内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

集中講義の準備をしながら

2016-07-18 02:37:21 | 講義の余白から

 時事に無関心ではいられないが、差し迫った集中講義の準備を第一優先としなくてはいけない。
 昨日は、25日から始まる五日間の講義の初日の詳細なプランを練った。昼食後、時差ボケゆえの抗いがたい睡魔に襲われ、一時間半ほど昼寝したが、それ以外は朝から夕食時まで作業を続け、あらかた目処は立った。あんまり作りこみ過ぎても、当日それに縛られて、その場での思考の自発性を損なってしまいかねないので、この辺でいいかなというところで切り上げた。数日後にノートとプランをもう一度見直し、修正と増補を行うことにする。
 今回の講義で取り上げる三人の日本の哲学者、西田幾多郎・和辻哲郎・三木清のうち、西田については、こちらも長年それなりに読み込んできているから、その間の傍線や書き込みがある西田のテキストを開けば、どこから読み始めても、すぐにコメントできるくらいにはすでに準備ができている。その意味では、改めて今回の講義のための準備に多くの時間を割かなくても済む。とはいえ、西洋哲学を主専攻としていて、西田をほとんど、あるいはまったく読んだことがない哲学科修士の学生たちが相手であるから、彼らにわかるように説明するには、その場での彼らの反応を見つつ、適宜対応する必要はある。
 和辻については、和辻についての博士論文を準備している方にお手伝いをお願いした。これは、この集中講義を担当するようになって六年目の今年初めて試みることである。その方に自分のこれまでの研究成果の中からその一部を講義のテーマに沿う形で発表してもらい、それを基に講義の一部を組み立ててもらった。数日前にその講義プランが届いたが、実に周到に準備してくれていた。こちらの依頼を快く引き受けてくださたったその方自身にとっても、出席する学生たちにとっても、よい刺激になればと願っている。
 三木については、その著作の一部でしかないとはいえ、高校時代以来愛読してきた。研究対象として西田そして田辺と読み込んでいるときから、次に読み込むとすれば三木にするつもりでいた。今回の講義で三木を取り上げることは、その意味で、自分の研究にとって新たな出発点となる。それもあって、この機会に全集二十巻(1984年から1985年にかけて刊行された第二版)を購入した。ネット上の「日本の古本屋」で探して、中身は新本同様の美品を入手することができた。送料含めて一万二千円を切る価格で購入できたのもありがたかった。