たけるんさま、コメント読ませて頂きました。
それでは、コメントさせていただきます。
前回、対局風に書いたところ、分かりにくいというご指摘を頂きましたので、
普通に書きます・・・。
結論から申しますと、たけるんさんのレポートには色々な問題があります。
以下、指摘していきますが、これはたけるんさんへの個別的非難を目的としたものではなく
たけるんさんレポートを素材に、
レポートや卒論を書く際に注意しなくてはならないところで
こういうことに注意しましょう、という内容の記事だとお考えください。
(読者の皆様、司法試験とは、あまり関係のない部分ですので、
以下のたけるんさんの記述や私の指摘の意味が良くわからなくても
焦らないでください)
(今回のたけるんさんの議論は、正直、私も理解できない部分が多く、
書かれている内容が良くわからない、という方は、
そんなに心配せず、私が、たけるんレポートにどういう指導をしているか
に注目して読んで頂ければと思います。)
>そもそも「最後の最後でどっちにするかの問題」ってなんですか?
主張と反論には多くの合理的なものがあります。
その上で、双方につき戦わせ、強い主張と反論が残ります。
残ったものには,どっちも説得力がありますが、審判は白黒つけなきゃいけない。
そのジャッジを決めるのが違憲審査基準ではないか,ということです。
まず、この「強い主張と反論」という言葉は、雰囲気だけで、
何を意味しているか不明で、コメントのしようがありません。
なので、この文章全体があいまいになってしまっています。
こういうことを書く場合は、相手に伝えることを意識して、定義を示しましょう。
また、仮に、「強い主張」と言うのを、
結論を出す上で重要な主張、説得的な主張、を意味するとします。
そもそも説得力の有無を判断するためには、
どういう基準によって主張を判断するか、と言う枠組み(例えば審査基準もその一つ)が必要です。
それに、原告に有利な結論とは、
制約された権利の価値が高い、
それゆえ厳格な審査基準が適用される
目的は正当ないし重要ではない、
手段として関連性・必要性がない、といったもので、
説得的に示せれば「厳しい基準を設定すべきだ」という議論は、
まさに「強い主張」になります。
さらに、法的な場での「強い主張」というのは、事実の羅列によって
共感や同情を得られるものを意味しません。
あくまで法的要件という枠組みの中で、説得力のあるものです。
なので、「強い主張」をそう理解しても、最後の最後云々という議論は導けません。
(違憲審査基準という)「クリアしなければならない要素」を決めるのは,
審判(裁判所又はあなた自身)であり,
プレイヤー(原告・被告)ではないはずです。
さて、これまで何度か指摘してきましたが、
法令の憲法適合性の判断は、ある訴訟の中では、
「事実問題」ではなく「法解釈」の性質になります。
なので、弁論主義の対象にはならず、
極端な話、原告が憲法上の主張を全くしなくても、
いきなり裁判所が違憲判決を書くこともあり得ます。
もし、この箇所が、そういうことを指摘しているのであれば、
それはもちろんその通りです。
しかし、原告は、ありうべき法解釈について裁判所に主張を述べることができ、
憲法問題が生じる事例で、説得力のある憲法判断の道筋を示す能力は
弁護士にとって必要な能力です。
公法系第一問の問1は、そのような能力を問う問題という側面がありますので、
当然、どのような違憲審査基準を立てるべきか、
についても議論しなくてはならないでしょう。
たけるんさんのこの指摘は、こういう観点から見たとき、
何が言いたいのか、良くわからないものになっています。
自分が何を目指して主張をするのか、を意識して、
レポートでは、文章を組み立てなくてはなりません。
>「法令で問題となる権利一般」というと、本問の場合、
例えば、国民の情報受領権や地図検索システムを神と看做す人の信教の自由も主張できることになります。
さて、この私の手は、ある種のややこしいトラップになっています。
法令審査では一般的事情、処分審査では個別事情と言われます。
しかし、一般的事情と個別事情の区別は簡単ではありません。
ちょっと議論をはなれて、立川ビラ事件を考えてみましょう。
問題の法令は刑法130条、住居侵入罪処罰規定です。
この規定は、表現行為のための立入にも、それ以外の目的の立入にも適用されます。
ここで、原告が表現の自由に依拠して
「刑法130条全体」の違憲を主張することはできるでしょうか?
