内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日曜日、窓外の雨と雲を眺めながら ― 講義ノートから(1)

2013-06-10 20:00:00 | 雑感

 6月に入ってようやく遅れてやってきた初夏の陽射しが心にも射し込む思いがここ数日していたのに、今日9日日曜日は朝から小糠雨。空は一面灰色、どこに太陽があるのかもわからない。気温も上がらず、窓を開けたままだと寒い。自宅から徒歩10分ばかりのところにあるヴァル・ド・グラース教会の鐘の音が風にのって虚空に響く。輝く陽光をその背後に隠蔽した雲の下、くすんだ光に包まれたまま、微かな憂鬱感が静かに瀰漫する一日。その幕を閉じようと夜の帳がゆっくりと音もなく降りてくるのは午後10時過ぎ。
 4年前から、朝の日課としてパリの市営プールに通っている。週日は7時から、日曜日は8時から。今朝も雨中行ってきた。小学校の頃スイミングスクールに通っていたおかげもあり、水泳は得意。泳ぐのはとても好き。水中での重力から解放された身体感覚と水泳後の適度な疲労が心地良い。単に身体のためというより、私にとっては副作用の心配のない精神安定剤のようなもの。一昨年、昨年は年間を通じて特に熱心に通い、平均すると週5回、一月半ほど、一日も休まずに通った時期もあった。今年に入って、公私いろいろあって、ちょっとモチベーションが下がり、平均週4回。昨年までは、毎回45分から50分かけて最低でも2キロ泳いでいたが、最近は30分で1200から1600メートル泳いでさっさと切り上げている。物足りない気もするが、身体機能の現状維持にはこれくらいでいいかと自分に言い聞かせながら。
 2011年から、夏の一時帰国期間中に、東京のある大学で5日間、「現代哲学特殊演習」という集中講義を担当するようになった。今年で3年目になる。2009年から、フランスの本務校の学生たちの夏期日本語研修の引率として、7月中は3週間大阪に滞在するようになったが、それを知った東京のある大学から、哲学科修士課程1年の集中講義の依頼が来た。それまで日本では2005年度後期に同じ大学の哲学科学部2年の「現代思想」を代講したことがあるだけで、十数年間フランスの大学でしか教えたことがなかった私にとって、日本語で哲学の授業を担当できるというのは容易には得がたい機会、有難いこと、喜んでお引き受けした。最初の年は、声を掛けてくださった先生ご自身がポスターまで作成してくださって、学内に宣伝してくださった。その御蔭で、修士の学生たちだけでなく、TAや学部の学生たちも参加してくれた。その時の講義内容紹介は以下の通り。

 

Sujet の考古学
― 西洋哲学史における sujet の誕生、その死と再生 ―

思惟する主体、あるいは行為する主体は、いつ、どのように哲学へと導入されたのだろうか。それはなぜか。哲学史において数世紀に渡って主体と呼ばれてきたものは二十世紀に〈死〉を迎えたのだろうか。しかし、これらの問いについて考え始めるに先立って、まず思い起こさなくてはならないことは、sujet はけっして近代哲学の産物ではないということである。それはデカルトの発明でもなく、カントによって特権的な地位が与えられた認識主観に還元されるものでもない。本演習は、フランスで最近数年間に出版された、sujet についてのいくつかの重要な総合的研究において実践されている方法論 ― 西洋哲学史における sujet という概念の誕生とその諸条件、関連する諸概念との関係の中でのその展開・発展・解体の諸段階を、sujet を主人公とする、或いはその最終目的とする、一つの大きな〈物語〉としてではなく、樹状的に広がりつつある多元的な問題系として、現在へと開かれた一つのパースペクティヴの中で取り扱うことを可能にする方法論― に学びながら、古代における sujet の前史とその誕生から、古代・中世におけるその展開、近代におけるその発展・飛躍を経て、二十世紀に提起される〈主体〉をめぐる問題群まで、sujet の問題史として通観し、その上で、現在において改めて〈主体〉の問題はどのように提起されうるのかを、一方では広く現代哲学の文脈の中にそれを位置づけながら、他方では日本近代思想史に固有の問題性を考慮しながら、考究することをその目的とする。

 授業には、日本の他大学で教鞭をとっている友人たちも参加してくれて、5日間充実した授業をすることができたのではないかと思う。最終日には、授業の後、毎回出席してくれていた学生さんたちと会食・歓談できたのも楽しかった。このような形で日頃の自分の研究の一部を日本の学生さんたちと共有でき、それについて様々な意見・感想をいただけることは、私にとってさらなる研鑽への促しになっている。人付き合いがことのほか下手で、いつも臆してばかりいる私は、このような貴重な機会を恵まれたことを心から感謝している。


