先週日曜は夜、繁昌亭へ。
いつもは梅田から歩くのだが、あまりに暑かったので
久し振りに南森町まで地下鉄に乗った。
梅田でも乗り換えで歩くし、南森町からも少しは歩くから
やはり地下鉄に乗るのは損した気分やなあ。
「千早ふる」(梅團治):○
いつもの「仕事がない」といった話、
かなりマニアックな鉄道の話。
さすがに「381系」とか言っても伝わらないと思うのだが、
それはそれで良いのかも知れない。
「千早ふる」は染語楼に習ったらしい。
そんなこともあって、懐かしく聞いていた。
最初の「娘の相談」での「万引き」「妊娠」「男だった」の3段のノリツッコミ繰り返しや、
父親がバクチと思っているあたりなど。
「便所から出てきた」は良いが、「尻拭かず」までいくと
少し行き過ぎかな、と感じなくもない。
細かいところで科白を足している
(例えば竜田川が千早や神代に肘鉄喰らうところで「相撲取りが嫌、というのが耳に入った」とか)が、
個人的には、まあ、どちらで良いかな、と思う。
繰り返しや仕込み→バラシは
吉朝にはないものが入っていたり、
逆に吉朝は入れているが入っていないものがあったりして、興味深い。
どちらも入れるとクドくなるのだろうな、と感じつつ聞いていた。
竜田川が千早におからをやらないところ、
竜田川が怒ってやらない、というより
千早が貰い辛くなってしまう方が好み。
あまり竜田川が悪い人間になって欲しくない、と個人的には思う。
ただ「おからくれなかった」と説明するから、
ある程度「くれなかった」要素も必要だろうが。
物語から「千早ふる」の説明へは普通に転換しており、
「最初が千早ふるやろ」に比べてキレは弱い。
個人的にはここでスパッと切れて「歌の訳ですか」でウケを取れると非常に良い、と思うので、
ここは少し不満。
歌の説明は男が「千早ふるは?」といった具合に順々に聞いていき、
それに対して隠居が合わせていくやり方。
これはこれで悪くない。
最後「とは」を聞かれたことに対していろいろ言うあたり、
少し行き過ぎと感じるところもあった。
「童謡批判」(桂竹丸):△
生で見るのは初めて。
顔の感じや雰囲気など、何となく三歩に似ている印象。
昔ラジオで聞いて、無駄にテンションが高く鬱陶しかったので、
あまり良い印象はなく聞き始めた。
テンションはその時に感じたほどは高くなく、
そこまでは不快感を持たずに済んだ。
では好みかというと、好みではない。
早口でギャグや小咄を続けていく芸。
反応を見て、妙な手の動きをしたり仕草を入れたりするのは、
変化としては悪くないが基本飛び道具。
「童謡批判」にあたるのも
いくつかの童謡を順々に俎上に乗せてツッコんでいく、というもの。
ありがちっちゃありがち。
芸協ではそこそこ「人気者」と扱われていたことがあったと思うのだが、
この程度、では、芸協のレベルが知れる、というもの。
「親子茶屋」(梅團治):△+
春團治に付けてもらったものらしい。
「可愛い女性はあまり合わない、想像して下さい」といった話からネタへ。
丁稚が若旦那を呼びに行ったり、
「鳴子を鳴らし過ぎると効き目がなくなる」といった話はなし。
特に後者は、毎日言っているであろう親旦那が「今後一切小言は言おまい」と言うことにつながる
ポイントとなる科白だと思うのだが。
若旦那の溌剌として、勢いのある感じが良かった。
旦那は、若旦那に小言を言っている場面ではそこそこ風格を見せていたが、
遊びに行ってからは下卑た感じが強く、良くない。
何となく年取ってから遊びに目覚めた、付け焼き刃の感じがするのだが、
実際には長年遊んでおり、それなりの蓄積があると思う。
そこが出ていなかったのが不満。
いろいろ言っていた芸者・舞妓は特に違和感もなく。
このネタ、別にそこはメインにはならないだろう。
ただ、遊びのほんわかとした雰囲気はあまり出ていなかった。
