ちょっと唐突なのですが、私が学生たちに伝えたいと願っていることは、ただ一つです。それは、自己救済のテクニックとしての想像力の論理です。残念なことに、現実には、ひとえに私の無力ゆえに、ほとんどそれは伝わっていまんせんが。
にっちもさっちも行かない状況に陥るということは誰にでもありえます。そんな状況に置かれたときに、ああ、これって少しは役に立つかもって、学生たちに思ってもらえるような方法を彼らに伝えることができたらなあって、いつも思っています。
ここ数日の記事で話題にしてきた私の授業の「奇矯な」課題は、鬼面人を驚かすためでも、奇を衒うためでも、「受け」狙いでもありません。ちょっと大げさな言い方が許されるならば、困難な現実から自らを救済するための方法としての論理的思考の習得こそがそのほんとうの狙いです。
私はそれが想像力の論理だと思っています。空想や夢想とは違って、現実の所与に足場を置き、現実にはばらばらに与えられている諸要素を結びつけ、そこから状況に対して垂直上方へと飛躍する想像力の論理を、日本の歴史と文学の中の具体的な事例を通じて、なんとか彼らに伝えることができればなあと思っています。将来、どんな職業につこうが、どんな立場に立とうが、必ず役に立つであろう思考方法を、日本の文学と歴史を通じて、彼らに伝えたい、そう願っています。