内的自己対話-川の畔のささめごと

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「一にして萬に之く、之を博學と謂ふ」(伊藤仁斎『童子問』より) ― 「ことばの花筐」(1)

2024-08-06 15:42:10 | 読游摘録

 状態の良い古本を安価で入手できたときは嬉しいものだが、あまりに安すぎてちょっと悲しくなることもある。今日がそうだった。
 神田神保町の一誠堂の正面扉前の平棚に並べられた岩波日本古典文学大系の数十巻の後ろに立てられた横長の小さな厚紙には「一冊200円(税込み220円)」と手書きで記してある。確かに函は経年劣化でかなりいたんでいることは一目見て瞭然であるものの、あまりの安さに驚く。伊藤仁斎の『童子問』を読み直したいと思っていたところなので、それが収録されている第97巻『近世思想家文集』を手にとってみた。上部には亀裂がある函からそっと本体を取り出した。表紙も裏表紙も背もさして傷んではない。奥付を見ると昭和41年(1966)刊の初刷。天には埃が付着し少し汚れているが、小口と地はきれいで、本文にはほとんど捲られた形跡がない。月報も一部日焼けしているだけで、ほぼ手つかずのようだ。
 岩波文庫版『童子問』は品切れで、何軒か古書店を回ってみたが、見つからない。ネットで検索すると、あるにはあるが、状態が良い品にはかなりの値が付いている。現在『童子問』の本文を信頼できる注釈とともに読むには、大系本のほうがずっと入手しやすい。
 しかも、同巻には、本居宣長の『玉くしげ』、石田梅岩の『都鄙問答』、富永仲基の『翁の文』、安藤昌益の『自然真営道・統道真伝〔抄〕』も収められており、巻頭には家永三郎の解説「近世思想界概観」が置かれている。初版刊行から60年近く経った今日でも、全文の読み下し文と原文全文が収録された同巻の『童子問』は最良の刊本の一つであることに変わりない。それが税込みでたったの220円とは……。
 前置きがずいぶんと長くなったが、引用したいのは、仁斎が博学と多学とをきっぱりと区別している次の一節である。

一にして萬に之く、之を博學と謂ふ。萬にして萬、之を多學と謂ふ。博學は猶根有るの樹、根よりして而して幹、而して枝、而して葉、而して花實、繁茂稠密、算へ數ふべからずと雖ども、然ども一氣流注して、底らずといふ所無く、彌長じて彌已まざるがごとし。

 蒼々と瑞々しく繁茂しつづける一本の樹木のごとき博学に対して、多学は、いわば布切れで作った造花のようなもので、いくら綺羅びやかに華実が犇めきあい、見た目は綺麗であっても、そこに命はなく、成長発展することはない。博学と多学との違いはあたかも「生死の相反するがごとし」であり、両者を混同してはならないと仁斎は戒める。そして、「世俗駁雑の學を以て博學と爲る者は、誤れり」とその章(下・第三十三章)を締めくくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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