これは旦那の遊び慣れた陶然とした雰囲気が弱かったためだと思う。
若旦那が上がっての絡みはまあまあ。
「お前倅やないか」に対する「あんたおとっつぁん」の言い方、
ここで初めて父親を見た感じであり、喜んでいる様子なんだよなあ。
米朝は先に扇をとっており「見つかってしまった」と小さくなっている感じであり、
どちらが良いかはちと考える必要があるだろう。
「壺算」(梅團治):○-
自分の親の話など。
3代目が「壺算」を稽古していた、というのは驚いた。
2代目春團治ベースで仁鶴や枝雀を混ぜている、とのこと。
確かに2代目らしい古いフレーズが散見され、
これはこれで興味深い。
例えば「空気が抜けている」「パンクしている」といった悪口を受けての
アホの科白など。
テキストとしては、面白く組み合わされていると思う。
ただ、この人がある意味器用なのか、
それぞれの元の演者のテンポが残っており、
全体の統一感が不足した、気に竹を継いだ感が否めない。
特に「空気が抜けている」あたりでの2代目のテンポ、間のとり方、アホの作り方は
やはり特殊であり、
仁鶴や枝雀から来ている部分と合わせて一席の落語として聞くと、
アホと徳さんの関係やら、
アホのニンやらで違和感は残った。
「石田三成伝」(桂竹丸):△
こちらは石田三成と太閤の出会いから、三成を巡る話を軸にした地噺のような話。
ただ、出会いの(3杯の茶の)話の前にも関係ない小咄やらネタやらを散りばめており、
先ほどの話と何が違うのかよく分からない。
戦国大名の言い立てを入れているが、トチリも多いし、
演り慣れているだろうに、という印象。
サゲをつけており、
まあ、これは出会いの話とも絡めているので悪くなかった。
ただ基本同じパターンであり、
30分も聞いたり、2席聞いたりするべき人ではない、と思う。
いつもは梅田から歩くのだが、あまりに暑かったので
久し振りに南森町まで地下鉄に乗った。
梅田でも乗り換えで歩くし、南森町からも少しは歩くから
やはり地下鉄に乗るのは損した気分やなあ。
「千早ふる」(梅團治):○
いつもの「仕事がない」といった話、
かなりマニアックな鉄道の話。
さすがに「381系」とか言っても伝わらないと思うのだが、
それはそれで良いのかも知れない。
「千早ふる」は染語楼に習ったらしい。
そんなこともあって、懐かしく聞いていた。
最初の「娘の相談」での「万引き」「妊娠」「男だった」の3段のノリツッコミ繰り返しや、
父親がバクチと思っているあたりなど。
「便所から出てきた」は良いが、「尻拭かず」までいくと
少し行き過ぎかな、と感じなくもない。
細かいところで科白を足している
(例えば竜田川が千早や神代に肘鉄喰らうところで「相撲取りが嫌、というのが耳に入った」とか)が、
個人的には、まあ、どちらで良いかな、と思う。
繰り返しや仕込み→バラシは
吉朝にはないものが入っていたり、
逆に吉朝は入れているが入っていないものがあったりして、興味深い。
どちらも入れるとクドくなるのだろうな、と感じつつ聞いていた。
竜田川が千早におからをやらないところ、
竜田川が怒ってやらない、というより
千早が貰い辛くなってしまう方が好み。
あまり竜田川が悪い人間になって欲しくない、と個人的には思う。
ただ「おからくれなかった」と説明するから、
ある程度「くれなかった」要素も必要だろうが。
物語から「千早ふる」の説明へは普通に転換しており、
「最初が千早ふるやろ」に比べてキレは弱い。
個人的にはここでスパッと切れて「歌の訳ですか」でウケを取れると非常に良い、と思うので、
ここは少し不満。
歌の説明は男が「千早ふるは?」といった具合に順々に聞いていき、
それに対して隠居が合わせていくやり方。
これはこれで悪くない。
