内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

〈結び〉とは違い、エラン・ヴィタル(生命の弾み)は、なによりもまず差異化の運動である

2018-10-15 20:40:24 | 哲学

 ベルクソンのエラン・ヴィタルは、ドゥルーズが『ベルクソニスム』第五章 « L’Élan vital comme mouvement de la différenciation » (Le bergsonisme, PUF, 1966, p. 92-119) で明確に指摘しているように、なによりもまず差異化の運動であるから、そのままでは〈結び〉の運動とは一致しない。それどころか、むしろそれと対立するように見える。
 ドゥルーズも『ベルクソニスム』同章で参照しているように、ベルクソンは『創造的進化』第一章最終節 « L’élan vital » で、« Elle [=la vie] ne procède pas par association et addition d'éléments mais par dissociation et dédoublement. » (L’évolution créatrice, PUF, 2007, p. 90. 「生命は、要素の結合や累積ではなく、分離や分裂によって、仕事を進める」(ちくま学芸文庫電子書籍版) とイタリックで強調しているくらいである。
 『創造的進化』第二章のはじめの方でも、« la vie est tendance, et l’essence d’une tendance est de se développer en forme de gerbe, créant, par le seul fait de sa croissance, des directions divergentes entre lesquelles se partagera son élan. »(ibid., p. 100, 「生命は傾向であり、傾向の本質は、ただ増大するだけで、分岐する諸方向を創造しながら、束状に自身を展開することだ[…]。創造された諸方向は、生命の弾みを分有している」(ちくま学芸文庫電子書籍版)と述べ、これとほぼ同じ表現が『道徳と宗教の二つの源泉』でも繰り返されている(Les deux sources de la morale et de la religion, PUF, 2008, p. 313)。
 ベルクソンのテキストの上掲の引用箇所を見るかぎり、そしてドゥルーズの所説に従うかぎり、分離や分裂の推進力たるエラン・ヴィタルの運動と相異なった複数の存在を結合する〈結び〉の運動とは、真っ向から対立し、両者の類似点を見つけることは困難なように思われる。