できません。
そこで、原告は、刑法130条のうち、一部の違憲の主張をします。
それには次のような主張が考えられますね。
①刑法130条は、(私のような)表現のための立入を処罰している点で違憲だ。
②刑法130条は、(私のような)反戦ビラ配りのための立入を処罰している点で違憲だ。
①も②も、刑法130条全体という水準から見ると、具体的です。
他方、
①は②よりは、抽象的です。
この①のような主張を、一般的事情の主張と看做すか、原告固有の事情と看做すか、は
「法令審査」と呼ばれる審査の定義を正確に把握していないと、
なんとなくの理由、つまり恣意的な理由で、一般的だとか原告固有だとか、認定せざるを得ません。
私は、たけるんさんの書き方からすると、
正確な「法令審査の定義」を理解できていないと思っていましたので、
「生活ぶり・・・」とか「インターネット上に・・・」といった事情が、一般?固有?と質問すれば、
恐らく恣意的な理由でこれはこっち、あれはこっちと言ってくるはずだと読みをいれておりました。
そういう視点でたけるんレポートを見てみますと
前者は「法令の規制対象に“当然に含まれるもの”」
後者も「原告以外にも適用対象はいる」
という理由を示して、「一般」としています。
しかし、例によって「当然に含まれる」の定義はなく、
「原告以外にも適用対象はいる」ということでしたら、
ありとあらゆる要素がそうなります。
ここでは
「法令審査とは・・・という審査である。
よって、ここで原告が主張できる事情とは、・・・となる」
という論証が必要なわけですね。
定義や前提をしっかり示して、議論をする。
レポートを書く際の基本です。
さて、このように見てくると、たけるんさんがやらなくてはならない作業は、
「法令審査」と「処分審査」の定義を示して、
そこから演繹的に、キムラ先生のここが違う、ということになります。
ツツミ先生が最後にしっかりフォローをして、そうやりなさいと指摘しているわけですね。
私は、常々、
法令に全く違憲部分がないのなら、それに根拠を持つ処分が違憲である、
ということは理論的にあり得ない、と説明してきました。
このことは、学説によって違うという性質のものではなく、
(3×2が6であることについて、数学説の対立がないのと一緒です)
理論の一義的な帰結です。
そして、このことを前提にせずに、
法令審査・処分審査、法令違憲・処分違憲の概念を理解しようとすると、
理論的にあり得ない奇妙な見解になるわけです。
さて、このことを前提にすると、「処分違憲」は、
それを基礎づけている法令の一部が違憲になる処理と解さざるを得ません。
(それ以外の見解は、3×2=32を前提にした「学説」のようなもので、
学説の名に値しません。
この点については何度も指摘してきたことなのですが、
32だと信念を持っている方とは、さすがに合理的な議論ができません。)
(試験委員全員が32と信じていると断言されるのであれば、
もう、それはしょうがないことです。
私は、試験委員の顔ぶれからして、そんな初歩的な理論ミスをするわけがない
とさすがに思います・・・。)
そういう視点で、たけるんレポートの
第1類型は,法令そのものに問題があるケースです(作法242頁)。
という指摘から見ますと、
法令そのものに問題がないのに処分・適用が違憲であるケースという
ナンセンスな概念を立ていることが分かります。
そして、このような根本的な誤解を抱えているため、
「法令審査と処分審査の定義」という今回のレポートで要になる部分が
書けないということになるわけです。
平成20年採点実感2頁の「被告(当事者)としては法令違憲の主張をまず行い、
それが認められない場合でも本事件に関して適用違憲(処分違憲)が成り立つことを主張する方法が、
まず検討されるべきである」という記載
を引用するだけでは、定義が不明確です。
(そういう意味では、採点実感自体に問題がありますが)
