今朝も7時からプール。パリには38の市営プールがあるが、月曜日はその大多数が休み。月曜も営業している数少ないプールの1つがセーヌ川の上にあり、今日はそこに行ってきた。セーヌ川に浮かんでいる大きな平底船のような施設で、その中にプールとスポーツ・ジムがある。プールの名前はジョゼフィン・ベイカー。フランス語読みすると、ジョゼフィーヌ・バケルとなるが、日本では前者の発音でよく知られており、後者の発音では別人かと誤解されかねない。なぜアメリカ出身のジャズ歌手・女優である彼女の名前が冠されているかというと、彼女は第2次大戦中フランスで過ごし、自由フランス軍のためにレジスタンス活動にも身を投じたから、それを顕彰するためだろう。プールの場所はメトロ6番線のQuai de la Gare から徒歩3分。自宅からメトロに乗って20分足らずで行けるのでときどき利用している。25メートル4コースと小さいが、全面ガラス張り、セーヌ川を行き交うバトー・ムッシュや貨物船などが泳ぎながら見える。天気がいい日はそのガラス張りの天井が開き、直接に陽光が降り注ぐ中、セーヌ川の上を吹き抜ける川風が気持ちいい。しかし、そういう日はひどく混むのでとても泳げたものではないが。逆に、真冬の午後など、まるでコースを一人で借りきったかのように快適に小一時間くらい泳げる。パリの市営プールには 37ユーロの3ヶ月共通有効フリーパスがあり、それを購入すると、一部の例外を除いて、どこのプールでも何回でも何時間でも利用できる。私のような常連だと、1回あたりの利用料は50円前後ということになり、こんな安上がりで快適かつ健康にいい運動もそうないだろう。いろいろ腹の立つこと、不満に思うことの多いパリの生活だが、市営プールだけはそういうわけでとにかく気に入っている。
先週金曜日、郵便受けに日本の友人からの小包が届いていて、事前に何の連絡もなかったので、怪訝な思いで封を切ると、文庫本が一冊出てきた。梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』(角川文庫)。まったく未知の作者。文庫本には、鳩居堂製の、紫陽花を右下にあしらった涼しげな絵葉書が挟まれていて、「この夏、鎌倉でお会いできるのを楽しみにしています」と一言、その下に日付と友人夫妻の名と昨年生まれた子息の名前の連記があるだけ。本の裏表紙の紹介には「時は1899年。トルコの首都スタンブールに留学中の村田君は、毎日下宿の仲間と議論したり、拾った鸚鵡に翻弄されたり、神様同士の喧嘩に巻き込まれたり・・・・・・それは、かけがえのない時間だった。だがある日、村田君に突然の帰国命令が。そして緊迫する政情と続いて起きた第1次世界大戦に友たちの運命は引き裂かれてゆく・・・・・・」とある。茂木健一郎の解説にさっと目を通し、ようやくなぜ夫妻がこの本を送ってくれたのかわかってきた。最近ちょっと弱音を吐くようなメールを彼らに送ったので、私を励まそうとして送ってくれたのだ。
私にとって今まで他に例を知らなかった舞台設定にまず興味を惹かれ、抑制の効いた簡潔な文体に読み始めてすぐに好感を持ち、読み進めるにつれ、全登場人物への作者の情愛が次第に深く感じられるようになっていく。彼らの下宿に飼われている鸚鵡が作品の随所にユーモアとスパイスを効かせ、作品末尾でのその絶妙な反応と、主人公の最後の述懐には胸に迫るものがあった。そして何よりも鸚鵡が発したとされるラテン語の格言「Disce gaudere (ディスケ・ガウデーレ)」(楽しむことを学べ)が深く心に刻まれまた。この格言は、そもそも、古代ローマのストア派の哲学者セネカが、友人であり弟子でもあるルキリウスに送った一書簡中に出てくる言葉(第23書簡。同格言についての簡にして要を得た説明が「山下太郎のラテン語入門」の中にある)。読後、自分もまたその中に置かれている自分の思いを遥かに超えた人々との繋がり、そしてそれぞれの人の運命をもすべてそのうちに含んだ、大きな事柄全体を、それとして肯定して生きることの大切さに改めて思いを致した。メールについ記してしまった一言の中にこちらの心の翳りを敏感に感じ取り、遠く日本から即座にさりげなく気遣いを形にして送ってくれた友人夫婦に心から感謝している。