初夏、静かな土曜日、窓外の風景から

2013-06-09 20:00:00 | 雑感

 今日も―ブログ上の日付からすると昨日になるが―日中は比較的いい天気だった。前日ほど澄んだ青空ではなかったが、日中の気温は27度まで上がった。湿度は低く、空気はサラッとしていた。ところが、夜になって空は雨雲に覆われ、俄雨が降りだした。午後9時近くなっても、雨雲の向こうには夕方と変わらぬ明るさが湛えられたままで、空だけ見ていると、何時なのかわからないような空模様。今、南西の方に一瞬稲光が煌き、その数秒後に雷鳴が轟く。そして雷雨。眼下の樹々に宿る小鳥たちはそれでも鳴き止まない。
 私のアパルトマンは建物の最上階8階にあり、窓外正面にはその半分以下の高さの建物しかないので、視界が大きく開けている。その視界の上半分は空。真冬の寒く陰鬱な曇天の日でも、この視界の開けが心を救ってくれることがある。それが気に入っていて、なかなかこのアパルトマンから引っ越す気になれない。ここに居を構えてもうすぐ丸7年になる。フランスでこんなに長く一処に住んだことはそれ以前にはなかった。仮に室内の住み心地がもっとよいアパルトマンでも、すぐ正面に建物が立ちはだかり、視界を遮られ、しかも日中でもレースのカーテンを下ろしたままにしておかなくてはならなかったとしたら、気分も塞ぎがち、鬱々としやすいだろう。
 天井まで届く大きな観音開きの窓は西向きだから日没を部屋から眺めることができる。しかしそれは秋から春にかけて。6月から9月までは、陽の沈む場所が北側に大きく移動していて、夕陽が直接部屋まで射し込むことはない。それだけ太陽が天空高く移動しているわけで、その移動が部屋からはまったく見えない。それでなおのこと午後の時間が止まってしまったかのような感覚が生じるのだろう。仕事に没頭しているときは、窓から見える西空が薔薇色に染まりはじめたのを見てようやく日没に気づくことがある。今の季節、それは午後10時過ぎになる。9月、日没がまた部屋から見えるようになると、ああ今年の夏も終わってしまったのだとあらためて思う。
 正面の建物のすぐ向こうに小中学校がある。週日は休み時間になると、子どもたちが校庭で元気に遊び回る声が付近の建物に反響してよく聞こえる。しかし、それによって集中できなくなるということはなく、むしろその声は生命の躍動を伝え、私を元気づけてくれる。今日は土曜日、学校は休み、辺りはひっそりとしている。直線距離にしたらアパルトマンから300メートルも離れていないところを高架のメトロ6番線が街路樹に見え隠れしながら通過するのが部屋から見えるが、これもすでに日常の風景の一断片、その音が気になるということはない。
 昨日、記事を投稿しようとしていたとき、パリのある大学の日本学部長から、来年度も引き続き「近現代日本思想」の講義を担当してくれるかと打診のメールが来た。すぐに承諾の返事を送る。これで5年目になる。私が担当するこの講義が、フランスの全大学の中で、日本の近現代哲学を正面から取り上げている唯一の講義なのだ。私の本務校では、カリキュラム上自分の專門を教えることができない。だから、私にとってもこの講義はフランス語で日本の哲学について話ができる、とてもありがたい機会なのだ。講義の準備にも自ずと力が入り、いつも準備したことの半分も話せない。学部最終学年の選択科目の一つにすぎないが、登録学生数は年々増え、今年度は17名だった。今年は殊に講義中よく質問が出たが、それらの中にはとても良い質問が毎回あって、それに答えているうちに時間切れということもあった。日本学部の科目だから、学生たちの哲学の素養は充分ではないが、素直に素朴な質問を臆することなくしてくれるのが嬉しい。学期末に、皆勤だった学生の一人から、「先生の授業に出席するのは毎回楽しみでした」とメールを貰った時には、この講義のためにだけでもフランスに独り暮らすことは無意味ではないのかな、とさえ思えた。
 前期だけの講義、一回2時間で13回。日本近代思想史をざっと網羅的に語るだけでも充分な時間ではないし、この講義の他に、近代精神史、近代社会・政治思想史、美学・芸術論、文学理論等を扱う講義があるから、それらと内容上重複しないようにするという配慮も必要なので、近代日本の哲学者たちを主に取り上げることになる。これまで取り上げてきたのは、西田幾多郎、和辻哲郎、九鬼周造、三木清、丸山眞男、大森荘蔵など。来年度はこれらに加えて、田辺元、時枝誠記、家永三郎、井筒俊彦らも取り上げる予定だ。丸山眞男は、いわゆる哲学者の範疇には属さないが、戦後日本の民主主義の理論的リーダーとしての甚大な影響力から見て、その思想を無視することはできない。家永三郎も、哲学者ではなく、思想史家であり、講義ではその田辺哲学の思想史的研究についてのみ言及するが、この研究は「戦争と哲学者」という大きなテーマをその背景としている。時枝誠記も、国語学者であって、哲学者ではない。しかし、夙に中村雄二郎が慧眼にも指摘しているように、その言語思想は哲学の根本問題にまで達する哲学的射程を持っている。井筒俊彦は、イスラーム学の世界的権威として知られているが、遺された業績はその枠組を遥かに超え出て多岐に渡り、特に、その哲学的意味論と共時的構造化論は、哲学の方法論の問題として取り上げるに値する。この他にも取り上げるべき日本の哲学者たちがまだ多々いることは言うまでもないが、それらについては、後年を期する。


