積極目的規制 (kim-s)
2011-10-07 02:07:07
はじめまして。「急所」大変興味深く拝見させていただいています。その中で疑問がいくつか生じましたので失礼かと思いますが質問させて下さい。
まず、木村先生は「急所」の「ペットボトル輸出規制事件」の中で積極目的規制が
予測可能性侵害の程度が高いことから「特別の犠牲」にあたりやすいと解説されています。
このような考え方を応用すれば、経済的自由権制約の場面で積極目的規制であれば
予見可能性侵害の程度が高いことから経済的自由権の侵害の程度が高度であるという議論は出来ないのでしょうか。
一般的に、積極目的規制については立法府の広汎な裁量を尊重する見地から
緩やかな審査基準を採用することが主張されますが、かかる議論との整合性も疑問です。
また、先生は「急所」の「国家伴奏拒否事件」で被告側の反論として憲法秩序の構成要素説を挙げていますが、
この説の位置付けがいまいちよくわからないのです。
公共の福祉による制約とは別の特別な制約根拠として位置づけられるものなのでしょうか?
およそ全ての利益は抽象的に公共の福祉に還元されることを考えれば独自の制約根拠としての位置付けではなく、
公共の福祉による制約の正当化判断の中で公務員の人権であることに配慮することを求める説だと考えるのでしょうか?
公務員の人権の特殊性はわざわざ憲法秩序の構成要素説と言わなくとも
正当化判断の中で当然に考慮されるものと考えていたので何か特別な意味があるのか疑問です。
また、補足的ではありますが同じ問題で被告の反論として同意の理論が出てきますが、
原告があれだけピアノ伴奏を明示的に拒否している事案で同意の理論を反論として用いる意味はあるのでしょうか。
最後に、法人の人権享有主体性について質問です。先生は過去の質問に対して
株式会社は自己実現を目的とする団体ではないから原則として自己実現の価値を主張できないが、
国民の知る権利保護との関係で主張が認められ得る旨おっしゃっていました。
この場合、なぜ第三者たる国民の権利につき主張適格が認められるのでしょうか
(団体の構成員の権利主張の場合は実質的関係を有する者として法人にも主張適格が認められそうですが。)
以上、憲法の理解の足りない者の不適切な質問ではあると思いますが御回答よろしくお願いいたします。
kim-sさま (kimkimlr)
2011-10-07 06:18:51
それでは、お答えいたします。
まず、第一点ですが、
積極目的の営業規制の場合に、審査基準が緩やかになるのは
第六問に解説したような理論があるからで、
<侵害の程度が弱いから>ではありません。
また、営業の自由の保障の根拠と、既得の財産権の保障の根拠は、異なっているため、
予測可能性の侵害の程度という要素は、営業の自由の制約では大きな問題にならないはずです。
第二点ですが、構成要素説は、要するに、
憲法自体が権利制約を想定している、という正当化です。
これは、(公共の福祉を類型化したものといえるかもしれませんが、)一応、別の正当化根拠です。
ええと、刑法230条の2(刑法自体が想定する違法性ないし処罰阻却事由)と緊急避難の関係のようなものだと思ってください。
まだ、同意の理論ですが、これは事前(公務就任時)に同意したので正当化される、
というロジックなので、式当日に嫌がっていたかどうかは関係ないはずです。
第三ですが、マスメディア法人の報道・出版の自由の基礎づけ論は、
第三者の権利を主張しているのではなく、
第三者の利益に奉仕することを、権利の保障根拠とするものです。
これは別におかしいことではなく、
一般の表現の自由も、民主的決定をよりよいものにする、
という表現者当人以外の人々(社会)の利益の実現に資する
ということを保障の根拠にしますよね。
構造としてはそれと同じで、
第三者の権利主張とは違うわけです。
こんな感じでどですか??
ありがとうございます (kim-s)
2011-10-07 13:47:38
早速の御回答ありがとうございました。
積極目的規制について、営業の自由の保障根拠として「生計を維持すること」がある点、
営業の多くはは財産の取引により行われる点を考えた場合、予測可能性を侵害する財産に対する制約が営業の自由を制約し、
生計の維持が図れなくなる場合も想定されるのかと思い質問させていただきました。
先生の御回答を拝見して感じたのはやはりこの議論は営業の自由の制約からは遠いもので、
財産権の制約という観点から問題を把握するのが適切なのかなと感じました。
ただ、上記議論も全くありえないわけではないから「大きな問題にはならない」という御回答だったのかなと。
構成要素説の意味とは「憲法自体が権利制約を想定している」ことを強調することにより、
対立利益を公共の福祉に抽象化した場合より審査を緩和するための議論との理解で大丈夫でしょうか?
