内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「ペラペラ」についての一考察

2013-06-20 21:00:00 | 語学

 明け方、目覚めると雷雨。午前7時、雨中、いつも通っているパンテオンの近くの、アンリ4世校に隣接するプールへ。このプールが自宅から最寄りとなるが、徒歩15分。早足で歩けばちょうどいい準備運動になる。30分で1200メートル。コースが混んでくる前に上がる。帰路は、上がりかける雨の中、走る。午前中には天気が回復し始め、午後は、昨日同様、気温が28度まで上昇。洗濯物がさっと乾いてくれるのが気持ちいい。ところが夕方、一転して雷雲と雷鳴。

 今日明日で発表原稿に目処をつけたい、と思っているが、少し焦り始めている。〈虚〉〈空〉〈無〉を論ずるなんて、いくら依頼があったからとはいえ、向こう見ずもいいところだと今さら足掻いている。テーマが大きすぎ、引用も欲張りすぎ、収拾をつけるのが難しい、と嘆息。でも、それはそれでいいのかとも思う。いい加減でいい、ということではなくて、簡単に収拾がつかないものはつかないものとして示すしかないではないか。下手にお座なりな結論でお茶を濁すより、未完成の原稿のまま、適当なところで投げ出し、後は当日その場で言葉を補いながら、オチをつけようかとも思う。いずれにせよ、できた原稿を読み上げるだけというのは、発表としては好ましくない。ただ読み上げられた言葉は、その場にいる聴き手に向かっていかず、独言のようになりがちだから。完成原稿の場合でも、聴き手の反応を確かめながら、少し表現を変えたり補ったりは、いつものことでもある。これは講義でも同じで、あまり準備しすぎると、かえってうまくいかない。その場で言葉を探しながら、その場にいる学生たちに話しかけるように話すほうが、相手もよく聴いてくれるし、それに感応してこちらも乗ってくると、探さなくても言葉の方からやってくる。もちろん、いつもこちらの思い通りにいくとは限らず、適切な表現が見つからず、言葉に詰まってしまうこともある。しかし、それはそれで、まさにその場で考えている姿を晒していることでもあり、その緊張感が聴き手に何かを伝えることもある。
 要は、言いたいこと、言うべきことがあり、それを人に正確に伝えたい、わかってもらいたい、分かち合いたいという情熱があるかどうかだ、といつも私は考えている。キレイに整っていても、何にも伝わってこない話になど何の意味があるのか。よく「あの人は外国語がペラペラだ」と言って褒める人がいるが、これは褒める当人がその外国語が下手か、まったく解さない場合に多い。つまり、話されている内容がわからないままに褒めているのである。しかし、これは、私見によると、褒め言葉ではない。なぜなら、外国語が「ペラペラな」人は、私の知るかぎりでは、ほぼ例外なく、人間的中身も「ペラペラ」、つまり、薄っぺら、なのである。だから、碌に考えもしないで、有ること無いこと、中身の無いことを、いわゆる「語学の才」にまかせて、「流暢に」しゃべることが恥ずかし気もなくできるのである。考えないから「ペラペラ」喋れるのである。語学にコンプレックスがある人が、賛嘆の眼差しでそういう輩を褒めるのは無理からぬことではあると思うが、もし褒められた側がそれで自惚れるとすれば、その輩は、まさにそのことによって、「私はペラペラ、薄っぺら、中身の無い人間です」と宣伝しているようなものなのだが、本人は一向にそれに気づかない。残念ながら、私はそういう輩に付ける薬を知らない。少しでも考えを正確に伝えたいと願い、相手はわかってくれているのだろうか、自分の表現に曖昧なところはないだろうか、よりよい言い方があるのではないか、このように自問しながら話す人は、「ペラペラ」は話せない。
 ここまで来れば、これは何も外国語に限った問題ではないことに気がつくであろう。むしろ母国語で「ペラペラ」話す方が問題は深刻であると言わなくてはならない。日本人が日本語で中身が無いことを平気で喋りまくって恥じることがないとき、誰が「日本語がペラペラですね」と言って褒めてくれるだろうか。母国語である日本語で中身の無いことしか言えない人間が、外国語だとちゃんとしたことが言えるということは論理的にありえない。語学ができても中身が無い人間であることには何の変わりもないからである。だから、例えば、英語を学んでいる人が「私は英語がペラペラになりたい」という目標を立てるのは、方法論上、決定的に間違っている。なぜなら、それは、「私は英語で話すとき、薄っぺらな人間になりたい、あるいはそう思われるようになりたい」ということを目標にしていることになってしまうからである。自分に本当に言いたいことがあるのかどうか、それを他者に伝えるにはどのように表現したらいいのか、母国語である日本語でまずこれらの問いを真剣に問うことなしに、真の語学の上達などあり得ない。


