内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

語り得ないことこそ、ほんとうの歴史である

2018-02-16 10:57:17 | 哲学

 太古の昔から無数の人々によって事実生きられてきた沈黙の歴史と、語られそして書かれた歴史とは、どちらも「歴史」という同一語で指示されていたとしても、まったく別物である。
 後者は、前者の後にしか可能にならず、しかも何らかの仕方で前者を裏切ることによってしか成立しない。語られた歴史は、それを語る者の意図にかかわらず、生きられた歴史についての「騙り」でしかありえない。
 こう言ったからといって、語られた歴史は所詮虚構にすぎないといった類の暴言を吐いて、真摯なる歴史家たちの途方もなく膨大な仕事の蓄積に難癖をつけたいのでは毛頭ない。
 言いたいことは、むしろ、真逆である。到達不可能な語り得ぬものへの愛惜あるいは/そして畏敬の念こそが歴史家たちの仕事を最も深いところで動機づけているのだと思う。
 歴史を語り続けること、何度も語り直すこと、それは、本来的には、単なる知的学術的興味から起ることではなく、贖罪的義務感からでもなく、ましてや失われたものへの感情的な執着に由来するものではない。それは、私たちすべてがそこから生まれ、そこへと消えていく沈黙の大海への永劫回帰の運動の、人間によって生きられる一つの形なのだと思う。