神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・六條八幡宮。

2007年12月18日 | ■神戸市北区
家内安全・厄除

六條八幡宮

(ろくじょうはちまんぐう)
神戸市北区山田町中字宮ノ片57



美しい田園風景の中に鎮座する古社です。


〔御祭神〕
応神天皇
(おうじんてんのう)



 標高515mの丹生山の裾野に広がる山田荘は、すでに平安時代には開けていた土地で、奈良・東大寺の荘園として治められていたそうです。源為義公がこの地を治めていたという言い伝えもありますが、1169(嘉応元)年には、福原に別荘を構えて日宋貿易に取り組んでいた平清盛公が東大寺から山田荘を譲り受けて領主となっています。この年は、平清盛公が後白河法皇とともに東大寺で受戒するなど、その関係が強まっていた時期でもありました。




流鏑馬神事では、鳥居から本殿までの100mほどの距離を騎馬武者が疾走します。



 一の谷の合戦から壇ノ浦の戦いに至り平家が没落した後は、源頼朝公が山田荘を統治しました。源頼朝公は、1187(寛文15)年には山田荘を京都の左女牛八幡宮に社領として寄進しています。左女牛八幡宮は、京都・六条にあった源氏の邸宅の中にあった神社で、そこから八幡大神の分霊を招いたことから六條八幡宮と呼ばれるようになったそうです。

 また、山田荘神功皇后が三韓遠征の際に務古の水門に碇を下ろして上陸して山田の地に行宮を築いたという伝説のある土地で、平安時代の995(長徳元)年に周防国の僧侶・基灯上人円融寺という寺院を建立した際に、神功皇后の皇子である応神天皇=八幡三神を祀る若宮八幡神社を建てたのが起源という話もあります。おそらくは、もともと神功皇后ゆかりの地に建てられていた祠をベースに基灯上人若宮神社を建立し、源氏が山田荘を掌握した頃に一族が崇拝する八幡大神を祀っているこの神社を再興して六條八幡宮として整備を行ったと思われます。




1688(貞享5)年に再建された社殿。神戸市の指定文化財になっています。



 建立以来、山田13か村の総鎮守として人々から崇敬されてきた六條八幡宮には、17mを超える立派な三重塔が建っています。これは基灯上人が建立し神宮寺として村人たちの崇敬を集めていた円融寺に、1466(文正元)年に氏子である鷲尾綱貞公が発願して建立されたもので、当時の神仏混交の名残りを今に伝える貴重な建造物として重要文化財に指定されています。




社殿の西隣に建つ薬師堂。基灯上人が創建した円融寺の遺構といわれています。



 六条八幡宮は、1月19日の厄除祭の引目神事、10月第2日曜日の例祭の流鏑馬神事など、弓矢にまつわる神事が行われることでも有名です。これは山田荘を領有していたとされる源為義公ならびに弓の名手として有名だった息子・源為朝公にちなんだものだと思われ、江戸時代には行われていたそうです。「ウマカケ」と呼ばれている流鏑馬神事では、まず静止した馬上から矢を射たあと鳥居から本殿までの約100mの距離を早駆けします。これを2度行った後、今度は疾走する馬の鞍上から矢を射るという神事を2度行います。当番に当たった乗り手の方は、1ヶ月ほど練習をされるそうですが、乗馬と弓矢を両方こなすのは大変なようで、落馬されたり的を外すことも多いようです。




1466(文正元)年に建てられた三重塔。
大工・藤原周次と小工・藤原光重の2人が造営。



アクセス
・神戸電鉄「箕谷駅」下車、神戸市バス111系統衝原行きで「山田小学校前」バス停より北西へ徒歩5分
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拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

神戸の神社
兵庫県神社庁神戸市支部
神戸新聞出版センター

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