Pensée contemporaine ― 同時代思想ということ

2013-06-19 21:00:00 | 講義の余白から

 今日午前中はパリの大学で前期に担当していた "Pensée contemporaine" という講義の追試の試験監督。受験者4名。試験時間3時間。試験問題は前後半に分かれ、前半は授業中に解説した日本語のテキストの中から私が選んだ、二つの数行からなるテキストの仏訳。和辻哲郎『人間の学としての倫理学』と丸山眞男「超国家主義の論理と心理」が出典。後半はその二つのテキストから共通する問題を学生自身が引き出し、議論を展開すること求める小論文。こちらももちろんフランス語。時間配分は学生たちの自由。資料・文献・辞書・パソコン・スマートフォンすべて持ち込み可。毎回の授業のためにその都度あらかじめ配信した数枚の資料と授業概要も、授業中に学生自身が取ったノートも持ち込み可。音楽を聞きながら試験を受けたい学生はiPodを持ってきてもいいからとあらかじめ通知してある。「つまり、禁止すること以外は何も禁止されてない」といつも最初の授業で宣言する。こんな「夢のような好条件」はその他の科目の試験ではまったく考えられないことなので、学生たちはだいたい信じられないといった顔をして聴いている。そこですぐにそれに付け加えて、「それはこの授業の単位が取りやすいということを少しも意味しない。なぜなら、取り上げるテキストはすべて日本人にとっても難解なテキストであり、毎回哲学的な問題を扱うから、当然試験問題も難しいわけで、どんな資料を持ち込んだところで、普段からよく考えていない人はとうてい時間内に解答できないからである。したがって、授業内容に本当に興味のない人にはこの授業を選択しないことを勧める」と親切にアドヴァイスする。その当然の帰結として、第2回目の授業から受講者は半減するが、残った学生はそれだけ覚悟があるわけで、そのほとんどは最後まで出席してくれる。ただ、すべて持ち込み可とするのは、試験問題がそれだけ難しいからというだけではない。知識の断片を頭に無理やり詰め込んで、試験の時にそれを吐き出し、その後数週間も経てばあらかた忘れてしまうとすれば、それが一体何の役に立つというのだろう。試験前に暗記の努力で無益に脳を疲弊させて来るよりも、与えられた資料を最大限活用しながら、たとえ3時間という限られた時間だけでも、考えるべき問題を、その場で、真剣に、自分の頭で考え抜いてほしい、と私が願っているからでもある。

 第1回目の講義で必ず説明するのは、"Pensée contemporaine" という科目名の contemporaine とはどういう意味か、ということである。日本学科の選択科目であるから日本のことを扱うに決まっているからそれについては問わない。では、日本にとって contemporaine とはいつからのことか、この問いに答えることから授業が始まる。日本での一般的な教科書的時代区分に従えば、明治維新から第2次大戦末までが「近代」で、戦後が「現代」ということになるが、この授業では、まずこの区分を問い直す。フランス語でも、moderne と contemporain とを併置して使用する場合には、その区切りをどこに置くかは人によって意見が違うとしても、時代区分の指標として使われるという点では日本語の「近代」「現代」と同じである。ところが学生たちに「君たちはどの時代に生きているのか」と聞くと、それに対する答えとしては「époque moderne に生きている」という答えも出てくる。この場合、moderne は、過ぎ去ってしまった、あるいはそう認識された時代に対して「今そして今と連続している近い過去も含む、あるいはまた、過去のある時から始まり今もそれが続いている」時代を指すために使われており、まったく正しい用語法である。言い換えれば、いつの時代に生きている人でも、その人たちも、この意味で、époque moderne に生きているわけで、それは何もいわゆる私たち「近代人」の特権ではない。
 では、一時期、特にバブル期に日本で大いに流行し、今では死語、とは言わぬまでも、瀕死語であるところの「ポスト・モダン」"post-moderne" とはいつの時代を、あるいは何を指すのか。ここでは日本での当時の軽佻浮薄な議論には触れない。この急性反ヨーロッパ=近代熱狂症候群とも命名すべき、「近現代」日本に特によく観察される社会現象を日本社会の病理の一つとして分析することは、それとして意味がある作業だとは思うが、ここでは、問題の手がかりを掴むために、この語のフランス語での用法により忠実に考えたいからである。この語は、しかし、英語から1970年代末にフランス語に導入されたのに過ぎず、分野によっても定義が違う。それでも、ひとつ言えることは、ヨーロッパでは、post-moderne は moderne への内在的批判として生まれてきた自己規定であり、それは後者の根本的な自己批判契機ではありえても、単にそれを使用期限が過ぎたからと概念の墓場に葬り去ることではなく、ましてや、傍からそれを眺めながら、自分たちはそれをすでに乗り越えたなどと嘯く浮かれ騒ぎなどではありえない、ということである。

 それでは、contemporain とは何を意味するのか。それは「何かあるいは誰かが、他の何かあるいは誰かと、同じ時代に生きている」ということだ。例えば、「漱石と鴎外は同時代人 contemporains である」と言うことができる。そこで私は学生たちに問う、「あなたたちは、誰とあるいは何と同時代人なのか」と。より正確に問えば、「あなたたちは、誰とどのような問題を今共有しているのか」ということになる。この 「同時代思想 Pensée contemporaine」 という授業では、西田幾多郎から始めて戦後の哲学者たちまで扱う。すべて私たちと「同時代人であり、同じ問題群を共有する人たち」として。そして、それは、それら哲学者たちを同じ議論の俎上に載せて吟味するということを意味するだけではなくて、「あなたたちにもまた、彼らの同時代人として、彼らが必死になって考え抜いた問題を自分たちの問題として考えてほしいからなのだ。」半ば祈りにも似た気持ちで、学生たちにこう呼びかけることから毎年の授業は始まる。


Disce gaudere ― 楽しむことを学べ

2013-06-18 21:00:00 | 雑感

 今朝も7時からプール。パリには38の市営プールがあるが、月曜日はその大多数が休み。月曜も営業している数少ないプールの1つがセーヌ川の上にあり、今日はそこに行ってきた。セーヌ川に浮かんでいる大きな平底船のような施設で、その中にプールとスポーツ・ジムがある。プールの名前はジョゼフィン・ベイカー。フランス語読みすると、ジョゼフィーヌ・バケルとなるが、日本では前者の発音でよく知られており、後者の発音では別人かと誤解されかねない。なぜアメリカ出身のジャズ歌手・女優である彼女の名前が冠されているかというと、彼女は第2次大戦中フランスで過ごし、自由フランス軍のためにレジスタンス活動にも身を投じたから、それを顕彰するためだろう。プールの場所はメトロ6番線のQuai de la Gare から徒歩3分。自宅からメトロに乗って20分足らずで行けるのでときどき利用している。25メートル4コースと小さいが、全面ガラス張り、セーヌ川を行き交うバトー・ムッシュや貨物船などが泳ぎながら見える。天気がいい日はそのガラス張りの天井が開き、直接に陽光が降り注ぐ中、セーヌ川の上を吹き抜ける川風が気持ちいい。しかし、そういう日はひどく混むのでとても泳げたものではないが。逆に、真冬の午後など、まるでコースを一人で借りきったかのように快適に小一時間くらい泳げる。パリの市営プールには 37ユーロの3ヶ月共通有効フリーパスがあり、それを購入すると、一部の例外を除いて、どこのプールでも何回でも何時間でも利用できる。私のような常連だと、1回あたりの利用料は50円前後ということになり、こんな安上がりで快適かつ健康にいい運動もそうないだろう。いろいろ腹の立つこと、不満に思うことの多いパリの生活だが、市営プールだけはそういうわけでとにかく気に入っている。

