朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

松竹座七月大歌舞伎夜の部

2013年08月01日 09時39分40秒 | 歌舞伎・文楽
月曜は松竹座の夜の部へ。
当日でも三等席がとれた。


最初は「曽我物語」。岡本綺堂作の20分ほどの芝居。
仇討ち前に、五郎十郎と京小次郎、越後の禅司坊の4兄弟が集まる。
五郎十郎が異父兄である小次郎にも仇討ち参加を懇願するが、
小次郎は実父に義理を立てて「応援はするが参加しない」と言う。
仇討ちの応援に狩場の地図を渡すなど。
最後は五郎十郎も納得、諦めて発っていく、という話。

小次郎が何故実父に義理を立てる必要があるのかよく分からない
(別に工藤方でもなさそうだが)というテキストの問題もあるが、
何と言っても我當が聞いていてしんどい。
声から感情が感じられないし、
訥々としていると言えば言えなくもないのだろうが、科白のリズムも周囲と調和しない。

五郎の進之介も感情が出ないし、
歩き方も軽くておかしいが、
若者の一本気な様子は出ていて遥かにマシ。
十郎の翫雀は、兄と弟の間に入る温厚な性格が出ており、まあ良かった。


次が「一條大蔵譚」。
仁左衛門の大蔵卿で、
阿呆の軽さ、公卿らしさは流石。
何となく、先代仁左衛門が祇園で遊んでいたような
遊蕩の味があって面白い。

勿論「作り阿呆」なのだろうが、
単に源氏に肩入れして、平家の目を誤魔化すために阿呆のふりをしている、
だけでは済まないものがあるように感じた。
この大蔵卿、本当に「阿呆」になるベースがあるように思う。
それは人間誰しも心の奥底には遊蕩を求める気持ち、
阿呆になる可能性がある、ということなのかも知れない。
実は本当に阿呆であり、
「源氏に肩入れする」のもハラのように見せてはいるがそれも一面なのかも、
という多面性を感じた。

大蔵卿の心を探る吉岡鬼次郎・お京夫婦は橋之助と孝太郎。
橋之助はまあまあ。もう少し柔らかいところがあると良いのかも。
孝太郎が素晴らしい。
声、姿形、鬼次郎を立てる動きといい、立派な上方の女房役者だと思う。
良いタイミングがあれば、「我童」襲名も良いかも知れない。

秀太郎の常盤御前はあまり印象にない。
元々侍の妾らしい手強さは、弓を引く場面などで感じられた。


最後は南北の「杜若艶色紫」。
特にストーリーや人物の心理描写がメインになる訳ではない。
土手のお六や願哲の無法者ぶり、言動がメインで、
そこから幕末の退廃的な空気、
退廃的なればこその濁った活気が充溢すれば良いのだろう。
ただ個人的には、最後のお六が「義理」や「正義」の立場で
願哲を斬りにいくのは好みではないなあ。
終始己の欲得づくで動く、という方が一貫していて良いと思うのだが。

お六は福助。
体の内から爛れた雰囲気が滲み出るのではなく、
若干クサく作っているように感じた。
声や仕草、間などは流石。

願哲は橋之助。
こちらは少し立派過ぎる気がする。
もう少し骨の髄までヨゴレが沁み込んでいる
乞食坊主の存在感が欲しい。
特に強請りの場面、声音や押し引きのバランスは良いのだが。

ここに八ツ橋・佐野次郎左衛門の話が絡み、
御家騒動での失われた刀の探索ストーリーが入ってくる。
真面目に捉えるものではなく、
「こんな話も入れているのか」と感心すれば良い設定なのだろう。
そこを絡めてのだんまりなどは面白い。
翫雀の次郎左衛門は武骨で不器用そうであり、まあ悪くないが、
扇雀の八ツ橋はやはり不満。
相変わらず、声や動きが女形でない。


20時半頃終演。
全体に悪くはなかったが、
個人的には昼の部の「柳影澤螢火」の方が満足できた。
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