが、この小泉八雲の巻は素晴らしい出来だ。
中学生から読めるようなやさしい日本語で、この特異な作家の肖像をそれまでに類例を見ない生き生きとした筆致で見事に描き出している。著者名がなく、筑摩書房編集部の出版物となっているところがまた好ましい。構成・文は斎藤真理子と目次の前の頁にクレジットがあるけれど、有名な誰それとかその道の権威とかが書いたからなどという余計な先入見なしに読めるのも本書のメリットの一つだ。これは、ほんとうに対象に対する深い愛情と理解(この両者は不可分だと思う)に裏打ちされた良書だ。
特に、小泉八雲が小泉八雲になる前の、来日前のラフカディオ・ハーンとしてのギリシア、アイルランド、イギリス、フランス、そしてアメリカでの波乱に満ちた数奇な人生について多くの頁が割かれていることが本書を類書に抜きん出た優れた一書にしている。その記述は書誌的な博捜に裏打ちされ、きわめて興味深い。
蛇足でしかないあとがきや贔屓の引き倒しのような解説もないのもいい。
本文の最後の短い段落は、小泉節子の『思い出の記』のさりげなくも感動的な語りに基づいた、八雲のこの上なく穏やかな最期の描写である。そこだけ引こう。
夕食後、八雲は小さい声で「ママさん、先日の病気また参りました」と言い、横になると、しばらくして息を引き取りました。苦しんだ形跡はなく、口元には微笑みをたたえた死に顔でした。