 先週金曜日、郵便受けに日本の友人からの小包が届いていて、事前に何の連絡もなかったので、怪訝な思いで封を切ると、文庫本が一冊出てきた。梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』(角川文庫)。まったく未知の作者。文庫本には、鳩居堂製の、紫陽花を右下にあしらった涼しげな絵葉書が挟まれていて、「この夏、鎌倉でお会いできるのを楽しみにしています」と一言、その下に日付と友人夫妻の名と昨年生まれた子息の名前の連記があるだけ。本の裏表紙の紹介には「時は1899年。トルコの首都スタンブールに留学中の村田君は、毎日下宿の仲間と議論したり、拾った鸚鵡に翻弄されたり、神様同士の喧嘩に巻き込まれたり・・・・・・それは、かけがえのない時間だった。だがある日、村田君に突然の帰国命令が。そして緊迫する政情と続いて起きた第1次世界大戦に友たちの運命は引き裂かれてゆく・・・・・・」とある。茂木健一郎の解説にさっと目を通し、ようやくなぜ夫妻がこの本を送ってくれたのかわかってきた。最近ちょっと弱音を吐くようなメールを彼らに送ったので、私を励まそうとして送ってくれたのだ。

 私にとって今まで他に例を知らなかった舞台設定にまず興味を惹かれ、抑制の効いた簡潔な文体に読み始めてすぐに好感を持ち、読み進めるにつれ、全登場人物への作者の情愛が次第に深く感じられるようになっていく。彼らの下宿に飼われている鸚鵡が作品の随所にユーモアとスパイスを効かせ、作品末尾でのその絶妙な反応と、主人公の最後の述懐には胸に迫るものがあった。そして何よりも鸚鵡が発したとされるラテン語の格言「Disce gaudere (ディスケ・ガウデーレ)」(楽しむことを学べ)が深く心に刻まれまた。この格言は、そもそも、古代ローマのストア派の哲学者セネカが、友人であり弟子でもあるルキリウスに送った一書簡中に出てくる言葉(第23書簡。同格言についての簡にして要を得た説明が「山下太郎のラテン語入門」の中にある)。読後、自分もまたその中に置かれている自分の思いを遥かに超えた人々との繋がり、そしてそれぞれの人の運命をもすべてそのうちに含んだ、大きな事柄全体を、それとして肯定して生きることの大切さに改めて思いを致した。メールについ記してしまった一言の中にこちらの心の翳りを敏感に感じ取り、遠く日本から即座にさりげなく気遣いを形にして送ってくれた友人夫婦に心から感謝している。


食をめぐる哲学的考察(5)

2013-06-17 21:00:00 | 食について

16日日曜日、朝は青空が広がり、幾筋も交錯する飛行機雲を、プールの帰り道に歩きながら見ていると、清涼な大気が胸中にも流れこんでくるような爽快感。午後は薄雲に覆われがちだったが、それは上空高い位置にとどまり、むしろ穏やかな明るさに風景全体が包まれていた。気温は24度近くまで上昇。それに伴い湿度は夕方30%台まで下がる。
 今さきほど、一応発表要旨を書き終えた。ピントが充分に絞り込めていないという不満を覚えるが、このまま一日「寝かせる」ことにする。明朝、研究集会責任者に送信する前にもう一度見直そう。

 西谷啓治『宗教とは何か』(著作集第10巻)第三章「虚無と空」の一節。

「底知れぬ深い谷も実は際涯なき天空のうちにあるとも言へるが、それと同時に虚無も空のうちにある、但しその場合天空といふのは、単に谷の上に遠く拡がつているものとしてではなく、地球も我々も無数の星もそのうちにあり、そのうちで動いてゐるところとしてである。それは我々の立つ足元にもあり、谷底の更に底にもある。」(110-111頁)

