木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

法令の審査方法(9)

2013-01-20 16:49:59 | 憲法学 憲法判断の方法
ご要望が多かったので、長らく放置していた連載復帰します。

過去の連載は、こちらから行けます。

法令の新審査方法(8) これまでの目次もこちらにあります。

以下の内容は、本年発表される予定の原稿で研究した内容を発表するものです。

これは、現段階では「公式戦未発表の私の個人的研究の成果」、
言い換えると、「今年末以降の通説」であり、
あるいは、「木星の王族でも、無視しがたい氷床の寺塔」つまり
よくわからないが、とにかくすごい自信の原稿であり、、
その旨に注意をしてお読みください。

********************************


我々は、大学のキャンパスを歩いていた。
この連載は、かなりエネルギーを要するのでしばらく更新できなかったのだが、
様々な人々からの熱い声援を受け、今ここに復活し、
そして、結局、ツツミ先生と歩き続けているわけである。

ここまで話したところで、ツツミ先生はかなり奇妙な顔になった。
何か思いついたようである。

「あのさ、いま、モケケピロピロ級条文は、いかなる国家行為も
 基礎づけられない無効な条文だ、って言ったな。」

「言ったな。」

「それはおかしいだろう。ある法律が無効になるのは、
 人権を侵害するからだ。」

「そうだね。」

ツツミ君の指摘は、あまりにも当たり前で、
こちらはあくびが出そうだった。

「しかしだ、どんな国家行為も基礎づけないなら、
 それが自由権侵害を基礎づけることもないだろう。」

「そうだ・・・ね。」

私はツツミ先生のイワンとしていることとを把握した。

恐らく、だったら、モケケピロピロは無効にならないだろうと。

「だったら、モケケピロピロは無効にならないだろう。」

思った通りだった。そして、彼は続けた。

「どんな自由権侵害も基礎づけないんだから。
 むしろ、有効だけど無益な条文と理解するのが正しいはずだ。」

「うーんと、そうなるね。だったら、ある法文が不明確で一般に無効か
 みたいな議論ってする必要がない、とそういうことになるが」

「その通りだよ。
 明確性の審査で必要なのは、その事案にその条文を適用する解釈が
 一般人に理解可能か、と言う審査だけだ。」

「そだね。そういうことにしよう。」

私は、論文のネタができたので喜んでいた。

不明確すぎる法文は、不明確すぎて無効にすらならないという現象は、
これまでの学説では盲点になってきたといっていい。

ここが盲点になってきたのは、憲法学者の先生のほとんどがまじめで
モケケピロピロのような条文について真剣に考える必要はないだろうと
板って常識的な思考をしてきたためと考えられる。

我々の非常識思考の勝利といっていいだろう。
何に勝ったのかは不明だが・・・。

そして、非常識なツツミ先生は、さらに非常識なことを言い出した。

「まてまて。そうなると、話はややこしい、というか
 妙にシンプルな方向に行くんだよ。
 一般人に理解不能な解釈って、一般になんていう?」

「ええと、解釈の限界を超えた解釈っていうな。
 あれ、そうだとすると、明確性の審査って
 その解釈が、解釈の限界内かどうか、という問題に収斂してしまう。」

10の18乗パーセクのかなたで、巨星が自重に耐えられずブラックホールになったのも
この瞬間だった。

「そうなんだよ。だから、明確性の観点からの文面審査なんて
 観念しなくてもいいんじゃないか。」

・・・。ツツミ先生の指摘は明快だった。

「そういうことになりそうだね。」

「じゃあ、文面審査ってのは、結局、過度広汎性の審査だけ
 ってことかな?」

ツツミ君はようやく過度広範問題にやってきた。

「いや、それがそうでもないんだよ。
 過度広範な法文って、これまで
 『合憲部分と違憲部分が不可分に結びついている法文』って定義されてきただろう。」

「そうだね。例えば、あんたの本でもそうなってて、
 過度広範な法文の例として三人集会条例が挙がっている。
 しっかし、ずいぶん、大人げない例だよな。この条例。」

 ツツミ君にそんなことは言われたくないが、
 確かに三人集会条例というのは、大人げない条例である。

 これも、まっとうな憲法学者には思いつかない逆切れ条例といっていいだろう。
 我々の勝利だ(だから、何に対する勝利か?)。

「まあ、そうだが、この条例の『合憲部分』ってなんだか分かるか?」

「そんなん、暴走族が周囲を威圧する態様で行う集会とか、
 凶器もって集まる行為とかだろう。

 で、それと、俳句友の会とか、バスケットボールを楽しむサークルの会合とか
 規制したら違憲になる『違憲部分』とを区別する明確な定式を示せないから、
 結局、合憲部分も不明確になっちゃう、ってことだろ。」

