内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ストラスブールからパリに「上京」した日本人おのぼりさんの写真日記(下)

2016-02-29 00:18:00 | 写真

 独自のスタイルを築いた哲学者にしてレジスタンスの闘士だったジャンケレヴィッチ。天来の類稀な美貌に恵まれ、若き日にロダンの愛人となり、才能ある一流の彫刻家として認められ、大詩人ポール・クローデルを弟に持ち、四十代後半に精神を病み、以後死ぬまで精神病院で三十年間を過ごしたカミーユ・クローデル(2013年8月5日の記事へのリンクを昨日の記事に貼りましたが、その記事内の事実の記述に間違いがありましたので、この機会に訂正いたしました)。
 それぞれの旧宅の記念の石碑を撮った後、またノートルダム聖堂方向に引き返して、セーヌを左岸へと渡り、パリに住んでいたときの行きつけの古書店 Galerie de la Sorbonne で物色。ジョルジュ・カンギレムの Études d’histoire et de philosophie des sciences (1968) とルネ・ル・センヌの Traité de morale générale (1961) を購入。いずれも初版。前者は、1994年の第七版増補版はずっと前から手元にあり、博論でも引用したことがある(今でも当時の付箋が貼ったままになっていて、それらの頁には鉛筆での書き込みがあったりして、懐かしい)。後者は、十年以上前に一度購入しているのだが、東京の実家に置きっぱなしになっているので再購入。前者は、表紙に紙魚があるが、中身はところどころ頁が切ってあり、数カ所鉛筆で薄く行間に下線や本文脇に縦の傍線があるだけの良好な状態。後者には、少しだけ鉛筆での書き込みがあるが、その筆跡からして物を丁寧扱う持ち主だったろうと想像されるような保存状態。前者が15€、後者が10€。この古書店の値付けは本当に良心的。マダムの物腰の柔らかな対応はいつも私の気持ちを和ませてくれる。
 ちょっと話が横道に逸れますが(というか、もう逸れはじめていますが、お気楽散歩日記だから許されますよね)、ここのところ、古書購入で「ヒット」が続いている。といっても、資産価値があるような高価なものは最初から考慮の外であり、もっぱら、かねてから探していた絶版か版元品切れ本を比較的安く入手できたというだけの話なのですけれど。
 先週のこと、1964年に出たメナール版パスカル全集の第一巻のきわめて良好な状態の初版をネットで入手。表紙カヴァーの経年劣化を除けば、ほぼ新品同様。ここ数年ずっと探していた本だった。第二巻から第四巻までは、今でも妥当な値段の古書が簡単に手に入るのだが、第一巻だけは古書ネットでもめったに見かけない。たまに出品されていても、数百ユーロという法外な値段が付けられていて、手が出なかった。しかし、今回、22€という実に良心的な価格で入手できて喜んでいる。出品者は南仏の小さな古書店。
 同じく先週のこと、ルイ・ド・ブロイの『物質と光』の1937年刊の原書 Matière et lumière の初版をやはりネットで12€というとてもお手頃な価格で入手。こちらは珍しいというほどの本ではないのだが、いい状態の初版が手に入ったのは嬉しい。この本の中の太陽光とそのプリズムによる分光によって現れる色との関係についての問いに対するブロイによる答え(同書303頁)を、西田が同書の最初の邦訳出版以前に何度か引用しているので、西田が参照したであろうその原文を確認するというのが購入の「学術的」理由。邦訳は、現在岩波文庫で簡単に入手できるが、初版は1939年に岩波新書として上下二巻に分けて出版されている。
 ただ、同原書をめぐる書誌的な問題に関して、一つまだよくわからないことがある。というのは、『物質の光』の原書初版が出版されたのは、奥付によると、1937年の9月のことなのだが、西田がブロイに言及している論文「実践と対象認識」は同年の3月から5月にかけて、三回に分けて『哲学研究』に発表されている。つまり、同論文執筆中(前年暮か同年初め)に西田がブロイの同書を参照することは不可能なのである。ところが、西田の言及の仕方は、正確な引用でもなく、出典の明記もない(これは西田においては少しも珍しいことではない)とはいえ、明らかに同書の303頁の記述と内容的には一致している(西田の新全集でもこの箇所を注で挙げている)。
 どうやって西田は本国フランスでまだ出版されていない本の内容を知ることができたのか。
 一つ可能性として考えられるのは、ブロイが1937年以前に出版されたの論文のどこかで同内容の記述をしていて、それを西田が自分で読んだか、弟子(おそらく下村寅太郎)あるいは物理を専攻していた息子の外彦から聞いていた、ということである。西田がブロイにかねてから関心を持っていたことは書簡から明らかで、ちょうど「実践と対象認識」が『哲学研究』に分載されている時期に、ブロイのその年のもう一つの新刊 La physique nouvelle et les quanta について下村寅太郎にその内容を尋ねる手紙を4月12日に出し、約ひと月後の5月10日に、同書の原書が息子外彦のところにあったと下村に伝えている(序だが、同書簡から、その日にニールス・ボーアの来日講演を西田も下村も聴きに行くつもりであることがわかる)。同月24日にその息子外彦宛に「Broglie の本はすこしよんでみたが我々には大變よい これは何處で買つたのか 私も一冊ほしいと思ふ」と一言書き送っている。
 西田はこのとき六十七歳、京大を退官してからすでに九年が経っているが、ヨーロッパ留学中の弟子たちなどの手を借りて、ほぼリアルタイムで欧米の新刊を追っている。その衰えを知らない旺盛な知識欲・知的関心には驚かされる。

 あれあれ、いつの間にか、話が大きく逸れてしまいましたね。パリのお写真散歩に話を戻しましょう。
 上記の古書店を出て、サン・ミッシェル大通りに向かって歩きだすと、すぐにモンテーニュの銅像があります。Rue des Écoles を挟んで向かいのソルボンヌの正面に対峙するかように据えられています。脚を組んでリラックスした感じで腰掛けたその姿勢がいかにも優雅。ソルボンヌの権威ある学者先生方を前に、独り、一個の人間の精神の自由をその姿勢そのもので示しているようにも見えます。
 ソルボンヌの脇の細道 rue de la Sorbonne をソルボンヌ広場に向かって上り、広場を右手に見ながら通り過ぎて、rue Victor Cousin をさらに上り、rue Soufflot に出たところで、右折、改装工事が終わってすっかり綺麗になったパンテオンを背にして、リュクサンブール公園に向かって下って行きます。

 
春から秋にかけては色とりどりの美しい花々に飾られている同公園も、今はまだほんのわずかの花が散見されるだけ。そこで、公園内に点在する石像を見て回ることにしました。すると、ほどなくして、ボードレールの石像を見つけました。リセ・モンテーニュ側です。パリに住んでいた八年間、何度もこの公園に来ていたのに、気づきませんでした。

                   

 リュクサンブール公園で今回のパリのお散歩は終了。そこから89番バスに乗って、イナルコのすぐ近くにある約束のレストランへと向かいました。