内的自己対話-川の畔のささめごと

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思慮分別を伴う言論 ― イソクラテスにとっての「哲学」

2022-03-10 09:09:00 | 読游摘録

 イソクラテスにとっての「哲学」とは、プラトンのいうような哲学ではありませんでした。問題とされる事柄について体系的な知識を探究する営みではなかったのです。イソクラテスの考えでは、「何を為すべきか、何を語るべきか」について厳密な「知識」を獲得することは「人間の本性」にとってもともと「不可能」なことなのです。したがって、「知者」(ソポス)とは、「思いなし(健全な判断)―ドクサ―によって大概の場合に最善のものに達することのできる人々」のことです。そして、「哲学者」(ピロソポス)とは、「そのような思慮分別(プロネーシス)を最もすみやかに獲得するもとになる事柄の勉学に従事する人々」のことなのです。イソクラテスのいう「思慮分別」とは、実生活において何を為すべきかという政治的・倫理的な行為の規範に関する健全な判断(ドクサ)にほかなりません。それをプラトンの哲学が求めるような精確な知識として獲得することはできないというのです。
 しかも、「思慮をもって行為される事柄は何ものも、言論の力なしには生じないこと、またあらゆる行動、あらゆる思想を導くものは言論であり、その言論を最もよく用いるのは最も多くの知性をもつ者である」とイソクラテスは主張します。思慮分別に裏づけられた言論、人々相互の説得こそが、野獣としての生からの脱却、国家社会の建設、法の制定、技術の発明など、われわれのあらゆる文化の確立をうながしたと認めるわけです。
 イソクラテスは、レートリケーを中心として詩文、歴史、政治、倫理道徳などを合わせて学ぶことによって、人間的(人文的)教養の獲得をめざす「哲学」を提唱しました。その教養というのは、前述のような思慮分別を伴う言論の教養だったのです。このようにして、イソクラテスは、西洋におけるレートリケー(レトリック)を中心とする人文的教養の伝統の基礎を確立したのです。
 浅野楢英氏によるこの解説を読んだだけでも、イソクラテスによって確立されたレートリケーがヨーロッパ文明全体に対してどれだけ大きな貢献をしたかがよくわかりますね。
 アリストテレスによるレートリケーの理論は、以上のような歴史を背景として成立したのです。