神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

東京・浅草寺。

2007年10月05日 | ▽関東・甲信越

金龍山浅草寺

(きんりゅうざん せんそうじ)
東京都台東区浅草2-3-1


坂東三十三箇所観音霊場・第13番札所
江戸三十三箇所観音霊場・第1番札所





浅草寺といえば「雷門」。現在の門は1960(昭和35)年に再建されたものです。


〔宗派〕
聖観音宗総本山

〔御本尊〕
聖観音菩薩像
(しょうかんのんぼさつぞう)


 都内最古の寺院であり、民衆信仰の中心地として古くから全国に名の知られた名刹・浅草寺浅草寺と聞いて真っ先に思い浮かぶのが雷門です。雷門は風神像と雷神像を安置していることから正式名称を「風雷神門」といい、942(天慶5)年には平公雅公によって建立されていたと伝えられています。1865(慶応元)年に火事で焼失した雷門が再建されたのは1960(昭和35)年の事で、松下電器の創業者である松下幸之助氏の寄進によって1世紀ぶりに再建されました。





雷門をくぐった参道沿いに並ぶ仲見世。参拝客で大賑わいです。



 雷門と並んで有名な仲見世が出来たのは江戸時代に入ってから。浅草寺周辺の住民は境内の清掃などの維持管理の賦役を果たす代わりに、幕府から寺域で商売を行う事を認可されていました。これが元禄年間(1688~1704年)から享保年間(1716~1736年)にかけての事で、仲見世には様々な店や芝居小屋が設けられて庶民の娯楽の中心地として大いに栄えました。しかし明治時代に入ると浅草寺の所領は新政府に没収され、東京府の管轄に置かれて仲見世の特権がすべて剥奪されてしまいました。1885(明治18)年には仲見世全体が強制的に建て替えられ、煉瓦造の新店舗として雰囲気をがらりと変えて生まれ変わります。1923(大正12)年に起きた関東大震災ではほとんどの店舗が倒壊し、1945(昭和20)年の空襲でも大きなダメージを受けますが、そのつど人々の尽力で復興され、現在も東京を代表する観光地として多くの参拝客で賑わいを見せています。
 




お線香の煙を浴びて本堂(観音堂)へと向かいます。



 浅草寺が創建されたのは628(推古天皇36)年3月18日の事だといわれています。現在の隅田川にあたる宮戸川で漁をしていた檜前浜成竹成の兄弟は、仕掛けていた網に光り輝く一体の仏像がかかっているのを見つけます。この話を聞いた土師中知は、この仏像が大変由緒ある聖観音菩薩像だと悟って仏門に入り、屋敷を寺院に改めてこの観音像を安置したことに始まるといわれています。この聖観音菩薩像は高さ1寸8分(約5.5㎝)の金色の像といわれていますが、645(大化元)年に勝海という僧侶が本堂を建立するなど境内を整備した際に秘仏本尊として定めたためにその姿を見る術はありません。





空襲で焼失した本堂は1958(昭和33)年に再建されました。



 時代は下って平安時代。857(天安元)年に慈覚大師円仁が堂宇の再建を行って秘仏の代わりに「お前立ち」の観音像を造られたという話が残されています。しかし、この頃の慈覚大師は第3代天台座主として文徳天皇や皇太子・惟仁親王などに灌頂を授けるなど、比叡山と都を中心に活動されていたと考えられていますので、やや信憑性に欠けます。慈覚大師が彫られたといわれる観音像が、名代として派遣された僧侶によって浅草寺に伝えられ、慈覚大師の名において伽藍整備の指揮を取ったという事も考えられますが、あくまで想像の域を出ません。とにもかくにもこれらのエピソードから、浅草寺では勝海上人が開基、慈覚大師が中興開山とされています。源頼朝公も平家討伐の戦勝祈願のために参拝するなど、武家政権下でも庇護を受けていた浅草寺は、室町時代には半世紀に1度くらいの頻度で炎上・焼失に見舞われますが、そのつど見事に再建されています。江戸時代に入ると徳川将軍家の祈願寺に定められたこともあり、寺領500石の寄進を受けて財政的にも安定します。さらに1649(慶安2)年には江戸幕府第3代将軍・徳川家光公によって伽藍が建立され、関東でも有数の大寺院としての威容を整えました。





1973(昭和48)年に再建された五重塔(左)と、1618(元和4)年建立といわれる六角堂。


アクセス
・東京メトロ銀座線「浅草駅」下車、西へ徒歩2分
・都営地下鉄浅草線「浅草駅」下車、北へ徒歩5分
・東武鉄道伊勢崎線「浅草駅」下車、西へ徒歩2分
浅草寺地図  【境内図】  Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料

拝観時間
・常時開放

公式サイト



図説 浅草寺―今むかし

金龍山浅草寺

このアイテムの詳細を見る







最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
飽きる程 (リン)
2013-01-28 23:51:36
こんばんは。欧米人がみる所がここしかないと思うと悲しい。人力車はガラ悪くうざい。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。