今日で『論証のレトリック』からの摘録を一週間続けたことになりますが、まだ本書の三分の一ほどのところです。これまでの記事ですでに納得していただけていることと思いますが、古代ギリシアのレートリケーに今このときに私が関心を向けているのは、単なる好事家的興味からでもなく、現実から目を背けるためでもありません。
今私たちのまわりを日々飛び交っている無数の言説がいったいどんな性質のものなのかをよく見きわめるためにも、古代ギリシア・ローマのレートリケーの歴史を辿り直しておくことはけっして無駄ではないと思うのです。
プラトンによるレートリケー批判をまず見ているのは、当時のレートリケーに欠けているものを一方的に批判するためではなく、それに対抗する代表的勢力であったイソクラテスの修辞学校がどのような教育理念のもとに修辞学教育を展開したのかを、プラトンのレートリケー批判との対比においてよりよく理解するためです。そして、そのイソクラテスの修辞学に一定の効力と有用性を認めた上でアリストテレスが自身の『弁論術』をどのように構築しているのかをしっかりと捉えたいのです。これがさしあたりの私の目的です。
さて、昨日の記事で摘録した『論証のレトリック』の部分の続きを少しだけ見ておきましょう。プラトンによるレートリケー批判の続きです。
プラトンによると、レートリケーは「言論による一種の魂(心)の誘導」(『パイドロス』261A)であり、言論の機能は魂(心)を説得によって導くことにあるのです。したがって、レートリケーは言論が向けられる人々の心と、用いられる言論と、言論の心に対する説得的な働きかけとに関する知識を伴うものでなければならないのです。人々の心にはどれだけの種類のものがあり、それぞれどんな性質のものであるのか、どういう性質の心をもつ人々がどういう性質の言論によってどんな理由で説得されたり、説得されなかったりするのか。こういったことに関する知識をレートリケーは備えていなければならないということです。しかし当時のレートリケーの教科書にはその説明が欠けていたわけで、その点が批判されるのです(同上270E‐272A)。
幸いなことに、今日の私たちはこれらの知識を持っています。あるいは、少なくとも、学ぼうと思うならば学ぶことができます。そのためのよい教科書もあります。これらの知識を身につけるのは、なにも自らが弁論家になるためとはかぎりません。弁論家によって騙されないようにするためだけであっても、私たちはレートリケーの技術を学ぶ必要があるのではないでしょうか。