午後の陽射しの中、時間が止まる

2013-06-08 20:00:00 | 雑感

 今日は午前中が成績判定会議、午後が学生たちの答案閲覧の立ち会い。どちらも大した仕事ではなく、両者の間の空き時間に研究室で上田閑照の著作を読み返し、仏語の発表原稿の準備をしていた。だが、まだ記事にするほど読み込めていない。この週末に集中して読み直す。記事にできるのはそれからだろう。
 仏語の発表原稿の準備はいつものようにメモを取りながら進めている。こちらは徐々に、まだおぼろげにだが、議論の展開の筋道が見えてきた。取ったメモ同士の間に呼応と限定が始まりだしたのだ。それは、最初はばらばらに思いつくままに記された種々の言葉が互いを求め合い、それぞれその処を得ながら文として形成され、その一文あるいは複数の文として形をとった思考の断片が、今度は自ずと一つのまとまった議論として組織されていく過程で、その過程を生きることそのことが一つの小さな生命の誕生に立ち会うような心の高揚を与えてくれる。この意味で、思索することは生きることそのことにほかならない。
 この5月のパリは、私がこちらで暮らすようになってから最悪の天気だった。一時帰国していた東京からからパリに戻ったのが15日。それ以降、ほとんど毎日曇り時々雨。朝の最低気温が2,3度まで下がり、日中の最高気温が15度前後という日が何日もあった。前半も似たようなものだったらしい。6月に入ってようやく夏らしくなってきた。今日は29度まで気温が上がり、冷房の効かないメトロや郊外電車の中は不快であった。急な気温変化に体もついていくのが大変だ。
 それでも、やはり視界一杯に広がる青空と陽光に翻る街路樹の新緑の煌きを見ると、陰鬱な気分に閉ざされている私の心にも光が射し込む。6月後半、日没は10時を過ぎる。今でも晴れの日は10時過ぎまでまだ夕暮れのような明るさを湛えている。私は6月が7,8月のヴァカンスより好きだ。それは午後5時を過ぎでも、まだ西方の空高く輝く太陽からの陽射しを静かに浴びていると、時間が止まってしまったような感覚が生まれ、日常の時間性から解放されるからだ。これは毎年何度経験しても、その度に再生感をもたらしてくれる。そこにはこれからやってくる本格的な夏への期待感も含まれているだろう。それを誰かと共有できれば喜びは一層大きい。


虚と空(承前)

2013-06-07 11:00:00 | 哲学

 昨日の記事の末尾で、「あるテキストを手がかりに」と書いたとき念頭にあったのは、仏語の発表原稿でも引用するつもりでいる上田閑照の文章だった。複数あるので、まずそれらのタイトルと出典を列記しておく。

「『世界』の見えない二重性 ― 『虚空/世界』と霊性」
(『哲学コレクションⅠ 宗教』、岩波現代文庫、p. 63-76)
「『無と空』をめぐって」(同書、p. 112-140)
「ことば ― その『虚』の力」(『哲学コレクションⅢ 言葉』、p. 20-43)
「根源語 ― あるいは実存と虚存と」(同書、p. 44-61) 
「言葉の遊戯 ― 『虚空/世界』遊戯としての言葉」(同書、p. 108-190)

