私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

クロッケー町内大会で優勝

2014年08月27日 | 元気な老人

 

健康つくりは、60歳定年後早朝散歩、ラヂオ体操、硬式テニスを

やってきました。

4年前73歳になって、町内の老人とのお付き合いも欠かせない

と思い、クロッケークラブに仲間入りしました。

クロッケーは8センチ300グラムほどの球を5門のゲートを

一方方向から潜らせ、最後はセンターの鉄の棒に当てる競技です。

ゲートボール程に競い合うこともなく、少ない打球で5門を回り

鉄の棒に当てれば1ゲームが終わります。

体力は要りませんので、90歳になっても安定した得点で上がります。

わがクラブにも90歳以上が二人います。

そんな中で77歳の私が、今日、優勝したと言って喜ぶのは

恥ずかしい限りですが、最少打点で最後まで回ることの

充実感は一入です。

毎日雨ばかり降っている天気が続き、広島の災害復旧が

進まない状況で、鬱陶しく思っていましたが

久しぶりに青空も覗き、気分の良い1日でした。

蘇生 

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。