内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

歴史における連続性と非連続性との関係は、現代の観点に応じて変化する

2019-09-23 00:07:53 | 講義の余白から

 昨日の記事で引用した内藤湖南の見解に言及している若手研究者の著書として與那覇潤氏の『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(単行本、文藝春秋社、2011年;増補版、文春文庫、2014年)も挙げることができます。
 與那覇氏が言及しているのは、1921年の講演ではなく、その三年後の1924年に弘文堂書房から刊行された『日本文化史研究』です。そこでも、内藤は、「日本史を一か所で切るなら、応仁の乱の前後で切れる」と、ほぼ同様な主張を繰り返しています。
 與那覇氏は、内藤の見解を、「戦国時代以降の日本近世は「中国的な社会とは180度正反対の、日本独自の近世社会のしくみが定着した時代」として考えろ」という意味だと受け取っています(文春文庫版、90頁)。その戦国時代とは、與那覇氏によると、どんな時代だったのでしょう。

 要するに、ロマンあふれる天下統一のビジョンなんて誰も持ってなくて、毎年が大飢饉状態だったので、餓死寸前の難民どうしが血で血を洗う略奪合戦をやっていたのが、真の戦国時代なのです。[中略]こういう一種の極限状況の中で、今日まで続く日本社会のしくみが作り上げられていきます。(文春文庫版、90‐91頁)

 具体的なそのプロセスについては、與那覇氏の卓抜で刺激的な記述をお読みいただくとして、私もまた、戦国時代の極限状況の中から、今日まで続く日本社会のしくみが作り上げられていくプロセスを、いくつかの場面に限ってではありますが、講義の中で見ていきたいと思っています。
 内藤湖南の同じ講演に言及しながら、異なった見解を提示している本郷恵子氏の『京・鎌倉 二つの王権』(小学館、全集『日本の歴史』第六巻、2008年)の次の一節もここに引用しておきます。

 おそらく応仁の乱以降に、近代につながる前近代が始まる。室町時代は、私たちには理解が難しくみえる時代と、思い描きやすい前近代とをつなぐところに位置するのである。[中略]しかし、内藤が上記のように述べたのは大正一〇年である。近代は、すでに現代と同じではなかろう。「今日の日本を知るためには、応仁の乱以後の歴史を知っておいたらそれでたくさん」という言葉は、現代の日本には、もはやあてはまらないのではないだろうか。[中略]近代日本を知るには、応仁の乱以後の歴史を知っていれば事足りるかもしれない。しかし、現代について考えるためには、応仁の乱以前にさかのぼる力が必要である。

 一年の講義の中では、とてもそこまで遡行する時間はありませんが、歴史における連続性と非連続性との関係は、現代の私たちが取る観点とその現代の変化に応じて変容するものであることは忘れてはならないだろうと思います。












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