以下は「食をめぐる哲学的考察」の第5回目。今回のシリーズはこれが最終回。

 食研究に限ったことではないが、相異なった複数の対象を比較検討することは、当の考察対象をよりよく分析するために有効な一つの方法である。それは、考察対象に固有な問題を際立たせてくれるばかりでなく、他の事柄にも通じる共通問題を発見することを可能にしてくれることもある。しかも、比較される諸対象の間の類似点が一見明らかでないものの間の比較の方がより生産的な観点を私たちに与えてくれることが多い。比較という方法は、比較対象間の共通点を見出すことだけが目的なのではなく、場合によっては、むしろそれら対象間にある還元しがたい差異をそれとして明確に規定することを可能にしてくれるからこそ有効でありうることを忘れないようにしたい。このような意図から、言語と食との比較を試みてみよう。両者の間にはある一定のアナロジーが成り立つと同時に、それぞれに固有の問題も比較を通じて浮き彫りにされうると考えられるからである。
 一つの言語は、それぞれ独立な要素として存在する一語一語からなる記号の集合ではないし、言語行為は、それらの要素のうちの有限個を一定の規則に従って配列することに還元されうるものではない。一つの言語とは、それが現に話されている生きた言語であるかぎり、一定の規則に従って分節化をたえず繰り返している動的な全体であり、その分節化を通じて単語という単位も生まれてくるのであって、その逆ではない。しかもその分節化の規則は絶対的なものではなく、むしろ可変的なものであり、したがって、一つの言語を一つの語彙の固定的な体系に還元することはそもそもできない相談なのである。このことは、一つの言語は最初から一つの生命体のように有機的な全体なのであって、もともとはバラバラな部品から組み立てられたロボットのようなものではない、と考えれば理解しやすくなるだろう。ただ、注意しておきたいことは、ここで言う言語とは、決して「国語」のことではないのは言うまでもなく、「日本語」あるいは他の国名を冠された言語でもないということである。言語の生成は国家の生成とはまったく別の次元に属することであり、いわゆる「文化」という概念と相覆い合うものでもない。
 私たちが母語を話し始めるとき、まず規則を習うことから始めるのではないことは誰でも自分自身の経験としてよく知っている。母語は、私たちの体が受精卵から順次細胞分裂を繰り返して徐々に複雑な生命体として形成されていくのと同じように、最初から一つの生ける全体として与えられる。たとえ最初は小さく未分化ではあっても、そのようなものとして与えられる。それが一定の環境の中で分節化を繰り返すことで、より複雑な全体に変化していく。しかし、それは、単なる偶発的な複雑化ではなく、その程度と方向性とは環境によって限定されている。と同時に、それは、環境への適応力、さらにはその環境への働きかけの能力の発達過程でもある。この働きかけの能力とは、言葉による世界の分節化・差異化の事であり、そこに見られる〈言〉-〈異〉-〈事〉の三項が日本語においては「こと」という同じ音素によって表されていることは決して偶然ではなく、それが言語の成立過程についての多くの示唆を与えてくれることは、夙に指摘されていることである。言語の生成とは〈ことなり〉なのである。
 このように、言語が最初から一つの〈ことなり〉として私たちに与えられるのと同じように、食もまた〈もの〉としてではなく、〈こと〉として私たちに与えられていると言えないだろうか。食もまた、私たちと世界との関係の仕方として、その全体が有機的な連関において見られるとき、食する主体、食物、生産過程、流通システム、社会、自然環境などの相互的な関係性を〈ことなり〉として、総合的に捉える途が開かれてくるのではないだろうか。


食をめぐる哲学的考察(4)

2013-06-16 21:00:00 | 食について

 東京の実家には8年前に三ヶ月あまり帰国した時にまとめて送り返した本がまだ数千冊書庫に残したままになっているのだが、その大半は仏語の本。その中のいずれかをこちらでまた参照する必要が生じても、まさかその度に送り返してもらったのでは送料も嵩んでしまうので、お願いしにくい。結果として、研究上の必要に迫られて随分こちらで買い直すはめになった本もあり、何とも無駄な出費だとその都度自分で腹立たしくなる。しかし、とにかくこれらの本は必要とあればすぐにこちらで手に入るからいい。ところが、日本の我が蔵書の中には、現在こちらで在庫切れ、あるいは絶版になっている本もあり、これは送ってもらうか、帰国の際に自分でまたこちらに持ち帰るしかない。ここ数年、年2回は帰国するようになったので、その度に重量制限ぎりぎりまで本を詰め込んで帰ってくるが、本は重たくて一人では大した量は持ち帰れない。他方、今のアパルトマンではこれ以上蔵書を増やすわけにもいかないから、大量に持ち帰ることはいずれにせよ非現実的で、これからは毎回よく考えて本を選ばないといけない。日本語の本にしてもそれは同様で、この夏の帰国の際にもひとしきり選択に悩むことになりそうだ。
 ただ、今回、どうしても28日の発表前に読んでおきたい西谷啓治著作集第10巻『宗教とは何か ― 宗教論集Ⅰ』(創文社、1987年)を実家に頼んでEMSで送ってもらい、それが金曜日に届いた。西谷啓治の代表的著作の一つである同書の全6章のうち最初の2章以外はすべて「空」をそのタイルの中に含み、特に第3章「虚無と空」と続く第4章「空の立場」において、西谷固有の「空」論が展開されている。上田閑照によれば、「空」を「思索の根本範疇とした哲学者は西谷が初めてである」(『哲学コレクションⅠ 宗教』、136頁)から、発表の際に言及しないわけにはいかないだろう。ちなみに同書の英訳と独訳は1982年、スペイン語訳が2002年、イタリア語訳が2004年に出ている。フランス語訳は、私がパリでその5人の責任者のうちの1人である研究会の別の責任者の1人でもあるベルギーのルーヴァン・カトリック大学の哲学教授が、日本人の同僚の協力を得て、ようやく着手したと昨年6月の研究会の席で本人の口から聞いた。彼には11月の研究会でその『宗教とは何か』について紹介的な発表もしてもらった。近い将来の出版が期待される。

以下は「食をめぐる哲学的考察」の第4回目。

 都市生活を送る人たちにとって、食材・食料品は、生産現場から流通過程を経て供給されるのが普通であり、それら食材・食料品が生産される現場は、店頭に並ぶ商品としてのそれらの向こう側にいわば隠されている。食の安全性が問題視されるようになって、私たちは産地及び生産過程により注意を払うようになったが、それはあくまで自分たちが消費者として購入する商品としての食の安全性が問題になっているということであり、食を通じて私たちが置かれている世界との関係の総体の一部しかそこでは問題化されていない。