他方、従来の学説として示された定義ですが、
まず,当事者固有の具体的な憲法上の権利から違憲審査を出発させて、
違憲の理由によって、違憲となる法命題を確定する。
「当事者固有の具体的な憲法上の権利」なるものの定義がなく、
先ほど述べたように、ある事情が「固有」かどうかは、
法令審査・処分審査の定義をしなくては定まらない事情です。
そうなると、採点実感の見解と従来の学説のいずれも明確な定義がなく、
結論である
要するに,採点実感と従来の学説は,アプローチが違う
という部分が、検証不能な命題になってしまっているわけです。
以上まとめると、ポイントは、
①自分が特殊な言葉づかい(「最後の最後」「強い主張」等)をするときは、
定義を書く。
②そのレポートを書く目的を明確に設定する。
③レポートの要になる概念(今回で言えば法令審査、処分審査)について、明確な定義を示す。
ですね。
ではでは、
レポートを書く際に、参照していただければ、とてもうれしいです。
それでは、コメントさせていただきます。
前回、対局風に書いたところ、分かりにくいというご指摘を頂きましたので、
普通に書きます・・・。
結論から申しますと、たけるんさんのレポートには色々な問題があります。
以下、指摘していきますが、これはたけるんさんへの個別的非難を目的としたものではなく
たけるんさんレポートを素材に、
レポートや卒論を書く際に注意しなくてはならないところで
こういうことに注意しましょう、という内容の記事だとお考えください。
(読者の皆様、司法試験とは、あまり関係のない部分ですので、
以下のたけるんさんの記述や私の指摘の意味が良くわからなくても
焦らないでください)
(今回のたけるんさんの議論は、正直、私も理解できない部分が多く、
書かれている内容が良くわからない、という方は、
そんなに心配せず、私が、たけるんレポートにどういう指導をしているか
に注目して読んで頂ければと思います。)
>そもそも「最後の最後でどっちにするかの問題」ってなんですか?
主張と反論には多くの合理的なものがあります。
その上で、双方につき戦わせ、強い主張と反論が残ります。
残ったものには,どっちも説得力がありますが、審判は白黒つけなきゃいけない。
そのジャッジを決めるのが違憲審査基準ではないか,ということです。
まず、この「強い主張と反論」という言葉は、雰囲気だけで、
何を意味しているか不明で、コメントのしようがありません。
なので、この文章全体があいまいになってしまっています。
こういうことを書く場合は、相手に伝えることを意識して、定義を示しましょう。
また、仮に、「強い主張」と言うのを、
結論を出す上で重要な主張、説得的な主張、を意味するとします。
そもそも説得力の有無を判断するためには、
どういう基準によって主張を判断するか、と言う枠組み(例えば審査基準もその一つ)が必要です。
それに、原告に有利な結論とは、
制約された権利の価値が高い、
それゆえ厳格な審査基準が適用される
目的は正当ないし重要ではない、
手段として関連性・必要性がない、といったもので、
説得的に示せれば「厳しい基準を設定すべきだ」という議論は、
まさに「強い主張」になります。
さらに、法的な場での「強い主張」というのは、事実の羅列によって
共感や同情を得られるものを意味しません。
あくまで法的要件という枠組みの中で、説得力のあるものです。
なので、「強い主張」をそう理解しても、最後の最後云々という議論は導けません。
(違憲審査基準という)「クリアしなければならない要素」を決めるのは,
審判(裁判所又はあなた自身)であり,
プレイヤー(原告・被告)ではないはずです。
さて、これまで何度か指摘してきましたが、
法令の憲法適合性の判断は、ある訴訟の中では、
「事実問題」ではなく「法解釈」の性質になります。
なので、弁論主義の対象にはならず、