マスメディア法人の報道・出版の自由について、大変よく分かりました。
第三者の「知る権利」の主張ではなくこれを保障根拠として自身の「報道の自由」を主張しているのですね。
>kim-sさま (kimkimlr)
2011-10-07 16:28:05
はい。そのような感じです。
がんばってください
2011-10-07 02:07:07
はじめまして。「急所」大変興味深く拝見させていただいています。その中で疑問がいくつか生じましたので失礼かと思いますが質問させて下さい。
まず、木村先生は「急所」の「ペットボトル輸出規制事件」の中で積極目的規制が
予測可能性侵害の程度が高いことから「特別の犠牲」にあたりやすいと解説されています。
このような考え方を応用すれば、経済的自由権制約の場面で積極目的規制であれば
予見可能性侵害の程度が高いことから経済的自由権の侵害の程度が高度であるという議論は出来ないのでしょうか。
一般的に、積極目的規制については立法府の広汎な裁量を尊重する見地から
緩やかな審査基準を採用することが主張されますが、かかる議論との整合性も疑問です。
また、先生は「急所」の「国家伴奏拒否事件」で被告側の反論として憲法秩序の構成要素説を挙げていますが、
この説の位置付けがいまいちよくわからないのです。
公共の福祉による制約とは別の特別な制約根拠として位置づけられるものなのでしょうか?
およそ全ての利益は抽象的に公共の福祉に還元されることを考えれば独自の制約根拠としての位置付けではなく、
公共の福祉による制約の正当化判断の中で公務員の人権であることに配慮することを求める説だと考えるのでしょうか?
公務員の人権の特殊性はわざわざ憲法秩序の構成要素説と言わなくとも
正当化判断の中で当然に考慮されるものと考えていたので何か特別な意味があるのか疑問です。
また、補足的ではありますが同じ問題で被告の反論として同意の理論が出てきますが、
原告があれだけピアノ伴奏を明示的に拒否している事案で同意の理論を反論として用いる意味はあるのでしょうか。
最後に、法人の人権享有主体性について質問です。先生は過去の質問に対して
株式会社は自己実現を目的とする団体ではないから原則として自己実現の価値を主張できないが、
国民の知る権利保護との関係で主張が認められ得る旨おっしゃっていました。
この場合、なぜ第三者たる国民の権利につき主張適格が認められるのでしょうか
(団体の構成員の権利主張の場合は実質的関係を有する者として法人にも主張適格が認められそうですが。)
以上、憲法の理解の足りない者の不適切な質問ではあると思いますが御回答よろしくお願いいたします。
kim-sさま (kimkimlr)
2011-10-07 06:18:51
それでは、お答えいたします。
まず、第一点ですが、
積極目的の営業規制の場合に、審査基準が緩やかになるのは
第六問に解説したような理論があるからで、
<侵害の程度が弱いから>ではありません。
また、営業の自由の保障の根拠と、既得の財産権の保障の根拠は、異なっているため、
予測可能性の侵害の程度という要素は、営業の自由の制約では大きな問題にならないはずです。
第二点ですが、構成要素説は、要するに、
憲法自体が権利制約を想定している、という正当化です。
これは、(公共の福祉を類型化したものといえるかもしれませんが、)一応、別の正当化根拠です。
ええと、刑法230条の2(刑法自体が想定する違法性ないし処罰阻却事由)と緊急避難の関係のようなものだと思ってください。
まだ、同意の理論ですが、これは事前(公務就任時)に同意したので正当化される、
というロジックなので、式当日に嫌がっていたかどうかは関係ないはずです。
第三ですが、マスメディア法人の報道・出版の自由の基礎づけ論は、
第三者の権利を主張しているのではなく、
第三者の利益に奉仕することを、権利の保障根拠とするものです。
これは別におかしいことではなく、
一般の表現の自由も、民主的決定をよりよいものにする、
という表現者当人以外の人々(社会)の利益の実現に資する
ということを保障の根拠にしますよね。
構造としてはそれと同じで、
第三者の権利主張とは違うわけです。
こんな感じでどですか??
ありがとうございます (kim-s)
2011-10-07 13:47:38
早速の御回答ありがとうございました。
積極目的規制について、営業の自由の保障根拠として「生計を維持すること」がある点、
営業の多くはは財産の取引により行われる点を考えた場合、予測可能性を侵害する財産に対する制約が営業の自由を制約し、
生計の維持が図れなくなる場合も想定されるのかと思い質問させていただきました。
先生の御回答を拝見して感じたのはやはりこの議論は営業の自由の制約からは遠いもので、
財産権の制約という観点から問題を把握するのが適切なのかなと感じました。
ただ、上記議論も全くありえないわけではないから「大きな問題にはならない」という御回答だったのかなと。
構成要素説の意味とは「憲法自体が権利制約を想定している」ことを強調することにより、
対立利益を公共の福祉に抽象化した場合より審査を緩和するための議論との理解で大丈夫でしょうか?
