久保城
辻公民舘前に 天神社由緒
お城のデータ
- 所在地:栗東市(旧;栗太郡栗東町)辻 map:http://yahoo.jp/xmxpM3
- 現 状:集落・宅地・畑地
- 区 分:平城
- 築城期:織豊期
- 築城者:久保石見守義俊
- 遺 構:辻公民舘の周りにП字形の堀痕
- 目標地:辻公民舘・天神社
- 駐車場:辻公民舘
- 訪城日:2016.5.19
- お城の概要
- 久保城は、野洲川の左岸の栗東市辻集落の東端の畑地を遺跡ウォーカーは比定地としているが・辻公民館の周りにП字形の堀痕が残る。
- 辻集落は、出庭城主の末裔が、野洲川から灌漑用水を引き、更に野洲川より水脈を通じ、十村に流した。
- お城の歴史
- 寛治六年に出庭介橘宣幸が此の土地に来て、久保郷高野荘を拝領し、田地を開拓して野洲川より用水を引き、永正三年に宣幸十五世の孫久保石見守義俊が更に野洲川より水脈を通じ、十村に流した。(天神社の由緒より)
井口天神社 栗東市辻205
御祭神:罔象比賣神
〔配祀神〕菅原道真公
〔配祀神〕菅原道真公
御神紋:梅鉢
堀川天皇寛治六年に出庭介橘宣幸が此の土地に来て、久保郷高野荘を拝領し、田地を開拓して野洲川より養水を引き、その守護神として罔象比売神を勧請したのにはじまる。のち後柏原天皇の御宇、永正三年に宣幸十五世の孫久保石見守義俊が更に野洲川より水脈を通じ、十村に流した。この折信仰する菅公の霊を勧請し当社に合祀したと伝えられる。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口一間 奥行一間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間
〔その他〕境内社(摂社・末社)中将神社 宰相神社
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間
〔その他〕境内社(摂社・末社)中将神社 宰相神社
- 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査1、天神社由緒