内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日本の « modernus » を内在的観点から捉え直す試み

2019-09-22 13:46:14 | 講義の余白から

 現代の日本の歴史研究者たちが「近世」と「近代」という時代区分の問題を再考する際にしばしば引用するテキストがあります。それは気鋭の若手研究者たちの場合もそうです。そのテキストとは、東洋史家の内藤湖南が大正十年(1921)行った講演「應仁の亂に就て」の中の次の有名な一節です。

大體今日の日本を知る爲に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知つて居つたらそれで澤山です。それ以前の事は外國の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、應仁の亂以後は我々の眞の身體骨肉に直接觸れた歴史であつて、これを本當に知つて居れば、それで日本歴史は十分だと言つていゝのであります。

 これはきわめて挑発的な言い方に見えますが、今日の歴史研究者たちが、この一節をしばしば引くのは、内藤湖南の歴史観に同意するからではなく、そこに歴史認識についての根本的な問題提起を見ているからです。
 この内藤の見解について、呉座勇一氏は、大ベストセラーとなった『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書、2016年)の中でこう述べています。

なぜ内藤は応仁の乱に他の戦乱とは異なる特別な意義を見出したのか。それは、応仁の乱が旧体制を徹底的に破壊したからこそ新時代が切り開かれた、と考えたからである。

 こうした逆説的な応仁の乱評価は、戦後のマルクス主義歴史学にも引き継がれたばかりでなく、その反対陣営にもそのまま受け継がれた経緯を呉座氏は手短に同書で辿り直しています。もっとも最近の研究は、「応仁の乱に対する過剰な意味付けを排する方向に進んでいる。[中略]応仁の乱を境に日本がガラッと変化したといった主張は見当たらなくなった」と言っています。
 現在の日本における歴史学の最先端の研究をフォロー・紹介することが私の講義の目的ではありません。私が試みたいのは、日本の歴史における « moderne » を、ラテン語 « modernus »の原義に忠実に、かつ日本の歴史に内在的な観点から(しかし、それは東アジア史の中に日本の歴史を位置づけることを排除しません)捉え直すことです。












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