私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

タックスヘブンに集まる世界の資金に、世界の貧困層が苦しみの生活している。

2017年11月18日 | 貧乏の中の幸

 

 各務原飛行機場航空祭・ブルーインパルス

世界では著名な経済人や多国籍企業が集めた膨大なお金を、タックスヘブン(バミューダ諸島など世界10か所の租税回避地)に隠してアップルビーで所得隠し税逃れをしていました。

大手法律事務所「アップルビー」から流出した顧客データ文書が「パラダイス文書」と言われるのです。

パラダイス文書の中の著名人には、エリザベス女王、ヨルダン王妃、ブラジル財務相、ジョージ・ロス米投資家、カナダトルドー首相の腹心ブロンフマン投資家の名があります。

同じ文書の中の巨大企業には、米アップルビー、スポーツ大手ナイキなどがあります。企業は国を跨い記帳することで、数億ドルの税逃れをしていることが分かりました。

国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJの本部ワシントン)は、世界19か国の「アップルビー」の膨大な登記情報から税金逃れの顧客データを調査しています。

ICIJは、昨年判明したパナマ文書を含めてすべての情報公開を目指しています。

多国籍企業の税逃れは全世界で年間1000億から2400億ドルに及ぶとOECDは見ています。

国際協力開発機構(OECD)や主要20か国(G20)が主導して6月には、不当な約70か国の課税逃れを防止するため、多国間条約に署名しました。

パラダイス文書の金の流れは、最貧国の税収になるはずだったお金を、グローバル企業が懐にしていたことを明らかにしたのです。

多国籍企業が事業を展開する国別の収入や従業員数等を、ICIJが調査して税務当局に報告する仕組みを作り、これをOECDが把握すれば税逃れの防止が可能になります。

政治家のトップや大企業や多国籍企業は、自国の法律に基ずく税金をきちんと払い貧困層へ手当てをして、経営黒字分は従業員の賃金に回して行くべきです。

この様な政治家や企業主の富の独占と税逃れをさせないようにして、貧困問題、最低賃金、非正規雇用者と差別の問題を、国際的に検討していかないと国際紛争は減りません。

日本は経済大国ですが、格差が広がって26年度には年収1億円以上の社員は全就労者の0.013%の1万7348人なりました。

加速する日本の格差社会では富裕層と貧困層の2極化が進んでいます。

26年度では年収300万以下の人口が全給与所得者の4割を占めました。

貧困率は、日本は世界第4位、幸福度は53位です。

世界全体では最も裕福な最上層の62人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分に当たる約36億人が保有する資産とほぼ同額です。(国際的NGO,16年1月調査発表)

21世紀の労働者の格差拡大は中間層の減少によるもので、中間層の減少分が大量の貧困化を生んだのです。

一日1.9ドル(約190円)未満で暮らす「極度の貧困層」はサハラ砂漠以南、南アジアに集中して世界全体で7億67百万人います。

しかし、21世紀に入ってからはアフリカ諸国、中東、南アジアの「極度の貧困層」は減少傾向が続いています。

問題は不況の中で非正規社員やパートタイマーが増加し、海外から来た外国人の雇用によって人件費が下落している状況です。

97年の金融危機後、大企業は授業員のリストラ化を始めて、平成に入りグローバル化の波に振り回され、一気に広がったのが非正規労働者の採用解禁でした。

89年に19.1%だった非正社員の割合が、16年にはほぼ倍の37.5%になりました。

急激な少子高齢化が進む中で生産労働人口が減少していることが景気不況のもう1つの理由です。

不況の中で株価だけは下落することなく、トップ高の様相を呈しています。

11月11日に東京株式市場は26年ぶりに日経平均株価が2万2937円となりました。

最近の日本の株高要因は外国人投資家の買い戻しにあります。自民党が衆院選挙で勝利し、北朝鮮の挑発行動が止まっていることがあるようです。

アベノミクスが始まる13年に、日銀による金融緩和で円高が是正され、企業業績が回復したことと、公的年金の積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)と上場投資信託を購入する日銀が株や投資を買い支えている面があります。