ここで私は、かねてからの疑問を投げかけてみた

「そうだね。たださあ、いつも思っていたんだが、
 結局、三人集会条例の違憲部分も、数は多いが、
 記述不能かっていうと、そうでもない気がするんだ。
 かなり長くなるが、普通の部分無効の法文と質的には変わらない。
 普通の部分無効との違いがあっても、それは量的なもんだ。」

「なるほど。量的な違いしかないっていったらそうかもね。
 じゃあ、過度に広範な法文って、部分無効で処理すれば足りるっていう
 見解に改めるのか?」

「いや、そういうわけじゃないよ。
 最近気が付いたんだが、三人集会条例って、普通の目的手段審査すれば
 どんな適用例でも違憲になるんじゃないか?」

「えっ?まじか?」

ツツミ先生はかなり驚いた様子だったが、
少したつと冷静さを取り戻し言った。

「いやいや。今言った合憲部分は、そうじゃないだろう。
 普通の目的手段審査で合憲になるから、合憲部分と。」

「いや、そこなんだよ。ちょっと話はそれるんだが、
 強盗みたいな行為を、
 財産権と人の身体の保護という目的で規制することは合憲だろ。」

「そりゃ当然だ。」

「じゃあさ、被害者が白人だったことに着目して、
 白人の優位性を守るという目的で強盗処罰したら合憲か?」

「そりゃ、違うだろう。不当な目的に基づく規制はだめだ。」

「そうそう。それと似てるんだが、暴走族の集会を、
 『周囲の営業を守るため』に規制するのは合憲だろ。
 でも、『市民のばくぜんとした不安感を除去するため』
 だったら、どう?」

「うーん、そんな希薄な目的で、集会の自由で保護された行為を規制するのは
 違憲な気がするなあ。目的審査パスできないだろう。」

「そうなんだよ。要するにだな、強盗とか暴走族の集会でも、
 不当だったり希薄な目的で規制することは違憲で、
 ちゃんとした目的で規制はしなきゃいけないってのが自由権の要請だ。」

「ふむふむ。まあ、そうだな。それが、過度広範性の問題と関係あるのか?」

「おおありだよ。いいか、この前、『急所』をテキストにした法科大学院の授業で
 何気なく『三人集会条例の目的ってなんでしょう?』って学生に質問したんだ・・・。」

 ・・・・いわゆるソクラテスメソッドである。

                     以下、次回「法令の審査方法(9・完)」に続く予定。

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>黒猫さま (kimkimlr)
2013-01-31 15:20:44
解釈の規範は、憲法の要請というより
法適用に関する基本的なルールということになるでしょう。

それを法の支配の理念から説明することもできますし、
単なる法の一般原則だと理解してもいいでしょう。

そして、この法の一般原則を前提にすると
確かに、これまでの明確性の問題はナンだったのか、
ということになりますが、
理論的検討の結果がそうなら、そうと言うことではないかと思います。

シャーロックホームズの推理と一緒ですね。
返信する
「解釈」足りうるための条件 (黒猫)
2013-01-31 14:37:57
確かに、一般人にとって適用されるか不明確な命題を導出する作業が『解釈』足り得ないなら、先生の仰っていることはまったくそのとおりだと思います(というか、「解釈」の意味をそう考えるなら、先生が仰っている結論に至らないと論理的におかしいです)。だだ…それなら今までの明確性の議論ってナンだったんだ??ってことになっちゃいますよね。。

教えていただきたいのですが
「解釈」が法文A→命題aの、「→」が一般人に理解可能で、かつ「a」も一般人にとって適用されることが明確でなければならない、というのは、憲法の明確性原則の要請により、そうじゃないものは「解釈」とは認められない、ということなのでしょうか?それとも、憲法なんて関係なしに、そもそも「解釈」とはそういうもんだ、ということなのでしょうか?