 もちろん、商品としての食べ物であっても、そこには、食材と健康との直接的な関係、つまり身体の健康に直接影響を及ぼすものとしての食べ物との関係という意味での直接性も内包されてはいる。とはいえ、それを含めたとしても、食の消費過程での問題しか取り上げられないかぎり、世界と私たちとの食を媒介とした関係の全体が視野に収められているとは言いがたい。
 では、消費過程だけでなく、生産過程をも考慮すれば、食を介しての私たちの世界との関係を全部覆いつくしたことになるだろうか。いや、それでもまだ不十分なのだ。と言うよりも、食の問題をその生産・消費過程の全体において問題化することは、それはそれとして私たちの食生活にとって重要な課題であることは勿論だが、それだけでは、それとは次元を異にした関係性がまったく視野に入ってこないのである。
 その関係性とは、食生活において形成される、世界と私たちとの存在論的な関係性である。これがすっかり抜け落ちてしまっているのだ。食についての既存の専門的研究は、それが栄養学、流通経済学、文化人類学、民俗学、社会学などのどの分野に属するものであれ、この関係性を主題化することは方法論上できない。この存在論的関係を問題化し、それにアプローチするための方法論は哲学にこそ求められなくてはならない。より正確に言えば、この関係性は現象学的存在論の領域に属する問題なのである。
 私たちが日常、食材・食料品と見なしている種々の対象は、私たちのそれらに対する関係とは独立に、それ自体が実体として存在するものではない。それらは〈食する〉ことによってもたらされる行為的連関の中でのみ、〈食べられるもの〉として私たちに立ち現われ、与えられてくるのである。例えば、熱帯に自生する椰子の実やバナナ、森林地帯のキノコ類は、人間に食べられることによって、人間にとっての食べ物としてこの世界に現前するのであって、それらが〈食する〉という行為の対象となることによって、現象世界の構成が変化するのである。あるいは、お伽話に出てくるような、すべてお菓子でできたお城を想像してみよう。普通の城のように石でできていると思ってその城を見ていたときと、それが全部お菓子だとわかった後とでは、そのお城そのものだけではなく、辺りの知覚風景全体も一変してしまうに違いない。
 しかし、〈食する〉ことによってもたらされるのは、単に世界の見え方が変るというだけのことではない。諸々の食べ物は私たちが生きている世界の一部をなしている。私たちがそれらを体内取り込むことによって、それらは私たちが生きるエネルギーに変換される。〈食する〉ことによって世界の一部が生命体を養うエネルギーに変換されるこの過程は、私たちの体の内部で起こる現象だが、それは取りも直さず、私たちがそこにおいて生きている世界における現象である。私たちが何をどう食べるかということは、世界の世界自身に対する関係の表現の一つなのである。


食をめぐる哲学的考察(3)

2013-06-15 20:00:00 | 食について

 14日は前日よりはいい天気。午前中は薄曇りだったが、午後になって晴れ間が広がり、夏雲が隆起する。気温は低めに推移。日中でも20度超すか超さないかといった程度。朝の日課の水泳はいつも通り。その後は一日原稿書きに集中するつもりが、なんとなく気乗りがせず、井筒俊彦のエッセイ「詩と宗教的実存 ― クロオデル論」(初出1949年,『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』慶應義塾大学出版会、2009年、332-349頁)に引用されていて、かねてより気になっていたポール・クローデルの劇作品『都市』(第二稿)の一節を手持ちのプレイヤード版で探し、見つける。同エッセイに引かれたクローデルの他の作品の原典箇所もついでに特定しておく。井筒俊彦は30の言語を解したという語学の天才(氏の才能はそれに尽きるものではもちろんないが)、クローデルの引用も当然自分の訳だろう。作品名のみで出典の明記がないので、クローデルの専門家でもない私には、長い作品の場合、出典箇所を特定するのに少々時間がかかった。一度こうして特定して記録しておけば、後日自分で引用する際に便利なので、ふと思いついた時には、他の作者、作品の場合にもそうしておく。
 勢いをかってというほどのことではないが、これも気になっていたラヴェッソンのデッサン論、正確には、『初等教育辞典』(1887年)の項目「デッサン」中の、ラヴェッソンが執筆した第2部「デッサン教育」の原文もネット上で探し、見つけておく。これはフランス国立図書館の電子図書館 Gallica から初版の写真版がまるごと無料で閲覧、ダウンロードできる。この「デッサン教育」でラヴェッソンが展開する独自のデッサン論は、ベルクソンが「ラヴェッソンの生涯と業績」で引用したことで有名になったが、哲学的に見て実に興味深い内容なのだ。これについては、11月初旬にパリの ENS で3日間に渡って開催されるベルクソン学会での発表の際に言及するつもりでいる。

 以下は「食をめぐる哲学的考察」の第3回目。

 食についての哲学的考察は、古代から現代までの哲学史を見渡しても、ほとんど見出すことができない。いったいなぜなのだろう。生きることそのことの在り方を根本的問うのが哲学であるとすれば、その生きることにとって不可欠な〈食べる〉という行為についての哲学的考察も当然あってしかるべきなのに、「食の哲学」と呼べる分野がないどころか、そもそも食についてまとまった考察をした哲学者がかつていたかどうかさえおぼつかない。哲学者たちのこの食に対する徹底したとも言える無関心はどう説明されるべきなのだろうか。
 確かに、哲学において食を問題としようとすると、そのアプローチの仕方如何にかかわらず、対象の特定が難しいということもあったかもしれない。例えば古代のストア学派にとっては、食行為が与える感覚の快楽から、他の快楽からと同様、いかに自らを解放するかということがむしろ問題になるだろう。精神の肉体からの独立と前者の後者に対する優位性を説く二元論にとっては、食行為など真剣な議論の対象とはなりにくいであろう。さらには、「何を食べようかと思い煩うな」と説くキリスト教にとって、食に執着することは罪でさえあるだろう。中世の教皇たちがどれほどの食に関しても贅沢三昧だったかはここで問わないことにするが。存在論における食の位置など、そう聞いただけで専門家たちは笑い出すに違いない。認識論において食行為の問題が取り上げられたということもないであろう。倫理学の分野で食行為が考察の対象になったという話も聞いたことがない。社会哲学的な研究ならば、そこで食生活が重要な考察対象となってもよさそうだが、やはり等閑視されているようだ。二十世紀以降盛んになった身体の哲学においても食の問題が特に取り上げられていないのはどうしたわけであろう。そもそも、近世以降繰り返し論じられてきた感覚論においても食行為が特に論じられてこなかったということは、むしろ重大な欠落とさえ言わなくてはならないのではないだろうか。
 私たちは今地球規模での大きな歴史的転換期を生きていると言われることがよくある。その当否はともかく、環境問題が二十一世紀の最重要課題の一つであるならば、身体とその環境世界との関係が最も直接的な仕方で成立する場である食の問題も、まさに不可避の問題になってくるであろう。つまり、今私たちが生きつつあるこの二十一世紀が私たちに突きつけつつある諸問題は、食が未開拓の哲学的考察の領野であることを自覚させようとしていると言えないであろうか。
 少なくとも、差し当たり、次の二つの問題系を、食を主題とした哲学的考察の対象として措定することができるだろう。
 一つは、外なる環境世界と身体との相互的な包摂関係の考察。食することによって、私がそこにおいて生きている世界の一部が私の身体の内部に取り込まれ、それが私の身体を生かす。そのようにして生かされている私が世界において働く、あるいは世界に働きかけ、新しい形をそこに与える。つまり、食べることによって世界の一部を身体内に取り込むことによって、この身体に世界を変えうるエネルギーが、世界内存在であるこの私の身体において生まれる。
 もう一つは、食における五感協働。食におけるほど私たちの五感が見事に協働している時が他にあるであろうか。食材に触れる、食べ物の色・形を見る、その香りを嗅ぐ、調理の際に音を聞く、そして口で咀嚼して味わう。まさに触覚・視覚・嗅覚・聴覚・味覚の共同作業の現場が食である。よく食べるとは、その意味でよく生きることにほかならない。


