神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・若宮神社(灘)。

2006年05月01日 | ■神戸市灘区
厄除け・酒造守護


若宮神社

(わかみやじんじゃ)
神戸市灘区新在家南町3-2-25


通 称
若宮八幡宮







〔御祭神〕
応神天皇
(おうじんてんのう)
迦具突智神
(かぐつちのかみ)
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)


 阪神電車の大石駅から南へと歩みを進めると、数多くの酒造会社の看板と、一際高く聳える工場の煙突群が目に入ってきます。神戸の市街地の南側を走る交通の大動脈・国道43号線の南には、日本を代表する酒造メーカーや神戸製鋼所の神戸製鉄所などが軒を連ね、それを囲むように数多くの民家が立ち並んでいます。都賀川の河口付近にあたるこのエリアは、古くから海運業が栄え、酒造業の町として発展してきた、いわゆる「灘五郷」のうちの「西郷(にしごう)」と呼ばれる地域です。今回ご紹介するのは、都賀川の東、1681(天和元)年創業の名門酒造メーカー「富久娘酒造」のすぐ傍に鎮座している若宮神社です。





1938年に発生した阪神大水害の記念碑(左)。右は、阪神・淡路大震災の名残りが残る灯篭。



 江戸時代初期の1678(延宝6)年9月のこと、新在家村の沖合に不思議な光が現れました。この報告を受けた地元の役人・花木正時公が数日間この怪しげな光を監視して事態の推移を見守っていたところ、9月15日になって沖から一つの小箱が流れ着きます。花木正時公が箱を持ち帰って確認したところ、中から八幡大神秋葉権現の御真影が出てきました。
 花木正時公が早速この一連の不思議な出来事を領主である松平前若州公に上申したところ、「八幡宮は我が尊敬する霊神なり。今二神、領地に留まること誠に良縁なり」と非常に喜び、直ちに新在家浜に適地を求めて社殿を建立し、二柱の神をお祀りして花木正時公を神主の任に充てたといいます。創建当初は御祭神にちなんで「若宮八幡宮」という名が付けられ、戦後になって「若宮神社」と改称されました。ちなみに、御祭神に名を連ねている迦具突智神(かぐつちのかみ)」は火を司る神様で、秋葉神社の御祭神とされています。





阪神・淡路大震災で倒壊した社殿は、2000年10月に再建されました。

社殿右手にある玉水稲荷社の鳥居(左)。奥には玉水稲荷社など2つの摂社が鎮座しています。




 新在家は都賀川の清流にも恵まれ、河口付近も六甲山系から採れる良質の石を各地に発送するための船着場として発展していたために酒造業が大変栄えた土地でもありました。元禄年間(1688~1703年)より次々に蔵元が創業し、1802(享和2)年には大石村に25軒、新在家村に24軒、岩屋村に9軒、八幡村に8軒、河原村に2軒、稗田村と五毛村に各1軒と、7ヶ村合わせて計70軒もの蔵元が軒を連ねるようになりました。生産量も非常に多く、1830(天保元)年には大石村・新在家村・八幡村の3ヶ村だけで実に17万7千樽以上の酒が江戸をはじめ各地へと出荷されていたと伝えられています。
 こうして「灘の酒」は全国的なブランドとして認知され、文化・文政期(1804年~1829年)には江戸市中でのシェアの7割を占めるほどに発展を遂げていきました。現在でも「富久娘」「月桂冠」「沢の鶴」「忠勇」「福徳長」「白鶴」など伝統ある有名酒造メーカーがこの一帯で酒造りを続けています。日本酒党の方なら、若宮神社周辺を歩くだけでも仄かに漂ってくる日本酒の香りに満足されるかもしれません。





社殿左奥に鎮座している「醸造の神」松尾社(左)。震災で倒壊した狛犬は2001年に再建(右)。


アクセス
・阪神電車「大石駅」下車、南東へ徒歩10分
若宮神社地図 Copyright:(C) 2011 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.


拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

神戸の神社
兵庫県神社庁神戸市支部
神戸新聞出版センター

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