 すべて既読のテキストだが、今回の発表のために、昨日から再読し始めた。

 上田閑照のマイスター・エックハルト研究については、僭越を恐れず、蛮勇を奮って、批判的な言辞をある講演で述べたこともあるが、ヨーロッパでも必読文献の一つに数えられるそのドイツ語でのエックハルト研究、日本語での禅仏教や西田哲学についての諸著からは、これまでに多くを学んできた。それだけに、今回もただ我田引水的に氏を引用するだけでなく、私なりにその思想と対決したいと思っている。
 今日は、上記の氏の著作の再読中に浮かんだ考えをここに随時記していくつもりだったが、仕事上処理しなくてはならないメールが断続的に入ってきて、何か書き留めるほど集中して考えることができなかった。
 そこで、昨日の続きとして、「空」という漢字の用法について、自分の語感に基づいた感想を記すに留める。
 ある一つの語 ― ここでは一つの漢字 ― の意味についての理解を深めようとするとき、意味の上で近接する他の語と比較して、それらの間にある差異を明確にすることで、問題となる語群全体の動的な関係性を捉えていくという方法をここでは採る。しかし、それはそれらの語のそれぞれについて、一般に妥当する解釈を与えることが目的ではなく、語群全体の動的な相互関係性をできるだけ明確に自分の言葉で提示することによって、自らの思索の現場を示すことがその目的であることを予め断っておきたい。
 「欠席」と言えば、誰がその席にいないのか、わかっている。その意味で、そのそこにいない誰かは欠席という仕方でそこに〈いる〉。例えば、ある会議に出席している人たちにとって、その会議に欠席している人は、まさに欠席という形でそこに〈いる〉のであり、出席者たちはそのような仕方で欠席者とともにある。「欠」は「そこにいるべき人・あるべきものが欠けている」ということだ。しかも、それは一時的な不在に限定される。これはこれで一つの存在様態である。
 「空席」と言えば、それは空いている席であり、その席は誰かによって占められることを待っている。その誰かはわからない。もちろん、誰かのために「席を空けておく」ということもあるが これは別の事柄。しかし、その場合でも、その席が誰かによって占められることを待っているという点では同じである。この意味で、「空」は、「ある場所がそこに受け入れる人・ものを待っていること」。もしそう言ってよければ、「空ろ」とは、心が何かを待っているのに、その待っているものが来ない、あるいはもう失われてしまった状態。「空しい」とは、待っていた、あるいは期待していたもの・ことが到来せず、現実に得られた、あるいは得られるもの・ことはそれとは違ったときに経験される感情。こうそれぞれ定義できるだろうか。
 では、「空」とは何か?「そら」であり、「くう」である。前者は大地に立って見あげればいつもそこにあり、後者はその「空」が私たちをいつも沈黙のうちに、どこまでも開かれたまま、待っていてくれること、いや、すでに無言のうちに受け入れてくれていること、超え包んでいてくれること、そのことではないのか。「空」はどこまでも「空ろ」であり「空しい」。しかし、それは否定的な意味においてではない。一切を超え包む「空」において、すべてが転倒する。空しさの極みにおいて、私たちはすべて受け入れられているのかもしれない。


