神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・四宮神社(生田裔神八社)。

2007年02月24日 | ■神戸市中央区
芸能成就・縁結び・交通安全

四宮神社(生田裔神八社)

(よのみやじんじゃ)
神戸市中央区中山手通5-2-13


生田裔神八社




山手幹線に面して立つ鳥居。隣の高層マンションの1階が社務所です。


〔御祭神〕
市杵島姫命
(いちきしまひめのみこと)




 創建時期は不明ですが、神功皇后による三韓遠征の帰途、稚日女命を生田の森にお祀りした際に巡拝した8社のうちの4番目の神社として「四の御前の神」と名付けられました。

 ご祭神は天照大御神素盞鳴尊との誓約(うけい)の際に誕生された5男神3女神のうちの一柱・市杵島姫命です。市杵島姫命は神仏習合の中では弁財天に比定されており、美人の誉れの高い宗像3女神の中でも特に美しい女神として高い人気を誇っている神さまです。広島県・安芸宮島の厳島神社から勧請されたとされていますが、宗像3女神を祀る福岡・宗像神社とも関係があったようです。




朱塗りの鳥居。「芸能の神さま」への入口です。



 戦国時代の1574(天正2)年、石山本願寺毛利氏との補給路を分断する大きな楔として、織田信長公の命によって花隈城が大改修された際、四宮神社は城の鬼門鎮護の神と定められ、城主・荒木村重公より幣帛が奉納されました。その頃の花隈城は山手幹線辺りまで城域が広がっていたと伝えられており、荒木村重公の謀反を受けた織田軍の制圧戦によって花隈城が落城した際には兵火に巻き込まれたこともあったようです。現在の場所に移されたのは1854(安政元)年。その際三議稲荷神社が境内に祀られ、続く1855(安政2)年には八幡神社が祀られました。




社殿も朱塗りが鮮やかです。1963(昭和38)年の再建です。



 1902(明治35)年に兵庫県の新庁舎(現在の兵庫県公館)が建設されると、「県政守護の神様」とされて県庁関係者からの厚い崇敬も受けるようになります。1905(明治38)年6月に起きた大火事によって被害を受けましたが、芸能人・文化人や各界の有力者の助力を受けて5年後には無事復興されます。

 1927(昭和2)年には村社に列せられ、歴代の兵庫県知事四宮神社の例大祭に参列されるようになりました。1945(昭和20)年の空襲で大きな被害を受けますが、当時副知事を務めていた金井元彦氏の声掛けによって復興奉賛会が結成され、1960(昭和35)年5月から浄財を募集、氏子崇敬者・神戸市民や芸能・文化人など多くの方々の協力を受けて1963(昭和38)年5月10日に現社殿が再建されました。






 その昔、神戸で「花街」といえば福原ではなく花隈のことを指していました。料亭やお茶屋さんが50軒以上立ち並び、多いときには1000人近くの芸妓さんがお座敷に彩を添え、客層も皇族から財界人まで錚々たる顔ぶれだったそうです。そんな花隈に鎮座する四宮神社は、芸能の神さま・市杵島姫命を祀っていることもあり、花隈の芸妓さんの襲名奉告や舞の奉納が行われ、花隈芸者は一度は鑑札(営業許可書)を受けなければならなかったといわれており「花隈芸者の名付けの神」として有名でした。

 そんな四宮神社の境内には、弁財天芸能塚が建てられています。美と芸事の神さま・市杵島姫命を祀る四宮神社を崇敬する方々によって1984(昭和59)年4月に弁財天崇敬会が結成され、多くの方の浄財を受けて1年後の1985(昭和60)年4月に建立されたのが、この弁財天芸能塚です。毎年4月の第1土曜日もしくは日曜日には「芸能塚祭」が執り行われ、文化・芸能活動に打ち込んでいる方々から奉納された愛用の筆や扇や楽譜、鉛筆等を焚き上げてその長年の労をねぎらい、供養するという神事が行われています。




社殿前に鎮座する八幡神社。1855(安政2)年に勧請されました。




アクセス
・神戸市営地下鉄「県庁前駅」下車、徒歩2分
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拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

公式サイト
   四宮神社公式ホームページ

神戸の神社
兵庫県神社庁神戸市支部
神戸新聞出版センター

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