内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「から」と「ので」との差異について ― 日本語についての省察(3)

2013-06-28 05:00:00 | 日本語について

 日本語初歩の段階で、単文をいくらか学んだ後に導入される最初の複文型の一つが、理由・原因を表す文型である。学習書によっても違いがあるが、接続助詞「から」をまず学ぶことが多い。これは用法が簡単で、単文の後ろにそのままくっつけるだけで、理由・原因を表す節を構成することができるからである。次に学ぶのが「ので」であるが、それまでの間、学生たちはやたらと「から」を使って、文を作りたがる。ところが、なんでもかんでも「から」だけで理由・原因が示せるわけではない。それゆえ、文法的には間違ってはいないのだが、日本人からするとどこか奇妙で、違和感を覚える文が毎年大量生産されることになる。あまり話を複雑にしないために、他の理由・原因を示す文型は脇にのけて、「から」と「ので」だけを比較することを通じで、この違和感の理由・原因を、今日と明日の2日をかけて、突き止めてみよう。
 不思議なことなのだが、この日本人だったら誰でも自由に使いこなしている二つの接続助詞の用法の間に見られる、微妙だが確かにある差異について、納得のいく仕方で明確に説明している学習書は、私の知るかぎり、ないと言っていい。「ので」の方が丁寧であるとか、あらたまった表現であるとか、説明しているものをよく見かけるが、私に言わせると、これは実例の考察から帰納的に導き出した帰結に過ぎず、なぜ両者の間にそのような差異が生まれてくるのかをまったく説明していない。ところが、私見によると、この差異は両接続助詞の基本的機能の違いから明瞭に説明することができるのである。実例を挙げながら、説明していこう。
 その前に一つ断っておきたいことがある。通常日本語初歩では、いわゆる「です・ます」体から入る。これは、その方が動詞の形は一定のままで否定文、疑問文、過去文等が簡単に習得できるからという理由と、実際の運用の際に丁寧表現の方により汎用性があるからという理由とによる。だから、実際の学習現場で「から」が初めて導入される段階では、学習者はまだこの「です・ます」体しか知らない。したがって、彼らが「から」「ので」を学習する際の例文も当然「です/ます」体に限られる。しかし、今日の問題は「から」と「ので」の差異なので、以下に挙げる例文はすべて、問題を単純化するために、「です・ます」体ではなく、いわゆる常体にしてある。
 まず、以下の二つの例文を見ていただきたい。
     例1 毎朝プールに行く から/ので、毎日早起きしている。
     例2 日本語を勉強している から/ので、日本へ行きたい。
 どちらの例も、文法的には正しい。では、「から」と「ので」とは、まったく等価で、相互互換性があると言い切れるであろうか。日本語を母語とされる方たちの中には、「から」のほうに何か若干の違和感を覚える方もいらっしゃるのではないだろうか。しかし、これらの例をいくら見比べても、それだけでその違和感の根拠を突き止めるのは難しいだろう。そこで次の2つの例を見ていただきたい。
     例3 自分で新しいのを買う から/ので、その辞書はいらない。
     例4 雨が降っている から/ので、出かけたくない。
 例3のような文が使われる具体的な状況として、例えば、私が自分では使っていない新品同様の辞書を持っていて、それと同じ辞書を必要としている友人に、「この辞書、ほしければ上げるよ」と申し出た場合が考えられる。その申し出を断るとき、例3のように理由を示すことができるだろう。「から」でも「ので」でもよさそうだ。では、その友人が私に気を使って、もっと丁寧な断り方をするとしたら、どうだろう。やはり「から」でも「ので」でも、どっちでもいいであろうか。この問いには、実は簡単には答えられない。それは具体的な状況についてのさらなる情報がないと、「どっちとも言えない」という答えしかできないからである。それがなぜかは明日の記事の中で説明する。
 例4に移ろう。この場合も「から」「ので」どちらでもよさそうだ。では、両者はまったく同じように理由を説明しているのだろうか。実はそうではない。微妙だがはっきりとした違いが両者の間にはある。しかし、それは、どちらのほうが丁寧か、あらたまっているか、というような問題ではない。
 以上の4つの例における「から」と「ので」との差異を的確に把握するために、次のような状況を想定して、その状況ではどちらの接続助詞を使うか考えてみよう。あなたは朝から熱があり、この体調ではとても仕事には行けない。そこで職場の上司に、今日は休ませてほしいと欠勤の電話をしなくてはならない。理由を説明する文に使えるのは、「から」か「ので」のどちらかだけ。このような条件が与えられとしたら、あなたはどちらを選ぶだろうか。「今朝から熱があるから」だろうか、「今朝から熱があるので」だろうか。実は、この同じ質問を、日本の大学で「現代思想」の講義をしたときに、教室にいた数十人の日本人学生にしたことがある。そのときは、一人の例外を除いて、全員「ので」を選んだ。ところが、「どうして」と聞くと、誰もちゃんと答えられない。しかし、大半の学生は即座に、確信を持って、「ので」を選んだ。いったいなぜなのだろうか。繰り返すが、「ので」の方が丁寧だから、というだけでは説明になっていない。なぜなら、どうして「から」を使うと、上司に対して失礼になるのか、という問いの答えになっていないからである。
 これらの問いに対する私の答えは、明日の記事で示す。