内的自己対話-川の畔のささめごと

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個的存在の孤独感を突き抜けて、海洋における太古からの律動との共振へ ― 『万葉集』と源実朝(承前)

2018-02-11 14:24:15 | 詩歌逍遥

 今日の記事では、昨日の記事で予告したとおり、小川靖彦『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(角川選書、2014年)第五章「「道理」によって『万葉集』を解読した仙覚―中世における『万葉集』」の第二節「源実朝の『万葉集』」に依拠しつつ、『万葉集』巻第四の「笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌二十四首」中の一首、

伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波 畏き人に 恋ひ渡るかも

と、実朝の傑作、

大海の 磯もとどろに 寄する波 われて砕けて 裂けて散るかも

との関係について考えてみたい。
 笠女郎の歌では、上三句は「畏き」を起こすための序詞。高い家柄の家持を、近寄りがたい“畏れ多い人”と言い、その“畏れ多さ”を具体的に表現するために、伊勢の海の磯も轟々と鳴り響くほどに寄せる波のイメージを用いている。
 笠女郎は、序詞として、眼前の情景ではなく、奈良にいながら伊勢の海を詠んだ。なぜか。それは、小川靖彦によれば、家持の“畏れ多さ”を表すのには、ありきたりの情景では不十分で、「皇祖神を祀る伊勢神宮が鎮座し、「神風の伊勢」と称えられた伊勢の海に波が打ち寄せる、霊威ある、最も畏怖を感じる情景でなくてはならない」と笠女郎が考えたからである。
 笠女郎の歌の上三句をほぼそのまま利用して「大海の磯もとどろに寄する波」としたとき、実朝は、その情景の「畏さ」を十分に意識していた。そして、昨日の記事で見たように、下二句の表現においても万葉歌に学びつつ、動詞を四つ重ねるという独創的な発想によって、「海の霊威の発動するさまを力強く描いた」(小川前掲書)。
 この実朝歌は、「二所詣」の歌を集めた一連の中に配置されている。「二所」は、頼朝以来、鎌倉幕府が最も崇敬してきた関東の鎮護神である伊豆山権現(伊豆山神社)と箱根権現(箱根神社)を指す。この一連には、神威を称える歌や、統治者としての意識が濃厚に表れた歌が見られる。このような作歌姿勢には、神の加護を祈り、国土の繁栄を賛美した古代帝王の巡幸を思わせるものがある。

実朝は、伊勢の海の情景に匹敵するような、二所の神威の表れた伊豆の海の情景を、畏敬の心をもって歌い上げたのです。その風景の壮大さは、国土を賛美する王者としての意識が生み出したものです。実朝にとって『万葉集』は〈古代〉的世界を顕現させるものでした。(小川前掲書)

 この歌は、小林秀雄以来、実朝の孤独感や憂悶を表現した歌として読まれるのが通り相場になってしまっている。確かに、『万葉集』における「われて砕けて」は、昨日読んだ万葉歌からも明らかなように、本来恋の物思いによって心が千々に砕けることを表すものであった。だから、孤独感や憂悶のような個的感情をこの歌に読み取ることはあながち間違いとは言えないだろう。
 しかし、万葉歌の感情表現に学び、記紀・万葉の時代の古代的王者の挙措に倣って壮大な風景を詠み上げたこの歌は、実朝の個的存在としての孤独感を突き抜けて、海洋における太古からの律動と共振する詩的表現たりえていると言えるのではないであろうか。