違憲審査基準について (hiro)
2012-01-20 21:21:11
先生、ご質問です。「急所」を愛読しております。「急所」で
は、違憲審査基準が、権利の重要性と規制の強度の組み合わせ
を[類型的]に判断して決まると書いてあったように思います。
違憲審査基準を設定する際に、今まで、「表現の権利は重要で
ある。そして、本問Xの~という行為の自由は、世界の裏側ま
で情報を発信できる点で特に重要である。規制は停止処分であ
り、強度のものである。本問では、特にXの特に重要な権利に
対して、停止をしてしまったら、Xは事実上表現の場を奪われ
ることになり、規制の強度は特に強い。そこで、厳格な違憲審
査基準を設定すべきである。目的が重要で~、目的と手段の間
に~、次にあてはめをする。」という流れで論じてきたのです
が、そのような論じ方はやはり類型的でなく、間違っています
よね?表現の自由で保護される個別の行為の中でも、特に重要
なものはあるだろうし、規制も個別の事情によっては強度が強
まるものもあると思って、今もそれを違憲審査基準の設定段階
で論じたくなってしまっているのです。是非私の理解の誤りを
ご指摘いただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
>hiroさま (kimkimlr)
2012-01-20 21:54:51
ご指摘の論じ方で方向は正しいです。
表現の自由は、どの表現が役に立つ表現かは分からないから、
「表現」と呼ぶに値するものは、
内容をとわず手厚く保障しようという発想の自由権です。
ただし、こう考えますと、その行為を「表現」として
手厚く保障すべきかどうかは、保護範囲・制約の認定段階でき
ちんと考察する必要がある、
こういうことになります。
感謝しつくしてもしたりません。 (hiro)
2012-01-21 07:29:21
ご返信ありがとうございます。私の従来の論じ方でよいという
ことになると,違憲審査基準は類型的に決まるわけではない気
がするのですが,それでも,よろしいのですか?せめて,違憲
審査基準設定段階では,「Xの行為は~で特に重要,Xにとって
の規制は~で強度」ではなく,「Xの{ような}行為は~で特
に重要,Xの{ような}ものに対する規制は~で強度」とぼか
すべきでしょうか?さらに,違憲審査基準の設定段階で,具体
的事情に踏み込んでいる以上,あてはめがスカスカになる気も
するのですが,よろしいのでしょうか?何回も質問して申し訳
ございせん。なにぶん,私は,3年生でございませて,一刻の
猶予もない点ご理解いただけたら大変嬉しく思います。是非ご
返信いただけたらありがたいです!!
>hiroさま (kimkimlr)
2012-01-21 07:42:01
ふーむ。
まず、表現の自由の審査基準はベースがかなり厳しいので、
個別事情に応じてぐっと重くなったりはしません。
(内容着目規制の場合は、重くなりますが)
ただ、制約の認定のあたりで、そういう風に論じることは、説
得力を増すでしょう。
違憲審査基準の設定段階で論じる個別事情は、
制約された権利の事情に限定されます。
制約によって得られる利益の側は、いわゆるあてはめでしっか
り論じなくてはならないので、
規制して得られる利益が全くないような特殊な事案出ない限り
、
あてはめがスカスカになるのは、事案分析が足りないというこ
とになるでしょう。
ではでは、頑張ってください。
昔大学受験の小さな塾で英語を教えていたので、法学に関する
「誤訳らしきもの」に違和感を持つことがたまにあるのですが、
そこからいわゆる厳格審査基準について考えたので、
2点、質問させてください。
厳格審査基準は、問題となっている制約が
1.「やむにやまれぬ」重要目的を有し
2.手段として目的達成のために必要不可欠である
場合に正当化されるという基準と理解しています。
この規範について、先生の憲法の急所18ページにおいて、
「やむにやまれぬ」が【compelling】の訳であるような記載があります。
一方、
http://uno.law.seikei.ac.jp/~annen/con07-03.html
を参照すると、厳格審査基準の目的要件は、
「compelling interestsを達成しようとする目的であること」
とされています。
【compelling interests】という表現からは、「その利益(公益)が何かを
強制する」、というニュアンスが読み取られます。目的手段審査の枠組みで
いえば、「その利益を得るために、問題となっている制約を国家が行うことが
強制される」というニュアンスとなり、結果、
「国家が担わざるを得ないような重要な、あるいは、その制約をすることを強いる
ような性質の利益を達成する」という目的。
これが狭義の厳格審査基準の目的要件になるだろうと考えました。
こう考えると、訳語として、「やむにやまれぬ目的」という表現は適切では
ないように思われます。略しすぎて混乱を生む表現になってしまっている
ということです。
上述の日本語としての不正確さを受けてのことであろうと拝察しますが、
「急所」では「極めて重要な」目的という表現をされています。
1点目の質問は、この「極めて重要な」目的という規範を
司法試験でも使って良いのか、というものです。
また、compelling interestsを「その制約をすることを強いるような利益」と
解すると、目的審査の考慮要素に手段の性質を入れることにつながるように
思われます。一方で手段審査も、「目的達成のために」と目的を前提に
行われるため、手段審査と目的審査が循環論法的になる。
そのため、目的と手段の2つの要件を分割すること自体が
不適切であるように思えてきます。目的達成のため必要不可欠、という
要件に全部収斂されているようにも思われるのです。
2点めの質問は、このように考えていくとどうも、「やむにやまれぬ重要な
利益を達成する目的」という規範を使った判断の思考過程がスッキリしない
のだがどうしたらよいのか?というものです。
※compelの対象を制約ないし手段ではないと考え、
「その達成を国家に強制させるべき公益」という意味に和訳をすれば、
例えば「殺人の予防」なんかがそれにあたると思いますので、
2点めの質問は悩み無用、ということになりますね。
申し訳ないことに不勉強で、compelの目的語が何かを確定するために
原典をあたることはしておらず、その点についても迷走しています。
試験対策という意味においては、もう「やむにやまれぬ重要目的」≒
「極めて重要な目的」という意味として皆が認識していると思いますので、
それに乗っかって、違和感を呑んで、他の目的手段審査と同様に
処理していこうとは思っています。
ただ違和感が残っているのは確かなので、このように質問させて頂きました。
お時間があるときにお返事頂けると幸いです。
失礼致しました。
もし気になるなら、
目的がcompelling interestを追及するものであること
というように英語で書けばいいでしょう。
それでも試験委員には通じます。
二点目ですが、
compelされているのは国家ですから
ご指摘のような懸念は不要でしょう。
com. int.というのは
国家がその追求を断念しえない利益のことです。
私は、審査基準を設定する上で考慮されるのは、
急所、判例:権利の重要性と規制の強度
有力説:権利の重要性のみ
一部学説:ほぼ常時厳格審査
だと理解していました。
どの考え方にしても、裸の利益衡量となるのを避けるため、
対立利益を考慮して審査基準を設定することはしていなかったと思っていました。
しかし、その気分で9月号の法律入門者用雑誌を読んでいたところ、
対立利益に憲法上の要請があるケースですが、対立利益の重要性が審査基準に影響を与えるかのような起案例があり、
読んで混乱しています。
不勉強でわかりませんが、こういうのが噂のスライディング・スケールなのでしょうか?
また、一番気になる点なのですが、憲法の答案で対立利益を加味して審査基準を緩やかにする旨を書くとどのような評価になるのでしょうか?
一般的にはよくない印象を与えるでしょうね。