最後「とは」を聞かれたことに対していろいろ言うあたり、
少し行き過ぎと感じるところもあった。
「童謡批判」(桂竹丸):△
生で見るのは初めて。
顔の感じや雰囲気など、何となく三歩に似ている印象。
昔ラジオで聞いて、無駄にテンションが高く鬱陶しかったので、
あまり良い印象はなく聞き始めた。
テンションはその時に感じたほどは高くなく、
そこまでは不快感を持たずに済んだ。
では好みかというと、好みではない。
早口でギャグや小咄を続けていく芸。
反応を見て、妙な手の動きをしたり仕草を入れたりするのは、
変化としては悪くないが基本飛び道具。
「童謡批判」にあたるのも
いくつかの童謡を順々に俎上に乗せてツッコんでいく、というもの。
ありがちっちゃありがち。
芸協ではそこそこ「人気者」と扱われていたことがあったと思うのだが、
この程度、では、芸協のレベルが知れる、というもの。
「親子茶屋」(梅團治):△+
春團治に付けてもらったものらしい。
「可愛い女性はあまり合わない、想像して下さい」といった話からネタへ。
丁稚が若旦那を呼びに行ったり、
「鳴子を鳴らし過ぎると効き目がなくなる」といった話はなし。
特に後者は、毎日言っているであろう親旦那が「今後一切小言は言おまい」と言うことにつながる
ポイントとなる科白だと思うのだが。
若旦那の溌剌として、勢いのある感じが良かった。
旦那は、若旦那に小言を言っている場面ではそこそこ風格を見せていたが、
遊びに行ってからは下卑た感じが強く、良くない。
何となく年取ってから遊びに目覚めた、付け焼き刃の感じがするのだが、
実際には長年遊んでおり、それなりの蓄積があると思う。
そこが出ていなかったのが不満。
いろいろ言っていた芸者・舞妓は特に違和感もなく。
このネタ、別にそこはメインにはならないだろう。
ただ、遊びのほんわかとした雰囲気はあまり出ていなかった。
これは旦那の遊び慣れた陶然とした雰囲気が弱かったためだと思う。
若旦那が上がっての絡みはまあまあ。
「お前倅やないか」に対する「あんたおとっつぁん」の言い方、
ここで初めて父親を見た感じであり、喜んでいる様子なんだよなあ。
米朝は先に扇をとっており「見つかってしまった」と小さくなっている感じであり、
どちらが良いかはちと考える必要があるだろう。
「壺算」(梅團治):○-
自分の親の話など。
3代目が「壺算」を稽古していた、というのは驚いた。
2代目春團治ベースで仁鶴や枝雀を混ぜている、とのこと。
確かに2代目らしい古いフレーズが散見され、
これはこれで興味深い。
例えば「空気が抜けている」「パンクしている」といった悪口を受けての
アホの科白など。
テキストとしては、面白く組み合わされていると思う。
ただ、この人がある意味器用なのか、
それぞれの元の演者のテンポが残っており、
全体の統一感が不足した、気に竹を継いだ感が否めない。
特に「空気が抜けている」あたりでの2代目のテンポ、間のとり方、アホの作り方は
やはり特殊であり、
仁鶴や枝雀から来ている部分と合わせて一席の落語として聞くと、
アホと徳さんの関係やら、
アホのニンやらで違和感は残った。
「石田三成伝」(桂竹丸):△
こちらは石田三成と太閤の出会いから、三成を巡る話を軸にした地噺のような話。
ただ、出会いの(3杯の茶の)話の前にも関係ない小咄やらネタやらを散りばめており、
先ほどの話と何が違うのかよく分からない。
戦国大名の言い立てを入れているが、トチリも多いし、
演り慣れているだろうに、という印象。
サゲをつけており、
まあ、これは出会いの話とも絡めているので悪くなかった。
ただ基本同じパターンであり、
30分も聞いたり、2席聞いたりするべき人ではない、と思う。
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