食をめぐる哲学的考察(2)

2013-06-14 20:00:00 | 食について

 今週に入って、夏の陽射しはまたどこかへ遠ざかってしまった。今日13日は朝から曇り、昼前になって雨が降り出し、午後5時頃まで降り続ける。気温は日中を通じて18度前後。雨があがると、それまで西空を覆っていた厚い雲の間に青空が広がり始め、室内に柔らかな光が射し込んでくる。

 来週火曜日の追試の試験監督まで大学に出向く必要がなく、この期間に28日の発表原稿をあらかた仕上げてしまいたい。数日前から、上田閑照の『哲学コレクションI 宗教』を読み直していて、その師であり、同書にも何箇所か引用されている西谷啓治にも発表で言及しようとは思っていたが、昨日になって、やはり同書に引用されている井筒俊彦にも言及することにした。そのほうが議論により広がりと奥行きができるからだ。とはいえ、発表の主たる目的は、あくまで日常の日本語の語感と用法から、いわば日本人の集合的・共同的深層記憶の中へと入り込み、そこから「虚」「空」「無」という語に込められた思想を取り出すことにある。

 以下は「食をめぐる哲学的考察」の第2回目。読み直しながら、食を分かち合うことの喜びを一緒に暮らしながら私に教えてくれた人のことを思う。

 「同じ釜の飯を食う」― この表現はどのような経験を意味しているのであろうか。同じ食べ物を複数の人間が分かち合って食べるというのが字義通りの意味だが、そこから拡張されて、食事も含めて一定期間共同生活を行うことを意味することもある。「同じ釜の飯を食った仲」という表現もよく見かけるから、そこには人間関係形成上特に重要な契機が含意されているようだ。
 しかし、もともと一緒に暮らしている家族やカップルについてはこうは言わない。そこにはどんな違いがあるのか。一般的に共同生活を話題とする場合、そこでは食以外の日常生活習慣も共有されている一方、他方では、字義通りに食事を共にしているとは限らない。ところが、「同じ釜の飯を食う」という時には、食べ物だけでなく、食事の時間を共有するということがそこには含意されている。言い換えれば、一つ屋根の下に一緒に暮らしていても、食べ物はばらばら、食事時間も別々では、この表現は適用されえない。いや、食べ物が同じでも食事時間が共有されていなければ、この表現が表そうとしている食行為の共同性の条件を満たしていることにならないだろう。しかも、同じ食べ物と言っても、外で出来合いのものを買ってきて一緒に食べただけでは、やはり完全にその条件を満たしたことにはならないだろう。
 以上のように考えてよいのなら、「同じ釜の飯を食う」ということが成立するためには、以下の三つの条件が満たされなければならないことになる。同じ物を食べること、その食べ物は自分たちあるいはその共同生活に給仕担当として参加している誰かによって調理された物であること、同じ時間に一緒に食べること。これを概念的に簡略化してまとめれば、物質的・行為的・時間的共同性という三重の共同性が「同じ釜の飯を食う」ことの成立条件だと言うことができるだろう。
 しかし、それだけのことならば、食以外にもこの三条件を満たす共同的行為はある。例えば、農作業、手工業のような協同的な労働、教室での学習、スポーツなどがそうであり、他にもあるであろう。つまりこれら三条件を満たしただけでは、「同じ釜の飯を食う」という表現が表そうとしている経験の固有性にまだ届いていない。「同じ釜の飯を食う」ことがそれへの参加者たちに、その参加期間中だけではなく、その共同性が現実的には成立しなくなった後にも、なお持続的な、概念的に抽象化されえない、身体的次元で成立する連帯性とも呼べるような親近性を相互に感じさせるのはなぜなのだろうか。言い換えれば、この食の共同性の経験が私たちに与える、他のものには還元しがたい価値はどこにあるのだろうか。
 これらの問いに次のように答えることができるだろう。私たちは、「同じ釜の飯を食う」ことによって、喜ばしい感覚の共時的共有、同じ物を分かち合う関係の平等性、共有された時間空間の中での相互承認・相互理解を学んでいる。しかも、それらは、社会的制度に依拠するのでもなく、法的義務として遂行されるのでもなく、外部的強制によるのでもなく、固定的な形式に拘束されることもなく、単なる伝統的習慣でもなく、個々の身体的主体の行為的参加を通じてのみ形成されうる共同性の経験において体得されているのだ。「同じ釜の飯を食う」ことによって、私たちは、食を享受できる感性的主体でありつつ、人と人の間に生きるものとしての人間になることを、感覚的・身体的次元から、つまり人間存在の構造契機をその原初的次元から学んでいるのである。


食をめぐる哲学的考察(1)