あと、他に、「解釈」得るためににはそうしなければならないもの(逆に、これをすると「解釈」とはいえなくなってしまうもの)はあるのでしょうか?


基本的な質問を重ねてしまい申し訳ありません。今まで考えもしてこなかった問題で‥
返信する
〉黒猫様 (kimkimlr)
2013-01-31 13:24:08
当然のことながら、
法文から導出される命題は、この事例に適用されることが明確なものでなければならないはずです。

その事案に適用されるかどうか分からない命題
に置き換える解釈、
たとえば、「わいせつ」を「もけけぴろぴろ」に置き換える解釈は、解釈としての資格はないでしょう。

返信する
おはようございます。 (黒猫)
2013-01-31 10:05:10
ありがとうございます。付き合っていただいて申し訳ありません…

先生の文章を【】内で引用させてください(私の表現力ではキビシイです)。

【1:解釈の可能性の明示
 この『A』という条文は、aという法命題を導き得る(aと言う意味で解釈できる) 2:解釈定式のあてはめ
  aという法命題は、少なくとも、この事例に適用されることが明確だ。
 3:結論
  だから、この事案において、この法文は明確と言える。】

【モケケピロピロ級法文だと、1の段階で、およそいかなる法命題も導けないことが判明することが多い。」「そうなると、あらゆる適用事例で違憲だな。」】
これが違憲云々ではなく、解釈の問題に収斂されるというのは理解できます。


【「『わいせつ物頒布の禁止』くらいだと、『善良な性的観念に反する物の頒布禁止』くらいの法命題を導いて、この本は、それにあたることが明確か、みたいな、2の段階での勝負になるかもしれない」】

先生が仰っている【「わいせつ」という文言の解釈は一般人に理解可能な範囲=解釈の限界内で行わねばならない】というのは、1の段階の話だろうと理解しています。(※ひょっとするとこのあたりで勘違いしてるかもしれません)。法文A→命題aの解釈は、一般人にも理解できないと「解釈」とはいえない、ということです。

しかし、「モケピロ」と違うのは、「わいせつ」の解釈から導き出せた「善良な風俗に反する‥」という命題について、【少なくとも、この事例に適用されることが明確】かどうかを検討する必要がでてくる、ということです。2の段階の勝負が控えている、ということです。

この2の段階の勝負は、法文A→命題aの解釈プロパーの問題には収まりきらないのではないでしょうか。【少なくとも、この事例に適用されることが明確】かどうかは、解釈(法文から命題を導出する作業)の話とは次元が違うと思うのですが…

ただ、「解釈」という概念が、「法文から導出される命題は、この事例に適用されることが明確なものでなければならない」という意味まで含むなら、2の段階の問題もただの解釈の問題に収斂すると思いますが。。


メチャクチャ回りくどくなってしまいすみません。うまく伝わったでしょうか?
返信する
>黒猫さま (kimkimlr)
2013-01-31 08:09:39
わいせつ級条文も、解釈の限界に問題はしゅうれんするでしょう。

「わいせつ」という文言の解釈は
一般人に理解可能な範囲=解釈の限界内で
行わねばならないからです。

そして、「わいせつ」は性表現一般と解釈することもできる
というなら、問題は不明確性ではなく
過度広範性に移行します。

どこがわかりませんか?
返信する
こんばんは (黒猫)
2013-01-30 21:32:10
「明確性の審査で必要なのは、その事案にその条文を適用する解釈が一般人に理解可能か、と言う審査だけだ。」「明確性の審査ってその解釈が、解釈の限界内かどうか、という問題に収斂してしまう」というお話は、
「モケケピロピロ級条文(およそ明確に適用できるものはない)」と、
「わいせつ級条文(いわゆるハードコアポルノのようにそれが適用されることが明確な事例はあるが、不明確な部分が残る)」の両者に共通する話なのでしょうか?
前者であれば、何らの命題を導き出せるような解釈が不能である以上、結局命題がない、従ってそもそも国家行為は不能、ということなのだろうと理解しました。これなら確かに、解釈の話に収斂しそうです。

ただ、後者の「わいせつ級条文」の明確性の審査についても、その解釈が、解釈の限界内かどうか、という問題に収斂してしまう、というのであれば、ちょっと理解できないのですが…どこか理解を誤っているのでしょうか?
返信する

コメントを投稿