内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

中世史学の太い基本軸を作った歴史家

2019-09-24 17:38:24 | 読游摘録

 戦国時代を正面からバランス良く網羅的に扱った名著として知られる永原慶二の『戦国時代』が講談社学術文庫の一冊としてこの七月に刊行された。原本は、一九七五年に小学館から刊行された『日本の歴史1 4 戦国の動乱』を基に、二〇〇〇年に増補改訂のうえ小学館ライブラリーから刊行された『戦国時代 16世紀 日本はどう変わったのか』(上下巻)を原本としている。
 この学術文庫版の本郷和人(昨日の記事で言及した本郷恵子の旦那さん)による「解説―日本中世史学を支え続ける「良心」」が、戦後の日本中世史学の中での永原の質量ともに群を抜いた業績の意義を明快に描き出している。
 その解説の冒頭で、本郷は、偉大な歴史家のタイプを二つに分けている。「後世に残る」仕事をしようとするとき、二つの方法があると言う。「一回性を重んじるやり方」と「連続性を重んじるやり方」である。
 前者、タイプAは、「他の誰もが模倣できないような独自の地平を切りひらく。[中略]歴史学と親和性の高い他の学問、たとえば国文学や民俗学や考古学などの方法論と達成までを視野に入れて、研究者独自の学問空間を創造する。その研究成果は余人の追随を許さぬものとなるために「後世に残る」ことになる。」
 後者、タイプBは、「先人の業績をしっかりと受け止めて吟味し、そこに自分の達成を新たに加えていく。その上で、自己の仕事が他の研究者によって正当に評価され、乗り越えられていくのを待つ。この方法ではたしかに研究者個々の名前はいったん陰に隠れるかもしれないが、でも後によく吟味をすれば、その真摯な取り組みがあったからこそ研究は先に先にと進んでいるのであって、歴史学が成長していく限り、進展に大きく寄与したその人の研究は「後世に残る」ものとなる。
 永原は、「まさにBの代表として、中世史学の太い基本軸を作った歴史家であったと評価することが妥当ではないか」と本郷は言う。
タイプAの代表選手が網野善彦である。本郷によれば、石井進も本質はAタイプである。『日本中世法史論』の著者笠松宏至もタイプA。岩波新書の『一揆』の著者勝俣鎮夫はAとBとを兼ね備えたタイプだという。
 ただ、本郷が実際に勝俣から教室で聴いたという教えが面白い。「史料を解釈するとき、二つの実証的な可能性が存在するときには、話が大きく、面白くなるほうをとりなさい」と説いたという。だから、勝俣も、どちらかというとAタイプだ思うと本郷は言う。
 これらいわゆる「四人組」は、網野が一九二八年生まれ、石井と笠松が一九三一年、勝俣が一九三四年であるのに対して、永原は一九二二年生まれ。Aタイプの四人の後輩の「華々しい活躍をやさしく見守りながら、自身は頑としてBタイプであることを崩さない。それが永原であった。」「Aタイプの傑出した学者による「中世史ブーム」を支えたのは、実は永原だったといえるかもしれない。永原ががっちりと実証的な研究を積み上げ、セーフティーネットを張っていたからこそ、四人組は安心して自己の問題意識を深化させ、研究を進めていくことができた。」
 学問研究の発展・深化の現実のダイナミックな構造的関係がわかって興味深い。











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