内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「あの美しいシャボン玉をこわさぬように」― 小泉節子「思い出の記」より

2018-10-10 23:59:59 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンの妻小泉節子が残した「思い出の記」は、ハーンの人となりと彼の創作現場を知る上でこの上なく貴重な証言であるばかりでなく、読んでいてはっとするような印象的な表現が所々に出てきて、それがこの聞き書きをとても魅力的な読み物にしている。ハーンのちょっと可笑しな日本語をおそらくそのまま再現しているであろうところも興味深くかつ読むのが楽しい。
 ハーンにとって想像の世界に遊んで書くことが何よりの楽しみであったことを示す例として、「私の好きの遊び、あなたよく知る。ただ思う、と書くとです。書く仕事あれば、私疲れない、と喜ぶです。書く時、皆心配忘れるですから、私に話し下され」と言っていたこと、節子が提供者であった話の種が尽きると、「ですから外に参り、よき物見る、と聞く、と帰るの時、少し私に話し下され。ただ家に本読むばかり、いけません」と彼女に話の取材を頼んでいたことなども、こうしてハーン自身の言葉で示されていると、より印象深く読み手に伝わってくる。
 妻節子は、話の種の提供者としてかけがえのない創作協力者であったと同時に、ハーンが創作活動に集中できるように家庭内環境を細心の注意を払って整える優れた伴侶でもあった。
 物音にことのほか敏感なハーンのために、彼の創作中は、「いつでもコットリと音もしない静かな世界」にしておいたという。簞笥を開ける音に対してでさえ、「私の考えこわしました」などと言われてしまうので、引き出し一つ開けるにも、そうっと静かに音のしないようにしていた。この後に次のようなそれ自体とても美しい表現が出てくる。
 「こんな時には私はいつもあの美しいシャボン玉をこわさぬようにと思いました。そう思うから叱られても腹も立ちませんでした。」
 ここを読んだだけでも、節子がどれだけハーンの作家としての仕事を大切に思い、それを深い愛情をもって支え続けたかがよくわかる。