マスメディア法人の報道・出版の自由について、大変よく分かりました。
第三者の「知る権利」の主張ではなくこれを保障根拠として自身の「報道の自由」を主張しているのですね。
>kim-sさま (kimkimlr)
2011-10-07 16:28:05
はい。そのような感じです。
がんばってください
株式会社が政党に対して献金することにより、有利な施策を実現してもらい、それにより得ることのできた利益は会社、ひいては株主に還元されること、及び政党政治を活発化させることができ民主主義の発展に寄与することから、株式会社会社には政治献金の自由が保障される(露骨なので実際はもう少しオブラートに包みますが)、という見解。
株式会社が報道をすることにより、その会社の構成員である従業員は自己実現を果たすことができること、及び報道により、その情報を受け取る国民の知る権利に奉仕すること、から、株式会社には報道の自由が保障される、という見解。
なのですが、これで成り立っているのでしょうか。あつかましいとは思うのですが、是非とも先生のご意見をいただきたいと思いました。どうか宜しくお願い致します。
政治献金の自由ですが、これは、どの自由権の保護範囲に含まれているのかが不明確だと思います。
ではでは
政治献金の自由は、表現の自由としての政治活動の自由に含まれる、と考えるとどうでしょうか。株主は会社が利益をもたらす行為を行うことについては、基本的に同意していると思われ、政治活動としての政治献金を行うことについても、会社に利益をもたらす以上は同意しているのではないかと思いました。加えて、政党政治の発展に役立つという見方ができるかもしれません。
ただ、教科書の中には株式会社には政治活動の自由は保障されないという記載をしているものもあります。共同行使説から享有主体性を肯定する理由付けはできるのでしょうか。
自明の事柄ではなく、おそらく否定説の方が有力です。
法人に献金の自由がないという見解が多いのは、
そういうことかと思います。
あと、この表題と直接関係しないのですが、あと一つだけ質問させてください。
パターナリスティックな制約というのは、なぜ権利の制約の根拠となれるのか、という点です(原発事故後に周辺住民に避難命令がだされましたが、家畜農家の方が早く帰りたいと言っているのをみて、帰らせないことをどう正当化するのか、という疑問がわきました。)
「急所」の公共の福祉による正当化で問題とされているのは、ある自由を無制約に認めると、他人や公の利益と抵触することになるから、その調整をどう図るか、ということにあるのだと思います。
これらの対抗利益を憲法が保護しているということはわかります。
しかしなぜ権利行使をしている本人の利益を図る必要性を、憲法が要請しているといえるのか、がわかりません(他人に迷惑をかけなければ何をしても自由なはずなのに、自己加害の危険があるからそれをしたらダメというのは何故正当化できるのか、制約目的からして不当な気がします)。
農家の人たちも、本人がいいと言っているのになぜ帰らせてくれないんだ、と思った方もいるのではないでしょうか。
長文になり申し訳ありません。木村先生はパターナリスティックな制約の正当性についてどうお考えになるでしょうか。
尽きているとしたらおっしゃる通りですが、
尽きている、と断言するには
いろいろ議論が必要なはずです。
根拠法を調べてみてください
全国でも、この本件が最初の神社公民館建築補助金交付の憲法第20条、第89条政教分離原則違反事件で、新判例でした。
その結果として、「神社と公民館(社会教育法第42条公民館に類する施設)の併合」となった事件です。
わたしが、その町会被告・控訴人の当事者として、民事訴訟を政教分離原則違反4項目(請求の原因、傍論)が一部勝訴、及び民事違反の3項目に基づく、損害賠償請求の請求の趣旨を本人訴訟で提訴、勝訴した。
そして、高裁判決が、確定した経緯でした。
また、同じく本人訴訟の別件で、その同じ神社公民館併用施設に対する、市長の増改築補助金交付について、地方自治法第242条の2、住民訴訟も同様に提起し、市の同神社へ自治公民館補助金の支出を、政教分離違反の請求原因が、同じく傍論の政教分離違反の一部勝訴判決となった経緯でした。
前者は、平成18年3月1日、後者が平成21年8月19日の夫々、高裁判決となって、確定したので、事件は終了したものです。
さて、二週間ぐらい前のこと、その町会から委託されたとして弁護士代理人が、市長へ上申書を提出し他とのことでした。
