『時が癒いやしてくれることを
「日にち薬」といいます
日時が薬になって
どんな悲しみも治してくれる。
ほんとうにやさしく人の心を癒すのです。
悲しいときはじっとして
そのいやなときが過ぎていくのを
待ってください。』
SNS
で
時々
眺める
仏教の言葉
毎回
じんわり
沁み込み
心根
を
育んでくれる
愛犬不在の今
代わりとなる存在
は
無くとも
時と共に
其処は
余白。
として
余韻。
として
そのままで
いいのではないかな
と
想えるようになった
少しずつ
少しずつ
対抗馬
の
ように
書き記すけれど
ワタシ
が
好きな
此の街の教会
に
掲げてある
『ヒトはパンのみで生きるのではない』
其れにも
改めて
気付かされるようになったから
其のコトバには
続きがあって
『神の口から出る
一つ一つのコトバで生きる』
そう
繋がっていくそうだ
神
とは
自身
の
中にある
良心のコト
だと
想うし
目の前
で
微笑み
ヒカリ放つ
かけがえのない存在
の
コトだとも
想える
愛犬
も
姿無き
今は
ワタシの中の良心に
きっと
のんびりと
住み続けてくれる筈だろうし
日々
環境は
きっと
同じくらいの
心地好さと
彩りを
与えてくれている
ワタシ
が
ワタシ
を
生きる限り
付き纏う
出逢いの歓び
と
別れの必然
其のどちらも
大切な
関心事
其れらに
夢中になって
生きるコトだけで
人生
は
充たされる
いや
足りないくらい
なんだろう
本来
は
何か
を
嫉むコト
や
取るに足らぬコト
に
かまける
ヒマなど
無いほどに