安倍首相は14年1月、世界経済フォーラム総会、ダボス会議で経済の成長戦略として年金積立金を活用する姿勢を強調しました。

政権の方針に基ずいてGPIFは年金基金を株投資の拡大する運用幅を24%から50%に比率を倍増させました。

少子高齢化が始まり積立基金だけでは年金給付が不足する局面に入った時期に、株価を引き上げるために株価投資を拡大するリスクは大きく危険です。

年金基金を株式投資する危険を防止するため、限度率は24%になっていたのです。

年金生活者が増加していることからも、若い世代の将来受け取る年金が減額される可能性が出て来ます。

日銀は異次元緩和を4年半続けても、物価上昇率は2%にほど遠く、国債発行額の4割440兆を買い占めても上場投資信託の買い入れで株価を押し上げて「官製相場」の様相が強くなっています。

GPIFが運用比率を倍増してから15,16年には多額の損失を出しています。

それでも政権が環境、社会、企業統合を重視して投資するESG投資を重視しています。経済を持続可能な状況に持って行けるでしょうか。

ESG投信を国内株の1割、3兆円を投資拡大し、国債や社債などの債権を買い、更には不動産への投資によりESG投信をするとしています。

「ESC投資]は、目先の利益を追い求める投資の反省から貧困問題の解決、公平・公正な社会づくりをするものですが、日本ではうまくいっていません。

今の株価も何時までも高値が続くことはなく、危険なESG投信に失敗し、外国投資が売りに出たときは不安が一気に加速して東証一部平均株価は1万円程の下げを見ることになります。

これは日本だけの問題ではありません。米欧の中央銀行では緩和策を修正する方向にあり、中国でも同じような状況にあります。

金持ちばかりが優遇される政治に、国民が殆ど疑惑の目を向けないことが不思議でなりません。

国民の4割は年収300万円以下の貧困層です。金持ち優遇ではなく非正規雇用者の賃金格差、少子高齢化社会、独身者・単身世帯問題を真剣に検討すべきです。

緩和強化を続ける黒田日銀総裁の再任で、再度のリーマンショックが来なければよいのですね。

蘇生

 

 

 

 

 

 

 


傘寿を迎えて、野坂昭如さんと我が生涯を並べてみたくなりました。

2015年12月31日 | 貧乏の中の幸

 

木曽三川公園138タワー・イルミネーション 

あけましておめでとうございます。良い正月をお迎えのことと思います。

昨年は、このブログで安保法改正、戦後70年談話、多発テロ事件、ISへの空爆、自衛隊海外派兵等、戦争と平和について、歴史を学習しながら気づいたことを書いてきました。

今年は、経済の状況が心配ですが、私は経済は専門ではありません。生活を中心にいろいろと、 多分野に手を広げたいと思います。楽しみにしています。

「焼け跡闇市派」野坂昭如さんが85歳で亡くなりました。野坂昭如さんほどの反骨精神は、私(満79歳)にはありません。野坂昭如さんとの6歳の違いは大きいのです。単に、幼児期の境遇が野坂昭如さんに似ている程度です。

私の祖先が住んでいた田地田畑は、私が生まれた昭和12年頃に飛行場滑走路を拡張するため徴用され、住んでた家は強制的に飛行機工場近くに移転させられました。その頃に父は陸軍技手となって飛行場で飛行機の修理工として働きました。

昭和16年に父は、仕事で飛行機に乗って八日市飛行場で墜落死しました。引っ越したばかりの私の家は、昭和18年には戦争が激しくなり、飛行機の増産をする工場の拡張で、再度の移転を命じられます。

同20年に軍需工場を狙うB29爆撃機の空襲を受け、工場に近い我が家は危険だったので、私は田舎へ学童疎開をしました。戦後、母は慣れなれない木工会社で働き、過労で結核に罹って長期間の療養を続けて亡くなりました。

戦後の伊勢湾台風では家屋一部が倒壊しましたが、私は奮起して公務員となり、奨学金のお陰で高校と大学に進学しました。どちらも夜間通学でした。

大学の奨学金は卒業後、毎月きちんと支払い完済しました。今の学生は、貧困の連鎖を教育で断ち切るため、国の給付型補助があってもよいとしている。私は教育は自ら向上心を養うもので、国や人の善意によって修得するのでは役に立たないと思ています。

