内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『創造的進化』と『道徳と宗教の二つの源泉』における « élan vital » の使用例について

2018-10-16 11:53:28 | 哲学

 『創造的進化』には、確かに、第一章最終部分に« L’élan vital » という項目が頁上に記された節があり(88-98頁)、そこで視覚器官の形成過程をその適用例としてエラン・ヴィタルとは何かが説明されている。昨日の記事での最初の引用もこの節からであった。
 その引用箇所を読むかぎり、エラン・ヴィタルは差異化の原理であるというドゥルーズの所説を支持せざるを得ないように思われる。しかし、そう単純には結論づけられないのではないであろうか。
 今日の記事では、以下、書誌的事実に基づいた推論(あるいは邪推)とそれによってもたらされる予想(あるいは希望的観測)について述べる。
 ベルクソンが « élan vital » という表現を同書の本文中で使っているのはわずかに二箇所だけ(254、261頁)で、どちらもイタリックで強調してある。 « élan » という単語の使用箇所は全部で39箇所。付随する形容詞ごとの頻度は、 « initial » が1回、« originel » が6回、 « primitif » が3回、 « unique » が1回。これに準ずる場合として « de vie » が付く場合が1回。これらの使用例のうち、 « initial » の単独例は « élan initial de la vie »、« originel » 6例のうちの1例は « élan originel de la vie » と組み合わされている。
 これに対して、『道徳と宗教の二つの源泉』では、« élan vital » という表現が11 回現れる。それに、『創造的進化』では見られなかった « élan d’amour » が4回、 « élan créateur » が5回数えられる。これら後ニ者の考察には後日立ち戻るとして、 « élan vital » に話を限定すると、この表現そのものは、1907年に出版された『創造的進化』の段階ではまだそれほど概念として熟してはおらず、1932年出版の『道徳と宗教の二つの源泉』に至って概念として安定化する一方、新たに導入された « élan d’amour » と « élan créateur » に対して、その射程がより明確に限定されるようになっていると予想することができる。そして、それら三者との関係においてエラン・ヴィタルと〈結び〉との比較論もその論点がより明確になると期待できる。つまり、『道徳と宗教の二つの源泉』においてこそ、エラン・ヴィタルと〈結び〉との比較研究は生産的なものになりうるだろう。