2013-06-13 20:00:00 | 食について

 11日火曜日午後は学科会議だった。9月からの新学年に備えての次期学科長選挙。立候補者1名のため、承認投票。全会一致で承認。その次期学科長から立候補の際に指名されていた副学科長の一人として私の任命も全会一致で承認される。これで私が責任を持つコースが開設された2006年以来ずっと副学科長のポストについていることになり、今回の任期2年を終えると在任期間9年。もう今回を最後のお勤めにして、その後は自分の研究に全力を集中したい。フランスの大学の教育・研究環境はここ数年急速に悪化の一途を辿っており、教員にとっては研究時間の確保がますます難しくなっている。この問題については後日ゆっくりと何回かに渡って現場レポートを残しておきたいが、今は28日の研究発表の準備に集中したい。ここ数日は、遅くとも17日にはその要旨を提出しなくてはならないフランス語の発表原稿を優先して進めている。来週にはその内容についてこのブログでも記事にできるだろう。それまでの間、ある一人の人のために以前書いた「食をめぐる哲学的考察」という一連のエッセイがあり、どこにも発表するつもりはなかったし、あてもないので、せっかく始めたこのブログに、それらを記録として残しておきたい。今日はその第1回目。

 食べることなしに生きることができないという意味で、食は生命維持の必要条件である。しかしただ無選択に食べるだけでは、外部から生命維持にとって害さらには危険をもたらすものを取り込むことにもなりかねないから、それだけでは生きるための十分条件ではありえない。食べるものを生命体としての自己身体にとって適切な仕方で選択・摂取することができてはじめて、食行為は生命維持を私たちに可能にする。つまり、ただ食べるのではなく、よく食べることが生きるためには必要なのである。
 しかし、私たちは何でも好きなものを自由にいつでも食べることができる環境には生きていない。と言うよりも、それはそもそもできない相談である。自覚的か無自覚的かを問わず、私たちの食生活は種々の条件によって限定されており、けっしてそれらから完全に自由になることはできない。たとえ完全な自給自足生活を送り、そのことにすっかり満足しているという極端な場合を想定することができるとしても、そのような生活を送っている人が食べることができるものはその生活を送っている土地の諸条件によって限定されている。他方、食にいくらでも贅沢することができる環境にあり、世界中の珍味を自由に取り寄せて食べることができ、あるいはいつでも食べたいものがある土地に出かける自由を持っている大富豪という逆の極端の場合を想定してみても、そのような環境を享受している人が一生に食べられる量にもやはり限りがあり、いつも選択を強いられていることに変わりはない。
 私たちは何を食べているのであろうか。この問に対して、食材、調理法、献立、栄養素を挙げることによって答えることができると私たちは通常考えている。そしてそれらの答えを基に、複数の人たちが〈同じもの〉を食べているという結論を引き出すこともできると考えている。そこから、同じ食生活パターンを示している集団を構成してみせることもできる。しかし、その時、そこに見出されるのは、その集団の構成要素としての個体、同じ集団に属する以上他の個体と交換可能な、それぞれに固有な個性を持たない、そのかぎりで抽象的な個体であり、それは他と交換不可能な、かけがえのない一個の食する主体ではない。つまり、このような、いわば統計的アプローチによっては、食における自律的個人に到達することはできない。
 しかし、個々人がそれぞれ自覚を持って律する食生活なしには、個人レベルでの近代化はありえないとしても、そのような自律した主体は他の主体との食の共有を排除するわけではない。むしろ自律した主体間にしか、分かち合いは成立しないのではないであろうか。
 宗教儀礼の中には、同じ食べ物あるいは飲み物を分かち合うという秘儀を通じて神に帰依し、そのようにして神に帰依するかぎりにおいてその秘儀への参加者は共同体の成員としての認証を得るというタイプがある。この場合、神への帰依が同じ物を食べ飲むという行為を通じて表現されている、あるいは象徴化されているわけで、食するという行為それ自体がそれとして聖なる行為なのではなく、その行為が神への帰依によって聖化されていると言わなくてはならない。


鏡の中のフィロソフィア (承前)― 講義ノートから(3)

2013-06-12 20:00:00 | 哲学

 この夏の集中講義は7月末から8月初めにかけての5日間。最近は哲学科修士でもフランス語が読める学生は少ないとのこと、この集中講義は原書講読のための演習でもないので、参考文献はできるだけ邦訳のあるものを使うことにしている。それに履修者たちの専攻は、時代・言語・対象いずれもさまざまなので、フランス近現代だけに話が偏り過ぎないように配慮する必要もある。演習の目的は、あるテーマあるいは対象に絞って哲学史を通覧しつつ、その中で繰り返し問われる問題を取り出し、その問題が時代によってどのように変奏されていくかを見ていく中で、哲学的問いの立て方を学ぶことにある。1コマ90分、1日3コマ、5日間で15回分の授業をするので、学生たちにとっては集中力を持続させるのが相当に大変だとは思うが、授業のどこかで、これから自分で問題を見つけ、自分の力で考えていくためのヒントを摑んでくれればよいと思っている。知識の集積が目的ではない。それだけなら自分独りで系統的に文献を読んだほうが速く目的に達することができる。以下が今年度のシラバスに掲載されている講義内容紹介。 

 昨年度に引き続き、人間の認識モデルとしての〈鏡〉についての哲学史的考察を行う。今年度は中世からルネッサンスへの転回点に位置するニコラウス・クザーヌスから現代の認識論までを対象とする。
 鏡に映された自らの顔を見ることで、その顔に与えられている、何かの像としての身分が見る者自身にそれとして自覚される。この自覚から、人間をその内に含んだ世界全体も、それとして在りつつ、それはまた同時に何かの像である、という思想がクザーヌスにおいて生まれてくる。このようなパースペクティヴにおいて、現実の世界の成り立ちを解明することは、二重の意味を持ってくる。一つは、世界の諸々の現象をそれらに固有の法則に従って解明することであり、もう一つは、そのように解明されることを待っている世界を、それ自体としてはそのまま与えられることのない何ものかの像として受け取り直すことである。前者の対象的理解の努力が、世界の諸事象の科学的解明への途を開く一方で、後者のいわば超自然的な受け取り直しが、世界という像がその一つの〈うつし〉であるところのものの形而上学的探究として展開される。このような二重性を持ったクザーヌス的な観点を起点として、世界と人間とについての認識論的構図の変化を、近代から現代へと哲学史の中で辿り直してみよう。
 「汝自身を知れ」というアポロンの神殿に刻まれた古代ギリシアの格言が、『アルキビアデス』の中のソクラテスによって、「汝自身をいかにして見ることができるか」という問いに変換されたのを昨年度の演習で見たが、この問いが、今日私たちが日常的に使用している姿見としての鏡の制作技術が確立され、それが工業化され、鏡の所有が大衆化していく近代を通じて、自己の鏡像をめぐる問いとして反復され、「鏡の中の汝は汝自身なのか」「汝は何かの〈うつし〉なのか」「鏡像は実像なのか、虚像なのか」「鏡に映らぬ汝はどこにいるのか」など、様々な形に変奏されていくのを今年の演習で私たちは見るだろう。


