先月、ストラスブール大学教育学部で行なわれた博士論文の公開審査に審査員の一人としていらっしゃられた著者から直接に本書を頂戴した。本書は岩波書店から二〇一四年に刊行されている。
不明にもこの御本をいただくまでは「ちかずみじょうかん」と発音するその名前すら知らなかった近角常観(1870-1941)は、大正期を中心に多くの青年知識人たちに慕われ、彼らの人生の指針に決定的な影響を与えた仏教者である。それらの若き学徒たちはその後実に多様な分野で活躍することになる。常観は、その著書によってばかりでなく、いや、というよりも、歎異抄の存在を広く知らしめ、「絶対の慈悲」を説き続けたその宗教活動によってこそ、青年学徒たちの真の意味での導師となった。
その常観も、若き学徒の時代には深い精神的煩悶に苦しんだ時期がある。浄土真宗の宗門改革運動に身を投じながら、その運動の中で仲間との間にさまざまな軋轢が生じ、人間不信に陥り、そのような不信に陥っている自分自身を嫌悪し、自暴自棄になりかける。ついには心の不調とともに体調もおかしくなり、腰部に激痛が生じてきた。そして入院する。二週間の入院後、「自分は罪の塊である」と苦悶しつつ、治療のために病院に行った帰り道、常観は決定的な回心を経験する。
岩田書に引用されている常観の『懺悔録』の一節をそのままここに引用させていただく(39頁)。
病院からの帰り途に、車上ながら虚空を望み見た時、俄に気が晴れて来た。これまでは心が豆粒の如く小さくあつたのが、此時胸が大に開けて、白雲の間、青空の中に、吸い込まれる如く思はれた。何だか嬉しくてならんで家へ帰つたが、叔父が私の顔を見て、どうしたのか一時に顔が変つたと、大層喜んで呉れた。
それから私はつくづくと考へて、大に自分の心に解つて来た。永い間自分は朋友を求め居つたが、其理想的の朋友は仏陀であると云ふことが解つた。
この一節を読んだとき、拙ブログの六月一〇日の記事で取り上げたジャン=ルイ・クレティアンの本のことを思い合わせずにはいられなかった。常観によるこの決定的回心の回想録には、人間にとって普遍的な経験の相が如実に表現されていると私は思う。
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