内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

小泉八雲の創作上の有能なアシスタント ― 小泉節子『思い出の記』を読む

2018-02-05 16:54:29 | 読游摘録

 小泉八雲の妻節子は、八雲にとって良妻であったばかりでなく、その創作上の有能なアシスタントでもあった。
 節子の談話の聞書である『思い出の記』は、八雲の日常を活写し、その人柄と感性をよく伝えているとても興味深い読み物である。そこには八雲が使う奇妙な日本語が忠実に再現されていて、それが二人のやり取りの記録を生き生きとしたものにしている。その語りには、八雲の性格についての冷静な観察、その前提としての愛情に満ちた理解、その上、巧まざるユーモアが随所に感じられ、それらを通じて節子の知性と人柄もまたよく表現されている。
 この『思い出の記』は、角川ソフィア文庫『新編 日本の面影II』の巻末に収録されていて、簡単に入手できる。この聞書を漱石の妻鏡子の『漱石の思い出』と比較しながら読んでみるのも面白かろうと思う(鏡子にとっては、ちょっと意地の悪い企みになってしまうかもしれないが)。
 八雲の『怪談』の基になる話を節子がどのように語って聞かせ、それに対して八雲がどう反応し、どのように記録していったかを叙述しているところはとりわけ精彩に富んでいる。そんな部分をちょっと長いが引用しよう。

 怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」と言っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
 淋しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。その聞いている風がまた如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。その頃私の家は化物屋敷のようでした。私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。この事を話しますと「それでは当分休みましょう」と言って、休みました。気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。
 私が昔話をヘルンに致します時には、いつも始めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。

 […]たとえばあの『骨董』の初めにある幽霊滝のお勝さんの話の時なども、私はいつもように話して参りますうちに顔の色が青くなって眼をすえているのでございます。いつもこんなですけれども、私はこの時にふと恐ろしくなりました。私の話がすみますと、始めてほっと息をつきまして、大変面白いと申します。「アラッ、血が」あれを何度も何度もくりかえさせました。どんな風をして言ったでしょう。その声はどんなでしょう。履物の音は何とあなたに響きますか。その夜はどんなでしたろう、私はこう思います、あなたはどうです、などど本に全くない事まで、いろいろと相談致します。二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます。

 ここまでくると、これはもうほとんど夫婦合作だといってもいいのではないだろうか。だれか才能ある映画監督に映像化してほしいシーンでもある。