私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

つつじが満開

2013年04月28日 | 日記

私の家には裏に畑があったから、

独身の頃から野菜を作っていました。

ところが、町から来た私の嫁さんは、

私が収穫し、洗って食べられるようにすれば、

最初のうちは食べてくれました。

そのうちに、八百屋で野菜を買って来て

家の野菜を食べてくれなくなりました。

私の帰宅が遅くなり、収穫ができなくなったからでしょう。

私は、野菜の耕作が分からない嫁さんに、

収穫を頼むことを諦めて、畑を庭に改造して

つつじやさつきなど鉢植えを始めました。

それから40年経ち、単身赴任で

鉢植えは地植えとなり、玄関前と裏の境にきれいに

皐月のカーテンが出来上がっています。

写真が間に合いません。柴桜でごめんなさい。

蘇生

 

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。