極端な話、原告が憲法上の主張を全くしなくても、
いきなり裁判所が違憲判決を書くこともあり得ます。
もし、この箇所が、そういうことを指摘しているのであれば、
それはもちろんその通りです。
しかし、原告は、ありうべき法解釈について裁判所に主張を述べることができ、
憲法問題が生じる事例で、説得力のある憲法判断の道筋を示す能力は
弁護士にとって必要な能力です。
公法系第一問の問1は、そのような能力を問う問題という側面がありますので、
当然、どのような違憲審査基準を立てるべきか、
についても議論しなくてはならないでしょう。
たけるんさんのこの指摘は、こういう観点から見たとき、
何が言いたいのか、良くわからないものになっています。
自分が何を目指して主張をするのか、を意識して、
レポートでは、文章を組み立てなくてはなりません。
>「法令で問題となる権利一般」というと、本問の場合、
例えば、国民の情報受領権や地図検索システムを神と看做す人の信教の自由も主張できることになります。
さて、この私の手は、ある種のややこしいトラップになっています。
法令審査では一般的事情、処分審査では個別事情と言われます。
しかし、一般的事情と個別事情の区別は簡単ではありません。
ちょっと議論をはなれて、立川ビラ事件を考えてみましょう。
問題の法令は刑法130条、住居侵入罪処罰規定です。
この規定は、表現行為のための立入にも、それ以外の目的の立入にも適用されます。
ここで、原告が表現の自由に依拠して
「刑法130条全体」の違憲を主張することはできるでしょうか?
できません。
そこで、原告は、刑法130条のうち、一部の違憲の主張をします。
それには次のような主張が考えられますね。
①刑法130条は、(私のような)表現のための立入を処罰している点で違憲だ。
②刑法130条は、(私のような)反戦ビラ配りのための立入を処罰している点で違憲だ。
①も②も、刑法130条全体という水準から見ると、具体的です。
他方、
①は②よりは、抽象的です。
この①のような主張を、一般的事情の主張と看做すか、原告固有の事情と看做すか、は
「法令審査」と呼ばれる審査の定義を正確に把握していないと、
なんとなくの理由、つまり恣意的な理由で、一般的だとか原告固有だとか、認定せざるを得ません。
私は、たけるんさんの書き方からすると、
正確な「法令審査の定義」を理解できていないと思っていましたので、
「生活ぶり・・・」とか「インターネット上に・・・」といった事情が、一般?固有?と質問すれば、
恐らく恣意的な理由でこれはこっち、あれはこっちと言ってくるはずだと読みをいれておりました。
そういう視点でたけるんレポートを見てみますと
前者は「法令の規制対象に“当然に含まれるもの”」
後者も「原告以外にも適用対象はいる」
という理由を示して、「一般」としています。
しかし、例によって「当然に含まれる」の定義はなく、
「原告以外にも適用対象はいる」ということでしたら、
ありとあらゆる要素がそうなります。
ここでは
「法令審査とは・・・という審査である。
よって、ここで原告が主張できる事情とは、・・・となる」
という論証が必要なわけですね。
定義や前提をしっかり示して、議論をする。
レポートを書く際の基本です。
さて、このように見てくると、たけるんさんがやらなくてはならない作業は、
「法令審査」と「処分審査」の定義を示して、
そこから演繹的に、キムラ先生のここが違う、ということになります。
ツツミ先生が最後にしっかりフォローをして、そうやりなさいと指摘しているわけですね。
私は、常々、
法令に全く違憲部分がないのなら、それに根拠を持つ処分が違憲である、
ということは理論的にあり得ない、と説明してきました。
このことは、学説によって違うという性質のものではなく、
(3×2が6であることについて、数学説の対立がないのと一緒です)
理論の一義的な帰結です。
