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朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

芸術家の存在意義

2009年03月07日 19時13分20秒 | 音楽
「ベートーヴェンの交響曲」(金聖響+玉木正之)を読んだ。

私は演奏する側ではないので、よく分からないところが多い。
ただ、「指揮者」がどのようなことを考えて作品に向かい合っているのか、と
いうところが仄見えて、興味深かった。

「大指揮者」と括って、
フルトヴェングラー・トスカニーニからチェリビダッケなどに対して
批判的に見ているように感じた。
彼らを「勝手に演奏している」と評し、
「楽譜に帰る」ところに重点を置いているようなのだが、
個人的には疑問がある。

「楽譜通りに演奏する」のであれば、
指揮者による違いって何なのだろう。
結局、個々の指揮者の存在意義ってないんじゃないの?
(貴方、世の中に存在しなくても構わないんじゃないの?)
という感覚。

そこまで「楽譜」が具体的に記述されている訳でなく、
解釈が入るから完全に同一にはならない、
ということかも知れないが、
バラエティは小さくなるだろう。
その小さいバラエティの中で、こせこせ微妙な違いを主張されても、
聞く側としては「知ったことではない」と思うのだが。
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