内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日記をつけるのは不幸だからか ― K先生の酔狂随想集『暮らしの中の因果応報』(没企画)より

2020-02-16 23:59:59 | 随想

 人から強制されて読んだ作品でそれが面白かったということはあまりないように思う。国語の教科書で授業中に読まされたりすると、せっかくの名作であっても、素直に作品の中に入っていけなかった。もっとも、後に同じ作品を自分で自由に読んで楽しめるようにはなったけれど。
 読書感想文も嫌いであった。別に読みたくもない本を読めと強制され、しかもそれについてもっともらしい感想を書けと強要するのは非人道的な拷問である。小学校から中学にかけてかなりこの拷問を受けたはずだが、幸か不幸か、何を読んだかまったく覚えていない。
 中学まではろくに読書をしなかった。これは今さら後悔しても仕方がないことだが、子供のときに読んでおけばよかったような名作をだからほとんど読んでいない。読書熱に取り憑かれたのは高二のときだった。当時、我が家は暗かった。父が入退院を繰り返し、十二月に亡くなった。その暗さの中で読書に沈潜した。新潮文庫で読めるかぎりの太宰治の作品を数ヶ月で全部読んだ。
 その直後、不思議なことに、国語の成績が突然よくなった。それまではクラスの中の上といったところだったが、以後常にクラスのトップを争うようになった。だから今でも太宰治には感謝の気持を抱かずにはいられない。
 同じころ日記も付け始めた。格好をつけて言えば内省録であったが、実のところは鬱屈した心のはけ口だった。数年後に焼却した。哲学科の院生だった頃、「日記をつけるのは不幸だからだ」という自説を突然ぶちはじめた先生がいた。居合わせた別の先生が「私は昔からずっと日記をつけていますが、自分が不幸だとは少しも思いません」と反論したら、「それはあなたが自分の不幸に気づいていないだけだ」と日記不幸論者は譲らなかった。確かに当時の私は不幸だったのかも知れない。
 ここ十数年、その日の出来事をメモ程度に記す仏語日記をずっとつけているが、これは後になって何か思い出す必要があるときに結構役に立っている。日記をつけることは不幸だからだとしても、日記にはそれなりの効用もあるわけだ。
 今日は、授業の準備の一環として、教室で読ませたい文学作品を探していた。つまり、少年時自分がその犠牲者であった罪を今は学生たちに対して犯す側に回っているというめぐり合わせである。罪深い話である。
 その探索の合間、明治三十九年一月九日付の漱石の森田草平宛の手紙が目に止まった。当時漱石は東京帝国大学文科大学英文科講師・第一高等学校講師であった。前年に『ホトトギス』に「吾輩は猫である」を発表し、この年の四月には『坊っちゃん』、九月には『草枕』を発表する。その手紙に、「僕もそれだから大に聡明な人になりたい。学問読書がしたい。従ってどうか大学をやめたいと許り思って居ます」とある。翌年四月に漱石はそれを実行に移し、朝日新聞社に入社する。