忘れ物をしたので、朝から無駄な大阪往復。時間、カネとも本当に無駄じゃ。
梅田「私が梅田だ」
東梅田「私も梅田だ」
西梅田「私も梅田だ」
阪神梅田「私も梅田だ」
阪急梅田「私も梅田だ」
JR大阪「名前は違うが私も梅田だ」
一般人「やめろ!やめてくれ!」
北梅田「新たに軍団に入ることになった北梅田だ。よろしく」
JR地下新駅「同じく」
一般人「」
北新地駅が「南梅田」でなかったのは、不幸中の幸いだな。>RT
「これからは競争社会だ! 実力社会だ」というとあたかも自分にチャンスが巡ってくるみたいな気になるが、競争社会が激しくなればなるほど、親が持っていたもの、つまり相続によって得られるものの威力が増す。金持ちはますます、代を重ねて金持ちになり貧乏人はスタートラインに立つチャンスすら失う
世襲議員が「競争社会だ!実力主義だ!」と言ってもねえ。>RT
(承前)私自身、実家暮らしだったから、最初の仕事を辞めて試験勉強する時に、そこまで生活の心配をせずに済んだ、と思っている(生活費は入れていたけど)。でもこれは恵まれている訳で、そういった有利さがない人に対しても何か手を打つ、というのが政治の役割ではないのか?
罵るしかできない輩と、議論はできない。恐らく彼らは議論したいなどとは思っていないのだろう。如何に声を上げ、如何に力づくで相手を屈服させるか、しか考えていない。「議論」という手段は彼らにとって「敵に有利なツール・土俵」なのだろう。
どれだけ確率が低くてもゼロでない限り、発生時の損害が無限大であればリスクは無限大になる。その事実を踏まえた上で尚、原発を推進するのか否か。リスクを分散する傾向の今日、停電リスクを集中させるのは適切なのか。そのあたり、原発推進者は目先の利益やメンツで事を進めているように見える。
ロースクールの補助金減額。成蹊大ロースクールは80%に(20%カット)。単純に合格率や合格者数で考えると,成蹊は合格者数÷受験者数が13.8%で14人合格であるのに対して明治は17.2%63人,同志社は14.2%26人だった。しかし明治は補助金60%に同志社は70%に。あれれ??
でもこの補助金減額、もし「成蹊大は首相の卒業校だから減額率が低い」だとしたら、それはあまりにも恣意的な判断だろう。そのあたり行政は基準を隠ぺいするだろうけど。>RT
学童の会計になって特に驚いたのは、助成金について学童保育指導員の経験加給制度がないこと(基本、保育料と助成金だけでやっていく学童でどう経験に見合う昇給させろと?)、障害児受入推進助成が、1人でも受け入れれば出るけど、障害児が2人以上になっても助成金は増えないこと、だったな。
日本が衰退期に入りつつあることを実感するのは、他の人を落とす言説とか、昔は良かったとか(「江戸しぐさ」的でっち上げも含め)、実は世界からスゴイと思われているとか、なんとか自分のプライドを維持するための言説が目立ち、新しい提案、行動のための言説が目立たなくなっていること
「ここに3本の矢がある」
「はい」
「イタリア語で矢の複数形はフレッチェという」
「はい」
「サンフレッチェ広島の由来だ」
「なんで3が日本語なんだよ」
「俺もそう思う」
それにしても日本のメディアは安倍首相の任命した閣僚と党幹部が「在特会」と「ネオナチ」との関わりを外国のメディアでこれだけ大きく取り上げられているのに、まったく報道しないつもりなのでしょうか。これ報道しなかったら、もう日本のメディアは終わりですよ。