虚と空

2013-06-06 14:00:00 | 哲学

 今月28日、パリを主たる拠点とする、「アジアと西洋の芸術的言語の比較研究」グループの主催で、「美学的・芸術的概念:鍵言葉、翻訳不能な言葉」というテーマの研究集会が開かれる。そこで私も発表する。テーマは、集会主催者に先月すでに伝えてある。その原題は « Le ciel vide et la terre saturée ― Le néant, médiateur silencieux, ouvert et passible ― »、「虚空と充溢せる大地 ― 〈無〉、黙し、開かれ、受容する媒介者 ―」とでもなるだろうか。原稿はこれから書く。メモは若干とってあるが、どんな議論の展開になるかは、自分でも書いてみないとわからない。
 研究発表・論文ともに、発表言語がフランス語であれば、いつもはじめからフランス語で書く。哲学の論文に関しては、特に、最初からフランス語で書いたほうが、日本語からフランス語に訳すより労力が少ない。翻訳は、たとえ自分の文章の翻訳でさえ、二言語間で逡巡する分だけ時間が余計にかかる。これはどちらの方向でも同じ。かつて自分の仏語の博士論文の日本語訳を出版しようとして、出版社も決まっていたのに、自分自身の仏語の文章の和訳で予想以上の困難に直面し、途中で投げ出したまま、もう8年以上経ってしまった。このことは今でも大きな後悔の種の一つとして心を疼かせている。一般化するつもりは毛頭ないが、私の場合、哲学的思考は、フランス語での方が正確かつ繊細に、しかも自然に表現でき、それを日本語にしようとすると、どうしても日本語に無理強いすることになり、それが苦痛で前になかなかすすめないことがよくある。だが、これは言い訳にすぎない。私自身でもっと日本語での哲学的思考を鍛え上げなくてはならない。不遜を顧みずに言えば、日本語を哲学的言語として鍛え上げることに、微力ながら私も参与できればと思う。先日、一時帰国中にお目にかかった日本での恩師から、改めて、博論の翻訳を仕上げること、あるいはそれとは別に日本語で研究を本にまとめることの大切さを諭されて、ありがたくも、ひどく心に沁みた。
 そんなこともあって、今回は、このブログで論文の下書きのようなものを日本語で書きながら、それと並行して仏語版を作成してみようと思う。初めての試みだ。それは翻訳という形にはならないだろうが、日仏両語間の隔たりを計測しながら、その隔たりを逆に思考の触発剤として書いてみよう。当の研究集会もまさにこの翻訳不可能性の問題をテーマとしているのだから、ちょうどよい機会かもしれない。
 上に掲げた発表題目、それだけ見ても何の論文だか、何を問題にするのか、どの分野に属するのか、見当もつかないだろう。集会責任者からは、特に、日本思想における〈虚〉と〈空〉― その責任者は中国美学思想の専門家だから、 « kong / xu » とも併記していたが ― について話してほしいと依頼を受け、上記のタイトルを選んだ。タイトルを選んでから、話す内容を考え始めた。〈虚〉〈空〉にさらに〈無〉を加えることで、この三つの漢字それぞれの用法、三つのうち二つを組み合わせた漢語、あるいはそのいずれか一つを含んだ別の漢語群の間に見られる意味の差異を、日本語の一般的な用法のうちに観察するところから説き起こそうと思っている。しかしこの領域に不用意に手を出すと、果てしなく広がる鬱蒼とした漢字の森に惹き込まれ、出口を見失い、さまようことになるだろうから、あくまで導入として軽く触れるに止めたほうがいいだろう。白川静博士のあの記念碑的な三部作『字訓』『字統』『字通』のことを思っただけでも、漢字の世界は、その歴史の奥深さゆえに、底知れぬ畏怖を呼び起こす。
 だから以下に記すのは、私自身の貧しい語感から生まれた、一つの小さな随想の域を出ない。
 虚は、単独では、形容詞としての用法「虚しい」がある。空にも、同じ読み「空しい」がある。両者の差異はどこにあるか。確定的なことはもちろん言えないが、強いてその微妙な差異を言ってみるならば、前者は「事物のはかなさ、価値のなさ、無意味さ」、後者は「事物の無益さ、中身のなさ、不在」を指すと言えるだろう。名詞としては「虚ろ/空ろ」があるが、両者の差異についても形容詞の場合と同じことが言えよう。それは両者それぞれを含む漢語を見てみるとよりはっきりするように思われる。「虚」の方は、例えば、「虚妄」「虚飾」「虚構」、「空」の方は、「空費」「空席」「空想」―しかし、これらは私が自分の解釈に都合のいい例を選んでいるだけかもしれない。
 次にそれぞれの反対語を見てみよう。「虚」の反対は「実」であり、「虚実」は漢語として古くから使用されてきた。現実・事実に対する虚偽・虚妄という意味で、〈虚〉と〈実〉は対立する。しかし、私たちが生きる世界は「虚実の世界」だと言うときには、世界は〈実〉だけで成り立っているのはなく、〈虚〉なしには世界は世界たりえないということがそこには含意されている。〈虚〉は〈無〉ではない。とはいえ、〈虚〉と〈実〉の間にあるのは、いわゆる二元的対立でもない。虚の有り方と実の有り方は異なっているのであって、両者相容れないのでもなく、相互に排除しようとしているのでもない。むしろ両者ともにそれぞれの有り方を互いに可能にしている。では、虚実の世界がそこにおいて成り立つのはどこか。ここではこの問いをそのままに残しておく。
 「空」の反対語はなにか。「満」だろう。「空腹/満腹」「空席/満席」という用法はまったく日常的なものだし、同様の例は他にもある。「空満」という漢語はないかもしれないが、前者は「あきがあり」、後者は「あきがなく、一杯」という意味で、両者は互いの反対語だとは言えよう。〈空〉は、何かかがそこにないこと、〈満〉はそこが何かによって充足されていること。ないことは、肯定的な意味も否定的な意味も持ちうる。演劇を例に取ってみよう。観客としては空席があって座れれば、喜ぶだろうし、舞台に立つ役者は、空席が目立つ客席を見れば悲しいだろう。満席はそれぞれの立場に逆の感情を引き起こすだろう。
 しかし、これだけでは「虚」も「空」も、一つの思想の構成要素としてはまだ充分な規定を与えられているとはとても言えない。日常的な用法にだけ依拠してそうすることには無理があるのだろう。そうかと言って、日本思想史における〈虚〉と〈空〉について、いきなり一般的な規定を与えることもできないし、それはそもそも無理な話だろう。やはりあるテキストを手がかりに考えていくという、常套手段を明日からは取ってみることにする。


習慣論(2)

