万葉の歌人たちも平安朝の歌人たちも、自分たちの詠んだ歌が千年先もなお読まれ続けるだろうとは想像だにしなかっただろう。いずれもそれぞれにその時に応じて詠まれた歌だったのだから。あるいは自分の死後も自分の歌が永く読み継がれることを願った歌人たちもいたかも知れないが、そのことを主たる目的として詠まれた歌はないだろう。歌合の席で詠まれた歌など、そのときの相手方に勝たんがために工夫を凝らし斬新な表現を狙っただけのものも少なからずあっただろう。もちろん、そのような歌のほとんどは凡作・駄作として忘却の淵に沈んでいくほかはなかった。しかし、それら無数に詠まれた歌の中から、今もなお人々に読まれ、愛されて続けている歌が何百何千と残っているということに、今あらためて深い感動を覚える。
昨日までの連載記事の中で見てきたカイロスとクロノスとの区別と関係を、その文脈を無視して強引に転用するという暴挙に出るならば、千年の時を超えて読まれ続ける名歌・秀歌はいずれも、流れる時間であるクロノスの中のごく限られた時間を生きた歌人たちによってその人生のある時点で詠まれ、そのクロノスの中の時においてカイロスを捉えることにそれぞれに成功しているからこそ、時間を超えた価値を有つに至ったのだ、と言えるだろう。
アガンベンによって援用されたギュスターヴ・ギヨームの「操作時間」という概念を、これもまた無茶を承知で濫用するならば、和歌とは、クロノスにおいてカイロスを捉える操作時間の実践形式の一つだと言えるだろう。