神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・大龍寺。

2008年04月30日 | ■神戸市中央区


再度山大龍寺

(ふたたびさん だいりゅうじ)
神戸市中央区再度山1

神戸十三仏霊場・第6番札所
KOBE七福神・大黒天 ほか



再度山ドライブウェイ沿いに立つ山門。すぐ前まで市バスで行くことが出来ます。


〔宗派〕
真言宗東寺派

〔御本尊〕
如意輪観音菩薩像
(にょいりんかんのんぞう)


 六甲山に向けて再度山ドライブウェイを北上すると、道の左手に大きな朱塗りの山門があります。ここから長い参道を登っていくと、弘法大師ゆかりの古刹・大龍寺があります。週末だけは三宮駅より神戸市バスが通っていますが、休止されていることもありますので事前に確認してから参拝されることをおすすめします。大龍寺は上記以外にも、安永年間(1772~81年)に真田山観智院月海上人によって開かれたといわれる「摂津八十八ヶ所霊場」の第82番札所、1979(昭和54)年に定められた「近畿三十六不動尊霊場」の第9番札所、1980(昭和55)年より始められた「摂津西国三十三ヶ所霊場」の第6番札所、1984(昭和59)年に設立された「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」の第8番札所、1994(平成6)年創設の「西国愛染十七霊場」の第5番札所など様々な霊場に名前を連ねています。



 
山門から急な坂を登ると石段(左)が現れます。途中には仁王門(右)が建っています。



 奈良時代に入ると、全国的に旱魃や飢饉が続き、天然痘が流行したり大地震が発生するなど人々は不安に包まれていました。さらに、740(天平12)年には藤原広嗣の乱が九州で起こるなど、政情も非常に不安定な状況でした。そんな中で聖武天皇は、国家鎮護の救いを仏教に求めようと741(天平13)年に国分寺建立の詔を出したり東大寺に752(天平勝宝4)年に巨大な盧舎那仏を建立するなど、国立寺院の建立を全国で積極的に行う政策を推し進めました。




仁王門の先に続く石畳の参道。



 そういう流れの中、称徳天皇の勅命を受けて寺院建立の適地調査のために摂津国を訪れていた和気清麻呂公は、摩耶山と鍋蓋山の間の辺りに差し掛かったところで、政敵・弓削道鏡の放った刺客に命を狙われますが、すんでのところで突如龍とも見まがう1匹の大蛇が現れて刺客を追い払ってくれたために危地を脱することができました。この不思議な出来事に霊験を感じた和気清麻呂公は、この地に一木造りの如意輪観音菩薩像を安置する祠を建てて「摩尼山」という霊場を開きました。



 
御本尊の如意輪観音菩薩像が安置されている本堂(左)と脇に立つ修行大師像(右)。



 大龍寺弘法大師ゆかりの寺院としても知られています。唐への留学に出発する前、弘法大師は船旅の安全と学問成就の祈願のためにここを訪れて修行しました。唐への船旅は過酷を極め、激しい風雨で何度も転覆の危機に陥りますが、不思議なことに荒波を遮るように大きな龍が現れ、船を守ってくれたという伝説が残されています。その加護によって無事に唐へ辿り着いた弘法大師は、長安・青竜寺にて驚異的なスピードで真言密教の秘法を会得。帰路も船を守ってくれた大龍は、神戸の沖合いまで戻ってきたところで突如海から飛び立ち、摩尼山の方角へと去っていきました。弘法大師は、唐への往復を守護してくれた龍に感謝するためもう一度この霊場を訪れて寺院を建立し、守護龍にちなんで大龍寺と名付けました。この山は、弘法大師が2度登られたという故事にならって「再度山」と呼ばれるようになったそうです。



  
毘沙門堂(左)と、本堂の前に立つ「ぼけ封じ観音像」(右)。



 鎌倉時代には、再度山一帯が南朝方の多々部城(再度城)の城域だったこともあってたびたび戦火に巻き込まれ、伽藍も焼失してしまいました。しかし1351(観応2)年には赤松円心公の支援によって再建。このとき山主として再興に尽力し、「大龍寺中興の祖」と崇敬された善妙上人は、中風に苦しむ後円融上皇の病を1週間の祈祷によって平癒に至らしめたという伝説の持ち主で、このため大龍寺は「中風除け加持ご祈祷の寺」としても知られるようになりました。




境内から奥の院へと向かうと、山道を5分ほど登った先に大師堂があります。



 せっかく再興を果たしたにも関わらず、戦国の世の兵火に巻き込まれて再び荒廃してしまった大龍寺ですが、江戸時代に入った1668(寛文8)年には尼崎城主の光録居士(2代藩主・青山幸利公の事だと思われます)の助力を受けた実祐上人が「弘法大師八十八ケ所霊場」を勧請するなど再興に力を尽くされました。現在建っている境内の建物はこのとき再建されたもので、明治に入って日本中を襲った廃仏毀釈運動の時にも当時の住職・井上徳順和尚と地元の人々が懸命に努力をされて守り抜き、東寺真言宗所轄の寺院として今日までその法燈を維持し続けています。



 
大師堂の奥には険しい山道の先に弘法大師が自ら刻んだといわれる「亀の岩」があります。



アクセス
・神戸市バス25系統「森林植物園行」で「大龍寺前」下車すぐ(本堂まで登り坂を徒歩10分)
※25系統バスは4月1日から11月30日までの土・日・祝日のみ(臨時休止の場合あり)
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拝観料
・無料

拝観時間
・9時~17時

公式サイト
  大龍寺公式ウェブサイト