内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

集団において象徴化する個体の行動 ― ジルベール・シモンドンを読む(117)

2016-07-14 05:50:56 | 哲学

 さて、一息入れたところでILFI本文の読解に戻ろう。218頁最後の数行から219頁真中よりやや上の段落の終わりまで釈義的に内容を追う。
 各個体レベルでは、高等生物の成長と老化は、相容れない二つの過程として対立している。しかしながら、両者を分離することもできない。到来する問題を順次解決しつつ未来へと向かう成長と過去の残滓の蓄積により問題解決能力が徐々に減衰していく老化とは、生物個体の矛盾的同一性を構成しているという言い方もできるだろう。
 この個体における未来と過去とが、ある種の一致に至り、システムとして秩序づけられるのは、より高次元での公準系においていである。それをもたらすのが集団の現在である。この集団の現在がその時間的奥行の中に個体の未来と過去とを統合する。集団の現在による統合化は、個体の側から見れば、個体が己の行動によって集団の現在に自己を統合化することに他ならない。
 集団は、しかし、個体化された存在を己のうちで一方的に条件づける支配的実体でもなければ、個体化された諸存在に対して先在する超越的な形相でもない。集団を集団たらしめているのはコミュニケーションであり、このコミュニケーションが個体レベルにおけるズレを包み込み、その対立を解消する。この包摂と解消は、諸作用の協働からなる現前によって、つまり、集団の内的共鳴によって未来と過去とがある意味で一致することによって実現される。
 どのような個体も完全には個体化されてはいない。個体化されていない部分があるということは、当面するある問題に対して解決策が見つかっておらず、それが留保されているということである。この意味では、ある集団を形成する複数の個体は、いつも或る同じ問題を共有していると言うことができる。それゆえ、それらの個体の中の一つがある問題を解決するために取った行動が、他の諸個体に対して直接的に作用することなし、他の諸個体にとって問題解決のための象徴として機能しうる。このように個体の行動が象徴として機能しうる場所が集団であり、その場所においてこそ、象徴表現レベルにおいて、個々の行動の個体から個体への直接的作用ではない、行動の原理の転導が起こりうる。