内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「平凡きわまることこそ、じつは非凡、最高の非凡さ」― 貝塚茂樹訳注『論語』「解説」より

2022-03-26 10:18:15 | 読游摘録

 昨日の記事の終わりに引用した貝塚先生の「解説」の続きです。『論語』は二千数百年の間読まれ続けてきたわけですが、貝塚先生は、今あらためてその理由を考えてみると、「よくわからない」と仰っています。その上で、こう問いを立てられます。

 孔子の『論語』を古代の聖人賢者である釈迦やソクラテスなどとくらべて、いちばんに感ぜられるのは、その言葉が一見非常に平凡で、ちっとも非凡なところがないことである。このすこしも非凡でなく、一見平凡きわまる孔子の言葉が、どうしてこんなに世に伝わり、不朽となったのであろうか。

 この問いの答えの手がかりを『論語』そのもののうちに探るべく、いくつかの箇所を引用した上で、こう結論づけられます。

『論語』のなかにあらわれる孔子のこの控え目な言動は、それは一見平凡きわまるように見えるが、こういうことを考え合わせると、この平凡きわまることこそ、じつは非凡、最高の非凡さなのである。