木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

「俺は神様だ」に関する一考察

2012-06-04 12:10:49 | ちょっと一言
先日、久しぶりに「判例は神、学説はゴミ」という命題に触れた。

これは、安念教授が、
法学教室の演習欄を担当しているときに提示された命題である。

私は、かねてより、
あまりにも判例を軽視しすぎる憲法学説が多い、
と思っていたので、
安念教授の原稿を読んだとき、深い共感を覚えた。


もっとも、判例の中にも、何の理由も述べずに結論を示したり、
およそ妥当とは言い難い結論を、平然と導くものはあり、ゴミはある。

他方、学説のなかには、将来、最高裁を動かしかねない
優れた理論的洞察を示したものもあり、神のようなものもある。


この命題は、
「判例一般が神、学説一般がゴミ」と言っているのであれば、
あきらかにウソだし、
「判例の中には神がいて、学説のなかにはゴミがある」と言っているなら、
神とゴミを区別する基準が示されておらず、不十分である。

結局、安念教授は、もう少し判例をちゃんと読みましょう、という程度の
意味の議論を、過激な言葉で表現しただけだろう。

これが、「判例は神、学説はゴミ」と言う命題に対する
実務家や学者の一般的な感想だったと思う。


しかし、最近、この安念先生の命題は、もう少し奥が深いものではないか
と考えるに至った。

そもそも、「判例は神であり、学説はゴミである」という命題は、
いったい、何なのだろうか?

安念先生はマルチな才能を発揮して多方面で活躍する人ではあるが、
憲法学者の一人であることは否定しがたい。

では、この命題は「学説」なのだろうか?

もし、これが「学説」の一種なのだとすると、
これは、「私はゴミです」という意味の文章になり、
「私はうそつきだ」というような、
いわゆるクレタ人のパラドクスを生じる。

ただ、安念先生は、法学者であると同時に、弁護士である。
この命題も、「弁護士の私見」である可能性はある。

しかし、一実務家の私見が「学説」以上のものであるとは考えにくい。

そうすると、
この命題を「学説」の一種とか、「弁護士の私見」と考えることは、
この命題を「この命題はゴミだ」という命題として理解するものであり、妥当ではない。


したがって、この命題は「判例」だと考えるべきである。

ただ、こう考えると、この命題自体は、神の言葉であり、
「俺は神様だ」という意味の命題だということになる。

多くの人が指摘する通り、
古今東西、「俺は神様だ」という命題ほど胡散臭いものはない。

まるで、「俺は最高法規だ」と主張する日本国憲法98条のようではないか。


……と、いうわけで、
安念先生も厄介な問題を提起してくれたものである。

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13 コメント

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Unknown (ロー生)
2012-06-04 15:40:08
>したがって、この命題は「判例」だと考えるべきである。

なんかここからおかしいきがすw
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素人感覚ですが…… (奈良の踊り子)
2012-06-04 20:11:41
論理命題の件はさておき………

実生活では
自分の主張が判例で認められたら現実に救われるけど、学説に認められても現実には救われない。

そういう意味では判例は神で学説はゴミだと思いました。

でも自分の主張が認められ無かったら、一生自分の主張が認められない事になる。とすると判例は悪魔みたいでもありますね。

でも視点を定期テストうつすと…………憲法の急所にむちゃくちゃ助けられました!

その意味では木村先生は神です!
返信する
Unknown (トム)
2012-06-04 22:59:21
憲法98条って、胡散臭かったんですね。

でも、憲法の最高法規性自体が胡散臭いということは、憲法の存在自体が胡散臭くなりますね。
とすれば、胡散臭い存在の憲法を教える憲法学者も胡散臭くなり、その憲法学者の発言も胡散臭いと言わざるを得ませんね。

ということは、憲法は胡散臭い、という憲法学者の発言も十分胡散臭いことになるから、ここにもクレタ島のパラドックスが存在することになりますね。

この記事を通じて、このような論理を展開しようとするのが先生の意図だったのでしょうか。
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>みなさま (kimkimlr)
2012-06-05 10:26:43
>ロー生さま
おかしくないもw!

>奈良の踊り子様
こんにちは。神様です。
きっと、急所には憲法の神様が降臨された箇所があるのでしょう。

とてもうれしいです。

>トムさま
憲法学者は、そんな憲法自体の胡散臭さや憲法学者自身の胡散臭さを含めて研究している人々なわけですね。

自分の足元を見えていない自称憲法学者もいなくはないでしょうが。ははは。
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Unknown (麻衣)
2012-06-05 20:02:51
こんばんは。
木村先生に(記事とは関係のない…)質問があります。
わたしは憲法学者になりたいと思っているのですが、木村先生が学者になったきっかけは何ですか?
わたしの質問も厄介かもしれませんがお返事いただけると嬉しいです。
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Unknown (民訴理論マニア)
2012-06-05 20:24:47
命題の言うところの判例・学説に、命題それ自体を代入しなければよいのではないでしょうか。

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>みなさま (kimkimlr)
2012-06-10 14:41:35
>麻衣さま
記事にしてみました。

>高橋宏志様
判例でも、学説でもないなら、
いったいぜんたい何なのでしょう?
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>kimkimlr (民訴理論マニア≒重点講義愛読者)
2012-06-11 18:07:47
判例はカミ・学説はゴミ、という命題の言うところの判例と学説は、法律学の見解を指すとします。

とすると、この命題が、法学者また法曹実務家としての見解ならば、命題の判例・学説に命題それ自体が該当するかもしれません。

しかし、この命題は教育者としての見解ならば、判例・(法律学の)学説に該当しないかもしれません。

では教育者としての見解とは具体的になんぞやということになりますが、この辺で議論を「棚上げ」したいと思います。



しょーもない、質問をして申し訳ありませんでした<m(__)m>

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>民訴理論マニアさま (kimkimlr)
2012-06-11 20:06:54
お察しの通り、棚上げするしかないことになるでしょう。

「教育者としての見解」を、
法学教育において何が適切な法的判断かを示すことを教える見解とするなら、
これは法学説です。

これに対し、それを
法学教育としての適切性の判断ではなく、
法学の素人の教育論と捉えると、
これは、まあ法学者や法学徒として真剣に
とらえるような命題ではないということになるでしょう。

というわけで、棚上げするしかないのですね。
ぜひ、ゲーデルの不完全性定理について
勉強してみてください。
視野が広がると思います。
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>kimkimlr (民訴理論マニア)
2012-06-11 22:19:32
さっそくアマゾンで注文しました!

夏休みにじっくり読んでみようと思います。

ありがとうございました!
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