内的自己対話-川の畔のささめごと

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小休止ならびに暫定的まとめ ― ジルベール・シモンドンを読む(116)

2016-07-13 09:24:35 | 哲学

 7月5日から昨日までの記事では、人名としては本文にシモンドンのシの字も出て来なかったが、中身はずっと ILFI 215-218頁の内容を追っていた。ほぼ原文に忠実に訳しただけのところもあるが、それだけではわかりにくいと判断したところは、かなり意訳したり、補足説明を付け加えたりしたが、その都度それを断ることはしなかった。シモンドンの所説を自分なり咀嚼しようと、専ら自分のために読解ノートを書いてきたようなものだと言えばよいであろうか。
 今読んでいる箇所に限らないが、同書は、内容的には繰り返しが多く、必ずしも議論が緻密でもなく、ときに類比的に話が飛躍する。シモンドンを批判的に検討する段階になれば、そういうところこそ問題にされなければならないだろう。しかし、シモンドンの思考のスタイルに付き合い、それと「馴染みになる」ことを目指している現段階では、飛ばし読みして先を急ぎたくなる気持ちをぐっと堪え、本文に沿って地道に気長に所説を追い続けることにする。
 ILFI第二部第二章第二節 « Information et ontogénèse » 第三項を読み始めた当初は、そのタイトル « Limites de l’individuation du vivant. Caractère central de l’être. Nature du collectif » に明示されている三つのテーマ ―「生体の個体化の限界」「存在するものの中心的性格」「集団的なものの本性」― のうちの最初のテーマについての所説だけをまず追っていくつもりだった。ところが、それを追っていくうちに後の二つのテーマが入り込んできたことは昨日までの記事に見られるとおりである。この三つのテーマは、そのように互いに分かちがたく結びついているからこそ、三つセットで第三項のタイトルとして掲げられていたのであろう。
 同項にはまだ一頁半ほど読み残しがあるが、ここまで読んできたところに基づいてこの三つのテーマの下に論じられてきた内容を暫定的に一言にまとめるとすれば以下のようになるだろう。
 存在とは生成であり、生成とは個体化であり、その個体化には次元を異にしたレベルがあり、生物個体レベルでは互いに相対立する諸過程が集団レベルでは生ける全体に統合され、集団は恒常的に準安定的であり、問題解決のために自己更新を繰り返す。
 これだけ読むといかにも全体主義的で、いわゆる個体は集団に統合されてはじめて存在意義を持つのかと問い返したくなる。しかし、第二部では、個体概念は、まだ高等生物一般に適用されており、心理-社会的存在である主体としての人間に限定されてはいない。それゆえに適用の範囲に曖昧さが見られるところもあるが、人間における心理-社会レベルでの個体化論は第三部と第四部で展開されるのだから、そこを読むまでは早急な批判は差し控えることにしよう。