当該町会の会長に係る上記の民事訴訟と住民訴訟の二事件に関するところの、町会長(前者では被告・被控訴人当事者、後者の訴外関係人)が、市政に関係する個人情報について、情報公開条例の開示請求に応じて開示しないよう、求める旨の記載となっていたからとして、わたしの右二事件に係る本人の原告・控訴人当事者対して、市の当該所管する管理者が、わたしへFAXを送信して来たので、その書面の受領を拒否した経過であった。
その問題点は、”既に判決が確定した場合”に、当事者の被告・被控訴人代理人が、当事者の代理を判決の効力範囲内当事者ではない。
したがって、民事訴訟法第115条、行政事件訴訟法の右条文類推適用、及び第32条、第33条など、関係条項に基づいて、再審請求以外には一切の当該確定判決に係る、効力範囲内記載以外に、第三者、代理人の弁護士などが、これら二事件の確定判決に関係して、行政行為に介入することを許容されるか、否かという課題です。
そこで、法務省、最高裁など、これら二事件が関係する所管部局へ問い合わせたら、「判決の効力確定によって、国家権限行使の最終判断である」との、全く同じ回答でした。
また、「それ以外に、言う必要も一切ない」と言うのも、同様でした。
その後は、「上記のような訴訟法上の定めによって、一字一句と言えども判決の確定内容、その判決、判決の効力範囲内の当事者など、それ以外の当事者、ないし判決の確定内容について、変更できない」と、右の法令条項をありのままに、読む説明でした。
一見すると、この二事件は複雑そうな、市政と神社公民館併用施設を市の交付金で、増改築建設したもので、憲法第20条、第89条政教分離原則に反する事件の判決文です。
それら二件の判決が確定して後、このように、再審請求ならばいざ知らず、その判決文に記載されていないことについて、色々言われても、どうしようもないので困った。
そして、これら二事件に関係する法律の所管省庁は、法務省へ問い合わせル用にと、アドバイスしてくれました。
それでも更に、憲法の判決が新判例だったので、確定している場合に念のため、最高裁へも問い合わせた結果でした。
多分、弁護士が弁護士法に反して、その懲戒処分規定に触れるような、違法の行政介入を図ったのではないだろうか?
そのように、解釈する以外に、合理的説明ができない。こふぇらの裁判は、何れも本人訴訟として判決の確定した事件でした。
その問題点を、以下のように理解できました。
さて、それは、この判決確定の民事事件町会被告と、住民訴訟事件の市長被告が、従来から町会運営補助金交付のあて先住所、当該固定資産の納税義務者賦課通知書あて先住所にして来たので、故意の工作をした結果の相違を、生じて来たものでした。
正規規約の町会会則第1条に基づいて、町会事務局の記載となった民法に基づく、「生活の本拠地である住所地」ではなく、当該神社の住所を、市政の固定資産税課が、固定資産税台帳の町会所有者納税義務者住所にし、地方税法第20条に基づく賦課徴収通知書の送達郵便が、町会の正式の事務局へ届かない。
その郵送による送達が、届く筈がない「宗教法人法類推適用の固有の宗教施設」で、”神が済むところの神社”へ、市政の資産税課が違法の手段によって、神社に町会事務局が「権利能力なき社団の法人として、居住していないにも拘わらず、町会事務局へ、その納税台帳住所氏名の町会に対する、”課税の賦課通知書を虚偽による届け”となっている。(開示文書の市政公文書)
その固定資産税減免措置は、町会による申請手続きと、市長の許可になっている。
その補助金助成と、資産税の賦課、及び減免許可は、町会の民事訴訟と住民訴訟の政教分離違反が確定して、市長が神社公民館増改築建築補助金を交付した町会が、違憲、違法行為の対象となった判決効力確定の案件であった。
よって、公金の町会運営補助金交付規則、及び地方税法、そして憲法第20条、第89条などの違反を、免れ得ない。
この市政による政教分離違憲、その他法令違反の事実を、合理的説明して解明を試みた経緯でした。
なお、この件は、空知太神社の祠が砂川会館の中にある最高裁大法廷平成22年1月20日判決における、自治公民館の神社併用施設と、全く同じケースでした。
実際に、わたしの当該神社公民館判決を弁護士、原告等の求めに応じて、提供した判決文、その他関係資料などが、札幌地裁、高裁、最高裁へと提出されて、証拠採用の結果となった経過でした。
また、横浜市戸塚区の宗教法人白幡神社境内に、自治公民館の社務所併用施設が現存して、同様なケースの政教分離違反となっていて、これは神奈川県と横浜市、文部科学省などが、違憲違法の事実を認めている。同様な法的根拠と効果要件です。