2013-06-05 14:00:00 | 哲学

 ラヴェッソンの『習慣論』をその思想の深みにおいて私が充分に理解できているとは言えない。しかし、このわずか原書で数十頁、邦訳でも70頁足らずの論文は、読むたびごとに新たなインスピレーションを与えてくれる。以下に述べるのは、『習慣論』の中立的な解説ではなく、私がそれをどう読み、どう自分の言葉で言い直し、〈習慣〉と〈繋がり〉とを結び合わせようとしているか、その思索の現場そのものである。
 世界は、最も異なった諸存在同士をも互いに接近させる様々な類似性からなっている。これがラヴェッソンの哲学的直観の核心である。
 哲学とは、そのような世界の第一性質であるところの類似性を、異なった諸事物の間に再び見出すための弛みない努力にほかならない。その努力を継続するためには、分析する知性だけでは不十分で、何よりも必要なのは、そのような類似性を見出したいという欲望とそれをどこまでも探し求める勇気である。
 哲学的思考とは、諸対象を切り分け、それらを切り離すことにその最終目的があるのではなく、見たところおよそ繋がりがなさそうな物・事・人の間に隠された〈縁〉を見出すことだ。それが見出されたときに感じられる恐れにも似た心の震え、それこそ私たちが神秘体験と呼ぶものにほかならないとすれば、哲学的思考は、私たちの日常生活の中に隠された〈繋がり〉の発掘作業を通じて、存在の神秘への途を開くことだと言える。
 では、そのような体験は特殊な体験として、一部の人たちだけに許されたものなのだろうか。特別な知的能力あるいはいわゆる霊感を持った人たちだけに接近可能な世界なのだろうか。そうではない。そのための手がかりは、私たちの一切の個人的努力に先立って、すでにすべての人に与えられている。それが習慣、より丁寧に言えば、私たちが反省的思考を始めたときにはすでにその中で生きている習慣的世界なのだ。
 私たちは、習慣を、日常的にあるいは一定の間隔で反復される行為、それがなぜ繰り返されるのかと問うこともなくなった行為のことだと思っている。もちろんそれはそれで日常的な言葉遣いとして間違っていない。しかし、習慣をそのようにすでにできあがってしまった形から見ただけでは、私たちに習慣が形成されうるということそのことの意味を充分に汲み尽くしたことにはならない。種々の習慣が私たちに教えているのは、すべての存在はそのように最初からあったのではなく、あるときからそのようになったのだ、ということだ。つまり、ただそう〈ある〉だけのものなどひとつもなく、すべてはそう〈なった〉あるいは〈なりつつある〉のだ。この意味で、すべての存在には、およそ似ても似つかぬ、天と地ほどの差があるものの間にも、実は何らかの仕方で、隠された類似性がある。
 この万有に見出されうる類似性を探究することが哲学的思考であるならば、私たちみんなが一人の例外もなく、生きているというそのことによって、哲学的探究への招待状をすでに手にしていることになる。その招きを受けるか受けないかは各人の自由に属する。しかし、この招待を受け、哲学的思考へと身を投ずることによって、私たちは思いもよらぬ〈繋がり〉を発見するかもしれない。自らの習慣を内省することによって、私たちは自らの心を存在へと開き、世界との多様な〈繋がり〉に目覚めさせることができるかもしれない。習慣を通じて、一方では〈意志〉あるいは〈自由〉へと、他方では〈自然〉へと、私たちの心は開かれている。
 ラヴェッソン『習慣論』に触発された以上のような思考から、他者との関係について、以下のような帰結が引き出せると私は考える。他者との出逢いとは、互いの習慣の間に照応・共鳴が見出され、互いの〈なりつつある〉ものが方向性を共有し〈繋がる〉ことであり、その他者と生活を共にするとは、この習慣を共有し合うことで世界へのいまだ隠された関係性を協同して探究していくことである。


習慣論(1)

