内的自己対話-川の畔のささめごと

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類まれなる美酒の如き名訳を文化遺産として所有している幸い ― ゲーテ『ファウスト』手塚富雄訳

2020-02-04 05:26:12 | 読游摘録

 ゲーテ『ファウスト』の手塚富雄訳は、その最初の出版時から名訳の誉れ高かった。第一部が1964年、第二部が1970年に出版された。その後推敲が加えられた一巻本の限定特装版(980部)が1974年に刊行された。いずれも当時の中央公論社からである。訳者としてはこれを最終の仕上げとするつもりだったが、特装版出版と同年に中公文庫としても発行されることになり、その機会にもう一度全体に目を通して手が入れられた。
 「訳者のことば」には、「思えばこの作品の翻訳をはじめてから十二ヵ年ほどになるが、そのあいだ訳者は、原作者の意図の把握、訳文のニュアンスや効果などでもう一息と思えるところを、原文や訳文を読みかえすたびに、考えたり工夫したりして、手持ちの本に書き入れをしてきたので、この訳は少しずつではあるが成長してきたわけである」と奥ゆかしく記されている。
 この文庫版の改版が中央公論新社から昨年刊行された。第一部には、フランス文学者の河盛好蔵の「渾然たる美しい日本語」とドイツ文学者の福田宏年の「自然に胸にしみいる翻訳」という二つのエッセイ(1971年刊の『ファウスト 悲劇(全)』月報に掲載)が巻末に新たに付され、第二部には、文芸評論家の中村光夫のエッセイ「『ファウスト』をめぐって」(初出はわからないが、底本は『中村光夫全集 第十巻』筑摩書房、1972年)がやはり巻末に付されている。
 河盛好蔵は、「『ファウスト』の第二部はとくに難解をもって聞こえているが、その壮大で、深淵で、複雑で、多彩で、機知に富んだ内容が、斧鉞のあとをとどめない渾然たる美しい日本語になっている。とくに詩的イメージの再現が見事である」と絶賛している。
 福田宏年は、手塚富雄が『ファウスト』の翻訳に苦心しているときのエピソードを紹介し、「第二部の翻訳を終えられたとき、「もうヘトヘトだよ」と、大きい吐息を漏らされたのを、今もはっきりと覚えている」と思い出を記している。
 中村光夫は、もともと自分にとって「鎖された古典」だった『ファウスト』を手塚訳で読むことによって、「思いがけなくひきこまれて、全篇を一気に通読し、しばらくは何も手がつかないほど感銘をうけました」とエッセイの冒頭で言っている。
 「万人が楽しめる日本語の『ファウスト』を文化遺産として持てたこと」(福田宏年)は、私たち日本人にとってほんとうに喜ばしくかつ誇らしいことだと今あらためて思う。