そして、このことを前提にせずに、
法令審査・処分審査、法令違憲・処分違憲の概念を理解しようとすると、
理論的にあり得ない奇妙な見解になるわけです。
さて、このことを前提にすると、「処分違憲」は、
それを基礎づけている法令の一部が違憲になる処理と解さざるを得ません。
(それ以外の見解は、3×2=32を前提にした「学説」のようなもので、
学説の名に値しません。
この点については何度も指摘してきたことなのですが、
32だと信念を持っている方とは、さすがに合理的な議論ができません。)
(試験委員全員が32と信じていると断言されるのであれば、
もう、それはしょうがないことです。
私は、試験委員の顔ぶれからして、そんな初歩的な理論ミスをするわけがない
とさすがに思います・・・。)
そういう視点で、たけるんレポートの
第1類型は,法令そのものに問題があるケースです(作法242頁)。
という指摘から見ますと、
法令そのものに問題がないのに処分・適用が違憲であるケースという
ナンセンスな概念を立ていることが分かります。
そして、このような根本的な誤解を抱えているため、
「法令審査と処分審査の定義」という今回のレポートで要になる部分が
書けないということになるわけです。
平成20年採点実感2頁の「被告(当事者)としては法令違憲の主張をまず行い、
それが認められない場合でも本事件に関して適用違憲(処分違憲)が成り立つことを主張する方法が、
まず検討されるべきである」という記載
を引用するだけでは、定義が不明確です。
(そういう意味では、採点実感自体に問題がありますが)
他方、従来の学説として示された定義ですが、
まず,当事者固有の具体的な憲法上の権利から違憲審査を出発させて、
違憲の理由によって、違憲となる法命題を確定する。
「当事者固有の具体的な憲法上の権利」なるものの定義がなく、
先ほど述べたように、ある事情が「固有」かどうかは、
法令審査・処分審査の定義をしなくては定まらない事情です。
そうなると、採点実感の見解と従来の学説のいずれも明確な定義がなく、
結論である
要するに,採点実感と従来の学説は,アプローチが違う
という部分が、検証不能な命題になってしまっているわけです。
以上まとめると、ポイントは、
①自分が特殊な言葉づかい(「最後の最後」「強い主張」等)をするときは、
定義を書く。
②そのレポートを書く目的を明確に設定する。
③レポートの要になる概念(今回で言えば法令審査、処分審査)について、明確な定義を示す。
ですね。
ではでは、
レポートを書く際に、参照していただければ、とてもうれしいです。
採点実感は、法令違憲と適用違憲の書き分けを重視しているように見えます。
これを見ると、さながら、「法令違憲の主張について」「処分違憲の主張について」という見出しをつけて、見出しごとに分けて論述するのが好ましいかのように思えます。
しかし、具体的処分の合憲性を検討したうえで、その違憲的要素が法令全体に帰着する問題なのか(法令違憲)、法令の適用類型の一部分に帰着するのか(適用違憲)を区別して書けば事案の解決としては十分であり、はじめに見出しをつけて、「法令違憲」と「適用違憲」を分けて論述する必要はないように思うのです。
この点については、僕のような考えでよいのでしょうか。
法律を学ぶ全ての人々に対する愛を感じました。
きっと、たけるんさんにも先生の愛が伝わったと思います。
コメントからお察しするに,ロースクール生様は,処分根拠法の違憲性の有無および違憲範囲の画定を行う「審査」の段階と,画定された違憲範囲の除去を行う「法令の処理」の段階とを混同していないでしょうか?
過去の採点実感すべてを精密に分析したわけではありませんが,試験委員の言わんとするところは,当該事案の処分根拠法について,『急所』でいう二段階審査(法文違憲審査→処分審査)を行ってね,ということなのではないでしょうか?
