
土曜は「松喬試運転の会」へ。
肝臓ガンで入院していた松喬が退院した、ということと、
会場を別のイベントで奥さんが取っており、
中止になったのに会場のキャンセルできなかった(生喬談)
ということから急遽開催された落語会。
実際には他の場所で既にやっているようだが、
正式な開催、復帰はここから、ということらしい。
開場30分前に着いたタイミングで、
既に100人くらい並んでいる。
準備期間はあまりなかったようだが、
結局200人くらい入っていたのかな。
仲入まで弟子が1席ずつ(恐らく各15分)、
仲入後松喬が1席、という構成。
「角力場風景」(遊喬):△-
繁昌亭の出番があるとかで、今日出演の弟子で一番上の彼が前座。
握り飯を取るところなど、
ウケさせよう、とかなり誇張しているのだが、それが不自然過ぎる。
結果ウケない。
あくまでも前の客は土俵に向かって「さあしっかり取れよ」と言っているはずであり、
最初からそれが後ろの客に言っているように聞こえる。
雑なのかなあ。
「堪忍袋」(風喬):△
この人も入門15年になるのか。
喋り慣れた感じの、自然なマクラ。
ネタは、文三っぽい。
個人的には「嫁姑」が絡むなど、
設定が現代的過ぎて好きになれない。
喧嘩で隣の人が仲裁に入る訳だが、
仲裁の科白がいちいち入るあたりが流れを損ねている感じ。
喧嘩する2人の切迫感やそれを止める仲裁とのリズムの違いが感じられず、
ダラダラした。
あと、「堪忍袋が出来ることがある」と言うのは少しくどい感じがする。
あっさり「堪忍袋が出来る」とした方が良いと思う。
「平の陰」(右喬):△
マクラから「下手である」ことをメインにした話だが、
自虐的な内容にも関わらずあまり痛々しく感じられないのは
ニンなのだろう。
よくウケていた。
ネタは、マクラでハードルを下げられたせいか、
何となく面白かった。
間や強弱、上下の振り方など人間の会話とは思えないし、
「そんな喋り方する訳がないだろう」と感じる不自然さがあり、
中ネタ以上のネタを聞きたい、とも2席聞きたい、とも思えないが、
色替りに1席入るのは良いのかも。
この人の性格の良さが出ており、まあまあウケもあった。
「隣の桜」(生喬):△+
右喬よりも技術的には遥かに上なのだが、
あまりこの日の客には受け容れられていなかった印象。
自分の人間を出さず、ネタを丁寧に表現する、という方向で演っていたと思うが、
それが少し「壁を作っている」印象になったのかも知れない。
ネタは非常に丁寧に作られており、
キセルと火箸でどつき合う場面は面白いが、
やはり大ウケにはならなかった。
「闘病日記+崇徳院」(松喬):◎-
上がってきた時の拍手、少し涙ぐんだ様子。
痩せてはいたが、ダイエットで締めていたのでそれが理由なのかも。
声は普通に出ている。
最初マイクがハウリングを起こしていたくらい。
闘病日記はガンが発見され、治療、入院中の話。
真面目な話の説得力、客に語り掛ける感じやギャグの入れ方など、
講演慣れしているこの人らしい。
ガンは「初期」だと思っていたのだが、けっこう危なかったんやなあ。
様々な医者との関係、「絶対生きてまた落語をやる」意思、
適合した抗がん剤など、
偶然や巡り合わせがあったからこの高座につながっていたのだろう。
結局「がん細胞がなくなる」訳ではなく、
共存していくしかない、ということらしい。
「ここにヤクザがいる、何もしなければ暴れない」という表現は面白かった。
病気の話から「恋煩い」のこのネタへ。
「死んでしまう」といった科白が出てくるこのネタを普通にできる精神状態、
ということなのだろう。
最初の熊五郎と親旦那、熊五郎と若旦那の会話、といったあたり、
人物設定といい、表情付けや科白、間の取り方や強弱の付け方といい、
非常に丁寧。
一言一言でウケをとったり、次のウケにつなげるための仕込にしたり、と
確実に進めていた。
最後の散髪屋で少し早くなったかな。
若干疲れが出たかも知れない。
全体のバランスとしては、
最初の場面はもう少し軽く流した方が良いかも知れない。
演者にとっても、聞く側にとっても。
結局、合計80分喋りっ放し。
どこが「試運転」だか、という印象。
「病後」を考慮に入れる必要なく、
闘病日記もネタも普通に満足できた。