鏡の中のフィロソフィア ― 講義ノートから(2)

2013-06-11 20:00:00 | 哲学

 鏡の中に私が見ているのは誰か? この問いがあたかも閃光のように突然私を襲ったのは、映画『薔薇の名前』(原作ウンベルト・エーコ)の中で、主人公のバスカヴィルのウィリアムスと見習い修道士のアドソが滞在先の修道院の迷宮のような図書館の中で出口を探している時に、歪んだ鏡に写った自分の姿を見て恐れ慄くアドソをウィリアムスがたしなめるシーンを何度目かに見た時だった。人類はいったいいつ、今日私たちが当たり前に使っており、これほどありふれたものはないと言えるほど普及している姿見としての鏡を制作する技術を獲得したのであろうか。それ以前、「鏡」とは何だったのか。「鏡に映った姿」とは何だったのか。古代ギリシア哲学においては、例えば、プラトンの作品の中に、通常「鏡」と訳されている言葉が何箇所か見られ、ラテン語著作の中では、「鏡」がキーワードになっている代表的なテキストの一つとしてアウグスティヌスの『三位一体論』がよく知られている。しかし、それらの用例を今日私たちが考える意味での鏡、つまり、いわゆる「自分の忠実な姿を映すもの」とみなしては、それらのテキストを読み誤ってしまうのではないか。なぜなら、その時代には、今日いう意味での鏡は存在しなかったからだ。この問いを、昨年度の夏の集中講義のテーマとして選んだ。以下がその講義内容紹介。


鏡の中のフィロソフィア
― 認識モデルとしての〈鏡〉をめぐる歴史的・哲学的考察―


 〈鏡〉が人間の認識モデルとして用いられている古代から現代までの様々なテキストを読みながら、実物の鏡と隠喩としての〈鏡〉の関係の変遷を辿り、それによって開かれるパースペクティヴの中で哲学史における認識論的な転回点がどこに見出されるかを問う。
 古今を問わず、また洋の東西を問わず、〈鏡〉をめぐる言説は、文学、宗教、哲学において枚挙にいとまがないほどだが、今日私達が日常的に利用している鏡の制作技術が西洋で確立されるのは15世紀になってからであり、その後2世紀に渡ってその技術は師から弟子へと秘伝され、その間、鏡は王族・貴族間の最も高価な贈答品の一つとして珍重され、庶民には無縁であった。西洋で一般に鏡が普及するようになるのは17世紀になってからに過ぎない。つまり、鏡の普及の始まりは、近代哲学の誕生と時代的にほぼ重なる。自分の姿の忠実な〈うつし〉を人々が日常的に見ることができるようになった時代に近代哲学は始まったのである。
 鏡制作の近代的技術誕生以前の時代おいては、人々は自らの姿を忠実にうつすものとして鏡を見ていたわけではない。実際、フランス語で12世紀に確認される用例は、「物や人のイメージ(像)を与えるもの」、そこから派生した「お手本、見本、モデル」という意味での用例が中心で、これはラテン語に遡っても同様である。さらに古代ギリシアにまで遡ると、プラトンの 『アルキビアデス』に有名な用例があるが、ここでも鏡は、美しい魂に比べれば、むしろ自分についての最も忠実な似姿を与えるものではないとされている。
 ヨーロッパ思想史上最も有名な〈鏡〉の用例は、おそらくアウグスティヌスの『三位一体論』の中のそれだろう。そこでは魂が鏡に例えられ、美しい純粋な魂にこそ神の光が映されるとされている。つまり〈鏡〉は「神からの光を反射するもの」なのである。中世において、キリスト教神秘主義者たちは盛んにこの意味で〈鏡〉を隠喩として用いている。
 翻って近現代哲学においては、一方で、〈鏡〉は実物に忠実な〈うつし〉を与えるものの隠喩として一般化し、他方では、実際の鏡像そのものの認識論的な価値が問われるようになる。
 鏡の歴史を辿る他方で、鏡を介さない自己像の歴史ということも問題にされなくてはならない。
 その一つの起点になるのが旧約聖書「創世記」のアダムとイブの失楽園の物語である。そこで語られているのは、知恵(あるいは生命)の木の実を食べてしまい、自らが裸であることに気づき、それを互いに隠そうとする、それどころか神に対してさえも自分たちを隠そうとする、つまり 全知全能の神に対してそうすることができると思ってしまう一対の男女の振る舞いである。そこには、己が見る自己の身体が自分自身であることの自覚ばかりでなく、他者(神もそこに含まれる)もまた、私が自分の体を見るのと同じ様な仕方で、私の体を見ていると思い込む人間の姿が示されている。人間が自らの視座を普遍的な基準と見なす瞬間である。これが〈原罪〉にほかならない。
 もう一つの始原的な、そして悲劇的な自己像の例は、ナルシス神話に見られる。これは、水面に映った自己像をそれとして認識しえず、他者と思い込み、それを愛してしまう物語だが、これは自己愛の不可能性の物語として読むことができるだろう。

 昨年度は話したいことの半分も話せなかったので、今年度の集中講義は昨年度の続きになる。その講義内容紹介は、明日投稿する。