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城郭探訪

yamaziro

新野砦 近江国(日野)

2016年05月26日 | 

新野砦

お城のデータ
所在地:蒲生郡日野町石原  map:http://yahoo.jp/vhBbiD
現 状:山林(丘陵)
区 分:砦
築城期:鎌倉期
築城者:蒲生氏郷
遺 構:土塁・廓・敷割・切岸(東側)
標 高:160m   比高差:10m
目標地:石原集落の墓地
駐車場:墓地の駐車場を利用
訪城日:2016.5.23
お城の概要
 蒲生氏郷が築いたもので、前面に城川が流れる。礎石はすべて正崇寺に運ばれたとされる。
蒲生氏の支流小谷氏の居城で、「蒲生旧趾考」には蒲生氏は、初め小谷山城にいたと記している。が、小谷城から、わずか600m程北の丘陵に築かれ、今も、土塁・廓・敷割りもはっきり確認出来る。
お城の歴史 

「江州佐々木南北諸士帳」に、小谷住 蒲生末 小谷次郎三郎の名が見える。蒲生氏の支流小谷氏の居城で、「蒲生旧趾考」には蒲生氏は、初め小谷山城にいたと記している。 南北朝時代、蒲生氏が南朝に味方したとき、高師泰に攻められて落城している。

また、正崇寺(日野町大窪)は、蓮如上人のご旧跡で、上人が比叡山から追われることになった時、金ヶ森・道西坊の案内で日野の里に隠れ住まわれました。「正崇寺」の寺号も蓮如上人からいただき、上人直筆の額が残されています。数々のご宝物も。

近江日野は、蒲生氏の日野城城下町・近江商人ゆかりの地。

 

           獣害ヘンスにつかまり、川を背に回り込む。
獣害ヘンスの東側遺構へ 
                          
駐車位置(墓地駐車場)からの遠景
 
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査1・4 、遺跡ウォーカー、『江州佐々木南北諸氏帳』、『蒲生旧址考』
  本日の訪問ありがとうございす!!

岡屋城 近江国(竜王)

2016年05月26日 | 平山城

岡屋城

お城のデータ

所在地:蒲生郡竜王町岡屋  map:http://yahoo.jp/i3AkMm
現 状:山林(山腹)
区 分:平山城
築城期:
築城者:
遺 構:土塁・廓・竪堀・
目標地:善正寺・吉祥寺・岡屋口交差点
駐車場:善正寺の近くの駐車場
訪城日:2016.5.22
お城の概要
 岡屋集落の南の小山を「じょう山」と呼ぶ、その麓に「城ノ腰」がある。しかし城跡に関する伝承は特にない。「じょうの山」の東の小山には行者さんの小祠が祀られていて、そこに東西15m南北10m程の平場が認められ、中腹にも平削地(廓の敷割り)が残存する。城郭に遺構とも考えられる。(滋賀県中世城郭分布調査4(旧蒲生郡・神崎の城)・・・岡屋城)
 
 竜王町岡屋口交差点(県道165号線)の西側の独立丘山の中腹に、城郭遺構は残る。・・・が、その西側は大きく削り取られてしまった。岡屋集落の南端の善正寺への南参道の西の竹藪にも城郭遺構のような土塁らしきものがある。・・・善正寺の南側一帯に独立丘地で、岡屋城が存在した可能性を残す。
頂部に存在した行者堂は、県道165号線の平成七年道路拡張工事で竜王小口の観音寺に移築され今は、石の祠と灯篭・由緒書碑・石段が残る。

お城の歴史
 岡屋に修験行者信仰が始まった縁起は、伝承によれば、修験道山岳仏教が関西を中心に布教され岡屋にも信奉者が増え、小字東畑の丘陵頂上に石室造りのお堂が建立され行者尊像が勧請せれたのは平安時代(1190)前期とされ、それ以来「南若連中」が結成され有志が行者講を取り組んでいる。
                     その行者講も、近年しばらく絶えていました。しかし、平成19年から住職に着任した現・観音寺住持(吉田叡禮方丈)が熊野修験道を伝承していることから、信徒の方々の要望により、平成21年、小口、岡屋、山中、薬師、西川、田中の六在所合同入峯として甦りました。7月25日に行われた初回の入峯では40名の有志が集まり、かくも多くの方々と共に大峰山の霊気に触れることができましたことは、まことに法幸の至りです。
さらに、この合同入峯が円満に成就したことで、今後は「竜王行者講」として継続していくことと相いなりました。更なる発展を期待しております。この竜王行者講が毎年継続されていけば、将来きっと竜王町の歴史に刻まれることとなるでしょう。
       
 善正寺南参道       
善正寺     

吉祥寺
                 
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査4(旧蒲生・神崎郡の城) 
 本日の訪問ありがとうございす!!

丸山城   近江国(竜王)

2016年05月26日 | 丘陵城

丸山城

お城のデータ
所在地:蒲生郡竜王町岡屋  map:http://yahoo.jp/NWqAW3
現 状:林+笹地+畑地
区 分:丘陵城
築城期:
築城者:
遺 構:土塁痕か
目標地:県道165号線の岡屋の信号
駐車場:農道に路上駐車
訪城日:2016.5.22
お城の概要
 滋賀県道165号線の岡屋の信号の東に「DAIHATU」の看板が見える。
県道の西は祖父川(水口春日~甲西下田~竜王町岡屋~西川で日野川へ)が流れる。
「DAIHATU」滋賀竜王町工場の西端の位置しているが、笹竹(矢竹)で踏み込めず。一部土塁痕が残るが、全容を把握できず。 
お城の歴史
詳細不明
           


田んぼの真ん中に林山の神が祀られているとうだが  近畿地方の農耕儀礼、とくに稲作の祭には、米や農作物で象った人形(ひとがた)を供物として神に供えるものがある。そして、これらの祭には、たいていその由来として、昔「人身御供」の風習があって、今は、その代りに人形の供物を供えているのだ、といういわゆる「人身御供譚」が伝承されている。いったい、「人身御供」の代りに人形を供えるとは、どういうことなのだろうか。

 民俗学では、この人形御供についてほとんど議論されていないというのが現状である。民俗学においては、人形(ひとがた)といえば、もっぱら、災いや穢れを祓う道具として扱われてきたからだ。例えば、『日本民俗大辞典』(吉川弘文館)の「人形」の項には、「災いや穢れを祓うために、人の身代わりとしてつくられた人体を模したもの。紙などの人形を身体の上でなでまわして、人の受けた災いや穢れを背負わせてから流したり焼いたりして災厄を除く。」と定義されるのみである。
      丸山城・・・遠景(山の神)より
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査4、
本日の訪問ありがとうございす!!