2013-06-04 17:00:00 | 哲学

 先月5月、博士論文の審査員の一人として公開審査に参加したが、そのためにそれまでの一ヶ月間、その論文の主たる研究対象であるメーヌ・ド・ビランとラヴェッソンの著作を読み返していた。両者ともに自分の博士論文でも取り上げた哲学者であったこともあり、改めて興味深く読むことができた。
 今では日本にも幾人かビランの優れた専門家がいるようだが、ラヴェッソンについては聞かない。稲垣良典氏の『習慣の哲学』(1981)で取り上げられていたと記憶するが、ここ数年、日本の哲学界の動向にはまったく疎くなってしまったので、研究の現状についてはよく知らない。ラヴェッソンはフランスでもよく研究されているとは言いがたい。主たる研究書といえば、今でも、Dominique Janicaud, Ravaisson et la métaphysique (Vrin, 1997)を挙げなくてはならないが、同書の初版は1969年にまで遡る。あとはいくつか哲学専門雑誌での特集号があるくらいだろうか。もちろん、ベルクソンの著名な論文集『思想と動くもの』に収録された 「ラヴェッソンの生涯と著作」 を忘れるわけにはいかないが、これが最初に出版されたのは1904年、しかも、その中には『習慣論』については僅かな言及しかない。それに、この「ベルクソン化された」ラヴェッソン論は、かえってラヴェッソンその人の哲学を知る妨げになると批判する研究者も少なくない。
 ただ、面白いことに、『習慣論』自体は、いまでも、Fayard, PUF、Rivage poche, Éditions Allia など、数種の版が簡単に入手できる。しかし、一般の読者が予備知識なしに読んでも、取り付く島がないかもしれない。わずか数十頁の著作だが、ラヴェッソンが25歳の時に提出した博士論文なのである。その内容は異様なまでに凝縮されており、その一文一文が注釈を要求すると言ってもよい。またそれに値するだけの深い思想を秘めている。フランス哲学史の中でも、非常に特異な、孤高とも言える位置を占めている。
 ついでだが、ビランでさえ、本国フランスでも、Vrin から全集が出てはいるが、專門研究会は一つもない、とビランの専門家である当日の審査員長から聞いて、ちょっと驚いた。その博論の指導教授もビランの専門家だが、自分の大学の図書館にはビラン全集が入っていないと呆れ顔で言っていた。
 しかし、日本では、本国フランスではほとんど忘却されている間にも、ラヴェッソンの『習慣論』に注目する哲学者たちがいた。西田幾多郎をはじめとする、幾人かの京都学派の哲学者たちである。西田は『習慣論』の原書を西谷啓治に借りており、野田又夫は『習慣論』(岩波文庫)の「跋」で、その訳業が九鬼周造の勧めによるものであり、田辺元の教示を仰いでいると記している。その邦訳が出版されたのが1938年、ちょうど原著初版の百年後にあたる。西田が生前にその一部を発表することができた最後の、しかし未完の論文「生命」(1944,1945)の最終章で、野田訳に依拠しながらラヴェッソンの『習慣論』を、彼としては例外的な仕方で、丁寧に忠実に紹介しながら、それを自分の哲学の土俵に引きこもうとしている。その西田の哲学的意図については私自身、博士論文で詳細に検討した。
 ここはそれを繰り返す場所ではないし、そもそもそれをしたいとも思わない。むしろ今回読み直して考えたことを書き残しておきたい。
 ラヴェッソンにおいて、習慣は、世界全体をその内側から、多層・多重な時間空間構成として、それらを互いに明晰に区別しながら理解するための一つの哲学的方法として考察されている。『習慣論』は、その意味で、一つの哲学的方法論なのである。
 さしあたり、簡単にその要点をまとめてみよう。習慣は、意志と自然の中間に位置する。習慣が最も弛緩し、ただ繰り返しのみにまで下降すると自然に至り、逆に習慣が生まれる以前の初発の行為にまで上昇するとき、意志に到達する。現実には、人間の通常の経験内では、純粋な自然まで下降することもないし、純粋な意志まで上昇することもない。両者の間の多層・多重な習慣的世界に私たちは生きている。しかし、種々の習慣の形成過程を観察・分析することで、私たちは自然まで下降する途と意志まで上昇する途を自らの習慣のうちに見出すことができるはずである。
 このように哲学的方法として自覚された習慣を、昨日問題にした〈繋がる〉ということに結びつけて、明日以降考えていきたい。


住まうということ

2013-06-03 16:00:00 | 哲学

 一昨日6月1日土曜日午後、哲学祭という三週間を超える大規模な企画の中の一つのプログラムに発表者として参加した。主催者側からの要望は、日本における哲学の受容について話してほしいということだったので、自分の研究領域にも関わり、大学の講義でも取り上げたことがあるテーマ-〈sujet〉概念の日本への受容史について話した。
 前半は、その訳語としてまず「主観」が定着し、その後「主体」が登場するまでを、小林敏明氏の『〈主体〉のゆくえ』(講談社選書メチエ)に依拠しつつ粗描し、後半は、時枝誠記の言語過程説における〈主語〉と〈主体〉の定義の中に、sujet という言葉の直接の語源であるラテン語 subjectum、さらにはそれがそのラテン語訳であるところのギリシア語 ὑποκείμενον の意味-〈何かの下に置かれたもの〉〈何かに従属するもの〉〈偶発的なことにその発生する機会・場所を与えるもの〉-がかえって鮮明に見出されるという話をした。
 古代ギリシア語の一語の本来的な意味が、西洋哲学の長い歴史の中で見失われてゆき、それが見失われたまま、近代哲学の基本概念の一つとして sujet が日本に導入され、その受容史の中で、起源から遠く離れた意味がそれに付与され、乱用されていった一方で、江戸期の日本語文法研究の成果に主に依拠しながら構想された、東洋の一小国の一言語学者の理論の中に、その遠い起源の原初的な意味が再び鮮明に見出されるという、いわば逆説的な概念の冒険史とでも呼んだらよいであろうか、そのような話をフランス人聴衆の前でした。
 聴衆は、学生、一般市民、それぞれ半数ほどだったろうか。年金生活者らしい高齢者も少なくなかった。階段教室が7割ほど埋まっていたから、盛況だったと言っていいのだろうか。ただ、どこまで私の話が理解されたかはわからない。
 共有されない知は空しい。それは知とさえ呼べないのではないだろうか。それどころか、場合によっては、その孤立した知はその保有者である個人に対して破壊的にさえ働きかねない。