ロースクール生様が「事案の解決」とおっしゃっているのは,おそらく「法令の処理」(「審査」の後で,法文自体を違憲無効とするのか,合憲限定解釈をするのか,可分な意味の一部無効とするのか)の問題で,また別のお話ではないかと思います。
木村先生の過去の記事(特に「憲法判断の方法」のカテゴリー)に目を通してみてはいかがでしょうか?
もし私の理解に誤りがあれば,ご指摘ください。
偉そうにしゃしゃり出て,スミマセンでした(^^;)
私の文章能力がクソッタレなせいで、くだらない議論になってしまいました。
これ以上の議論は先生の手を煩わせますので、自戒の念を込めて、暫くおとなしく考えてみます。
本当にありがとうございました!
実は今日、前々回くらいに出てきた予備校講師の方の話を聴いて不安になったので、質問させてください。
その方、曰く、原告においては、①権利の価値が高い、②その権利に対して厳格な制約がされている、ということを言えば、③特に違憲審査基準を立てずに、違憲だと主張すれば十分だ、そうです。
19年の出題趣旨が原告における審査基準の定立の是非について無価値だとすれば、確かに、こうした論述も論理的に成立しうるのかなと思ったので、不安になりました。
しかし、やはり
>原告は、ありうべき法解釈について裁判所に主張を述べることができ、憲法問題が生じる事例で、説得力のある憲法判断の道筋を示すべき、ですよね?
>公法系第一問の問1は、そのような能力を問う問題という側面がありますので、どのような違憲審査基準を立てるべきか、についても議論しなくてはならない、
と考えていいのですよね?
このように考える論拠は何か、たとえば出題趣旨・採点実感の中にあるのでしょうか?
長文失礼しました。お忙しいと思いますし、自分で探せともお思いでしょうが(一応見返したのですが,やはり自分自身だけでは不安が募るばかりで)、もし先生が何かいっていただければ、心から安心できるので、気が向いたら返信してください。
くだらないだなんてとんでもない。
非常に見応えのある指導対局でございました。
木村先生、是非私めにも四枚落ちで一局!
はい。この点は、もうYSさんがおっしゃる通りですので、
急所の二段階審査の箇所とブログの憲法判断の方法カテゴリーをご覧ください。
また、今後書いていく予定です。
>monaさま
はい。どうもありがとうございます。
>YSさま
適切なご指摘ありがとうございます。
その通りなのです。
趣旨を十分に理解してくださってうれしいです。
今後説明していきますので、お付き合いください。
>orsさま
はい。今年の採点実感の序盤で
弱い権利を主張するな、当事者意識を欠いている
とありましたよね。
そこに示されておりますので、大丈夫です。
そもそも、私の知る今年の合格者で、原告パートで
違憲審査基準を書かなかったという人は皆無ですので、
(公法系高順位者含む)
原告部分で審査基準を書くことが、
大幅な減点事由ではないと確証できると思います。
過去の合格者再現答案も見て見ればどうでしょう?
違憲審査基準に触れない答案は、なくはないでしょうが珍しいと思います。
>持ち球様
それでは、今度指してしんぜよう。
しかし、私は、現在、学内対抗タイトル棋戦「成香戦」卒業式決戦の準備中です。
しばしお待ちください。
たけるんさまが「法令審査を優先させるのが
判例のやり方だ」とおっしゃっている趣旨は、
分からなくはないのですが、
恐らく、採点実感先生が求めている二段階審査の前半(「法令審査」)は、
判例がやっている、いわゆる法令審査とは違うと理解せざるを得ないのですよ。
そういう意味で、「法令審査」の定義を精密にやってみてください、と言っているわけです。
今後書いていきますが、「法令審査」という言葉は、
恐らく3つくらいの意味でつかわれています。
なので、それをしっかり分節して、精密に分析する必要がありますが、
たけるんさんは、まだ、その作業ができていませんよ、というのが、
憲法理論上の指導の内容です。
落ち着いてゆっくり考えてみてください。