 先日、ホワイトヘッドの『観念の冒険』の仏訳 Aventures d'idées の巻頭に置かれた、訳者の一人によるホワイトヘッド哲学についての全般的解説的序論を読んでいて、その注の一つの中に、

"Le principal défaut de l'individu non relié est qu'il est autodestructeur."
「繋がっていない個人の主要な欠陥は、それが自己破壊的なことである」

という一文を読んで、それがちょうどその時の自分の精神状態に呼応してしまったのだろう、不意打ちを受けたように、直に心に突き刺さった。これだけ読めば、何も特別なことを言っているわけではないし、むしろ一般常識にかなっているとさえ言えよう。ここでいう「繋がっていない」あるいは「結び合わされていない」ということは、ホワイトヘッドにおいては、単に他者とのことだけでなく、社会、文明、自然 果ては宇宙にまで関わることだが、私がこの文を読んだときは、まさに自分の他者関係のことが言われていると読めてしまったわけである。
 それまでの数年間、ある人の博士論文の作成に協力してきた。それはほとんど二人三脚と言ってもいいほど緊密な協力関係だった。しかし、その博士論文は受理されなかった。その結果、協力関係もそこで消滅した。結局私は何をしたのかと、繰り返し自問せざるをえなかった。そんな時に上の一文を読んだ。
 もし、〈繋がる〉〈結び合わされる〉ということが、ある場所に〈住まうこと〉、つまりある場所に foyer を持ち、そこに〈居〉を構え、他者・社会・自然と繋がって生きることだとすれば、私は誰とも何とも繋がっていない。そのような人間は、誰かに協力しようとしても、自己破壊的だから、結果としてその相手をも破壊してしまいかねないのだ。自分でそうあろうなとどはつゆも思ってはいないのに、むしろその逆を心の中では切望しているのに、事実として、私は自他を破壊している。個人としての自分の欠陥がもたらす、かくも過酷な現実に今私は押し潰されようとしている。こうして言葉によって、できるだけ正確に事態を記述・分析しようとすることで、かろうじてそれに耐えている。


とにかく始めてみる

2013-06-02 11:00:00 | ブログ

 新しいことを一つ始め、それを規則的に継続することで、少しは自分の日常に変化を与えることができるだろうか、というのがこのブログを始める動機です。
 かつては、クラッシック音楽の情報が欲しくて、関連するたくさんのブログを毎日のように見ては、その豊かな情報の恩恵に浴し、素晴らしい音楽・演奏をいろいろと発見することができた。それらのブログを熱心に継続される方々の音楽への情熱・造詣の深さにはいつも感心させられ、それらを読むのが楽しい日課だった。
 しかし、いつしか、それらのブログから遠ざかってしまった。クラッシックも前に比べると聴かなくなってしまった。以前は毎日聴き、しばしば深い喜びや感動を与えられたり、癒されたりもしたが、ここのところ、こちらの心に音楽を受け入れる余裕がなくなってしまっていると言ったらいいのだろうか。
 これを書いている部屋の中、すぐ手の届くところに、今でもCDは数百枚あるのに、手が伸びない。何か聴こうかと、それらの前に立っても、どれもその時の気持ちに合わず、選ぶことができない。演奏が素晴らしいものだとわかっていても。それだけ心が枯れてしまっているということなのだろうか。
 もちろん自分でなぜそうなのかはわかっている。でも、まだそれについて冷静に書けるには程遠い精神状態なので、今は書かない。
 少しずつ、このブログに日々思うこと感じること考えることを記していきたい。それはとても儚い試みかもしれない。宛先を書かずに手紙を投函するようなものかもしれない。しかし、そうすることで、いわば言葉を通じて心をこの世界のどこかに書き込んでおきたい。そのことがわずかでも今の自分の心の支えになってくれればと願っている。
 日本から遠く離れた異国暮らしも、丸17年になろうとしている。ここ数年は独り暮らし。それがいつまで続くのかもわからない。どこまで耐えられるのかもわからない。
 しかし、自分の考えたことをいくらかはまとまった形で残しては置きたいと思う。研究者としてはそれは論文という形でということになる。他方、そこには書けないことだが、書き残しておきたいと思う大切なことも少なくない。それらの内省をここに書き記していこう。