私は大学卒業後、間もなく喀血し、2年間、結核治療をしました。職場への復職は30歳でした。この間も奨学金を返していました。

成長するまでは、収入のない祖父一人に育てられました。私が15歳で就職するまでは、収入源は33歳で死亡した父の遺族年金と、国の生活扶助だけでした。国の援助は私の姉妹が生きるため必要でした。貧乏ではありましたが、戦中戦後は近所の人が援けてくれました。

高校2年生の時、祖父は脳溢血で倒れて5年間病床に伏せたため、家事をする者が居なくなりました。私は大学2年生で結婚をしました。妻は、子を二人生んでくれました。

幼少期は野坂昭如さんに似ていても、祖父がいたことで、私の心は「いじける」ことはありませんでした。軍を恨むことも、米機を憎むこともありませんでした。

私を遊んでくれた近隣の先輩たちは、戦後の混乱の中で、悪事ばかりを働いていましたが、当時は警察も忙しく事件になることはありませんでした。

子供だった私を次から次へと襲ってくる難事に、いつも、落ち着いて最善の対応、先を見る力が自然と備わって行ったとしか考えられません。友達は多くいました。両親のある子は、多くは両親を非難してばかりでした。両親の言動、悪行を私に伝えて父を非難します。父がいない私は、自分で考えて行動できることに寧ろ幸に感じていました。

中学生の頃より、処世術として「清く、正しく、美しく」をモットーとしていました。15歳で私は大人に成長していました。姉二人と妹の結婚については、私が未成年で紋付き袴を着て、親代わりをしました。

世の中、終戦直後で、世が混乱していました。自分の身辺に起きることは事件、事故、喧嘩、競争、ギャンブル、カッパライ、供応などの不正・悪行を多く見ていました。

子供が一人で生きて行くには、他人を頼って生きて行くことも必要ですが、頼った他人の意思に逆らうことはでないことがあります。他人との人間関係のため自分の意思を変える必要が生じます。しかし、それでは強く、正しく生きて行くことはできません。

少年時代の私と母が、結核になったのは、栄養失調が原因だったと思います。当時は大学に学生食堂がありませんでしたので、コッペパン1個で夜食を済ませていました。大学は学生活動が盛んな頃で、哲学や政治学は唯物論の教授に偏っていましたので、私も影響を受けました。

私の中高時代は、戦争直後で日本史は戦前の教科書を墨で黒塗りしてありました。教科の「修身」も無くなり、戦国時代の歴史は殆ど教わっていません。結核の療養中に、ベットで小説を読んで武士の名を知ったくらいです。

世界史についても、学校では勉強したことがありませんでした。安倍内閣の安保法改正の動きの中で、世界の歴史を研究することで、戦争はどうして起きるのかが判るようになりました。

野坂昭如さんは、亡くなる3日前にラヂオ番組に手紙を寄せていました。

野坂さんは、日本が真珠湾を攻撃した今年の記念日12月8日を前に、手紙に「軍が日本の行き詰まりを打開せんとして、ハワイ攻撃をして戦争を始めた。近頃の日本は、かなり物騒がせな世の中になってきた。平和国家は1日で生まれるが、同じく1日で、平和とやらを守ると言う名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。」と死ぬ直前まで日本を心配していました。

そして、野坂さんは「ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。」と300万人も亡くなった太平洋戦争のように今の日本がまたなるのでないか、酷く心配をしていました。

「戦争をしてはならない。」野坂さんの死に際の国民に対する痛切な叫びは、葬儀に集まった参列者600人の顔ぶれからも、毎月一回の定例化した「戦争をさせない市民委員会」や若者らでで作る「シリーズ」のデモに集まる人たちも同じ思いです。違憲な安保法だけは廃止にすべきです。

私は今年、傘寿を迎えます。ブログを始めた4月が来ると3年になります。10日に1回程度の投稿を続けて来ました。そろそろ100回目の投稿になります。

ブログの左側のカテゴリーを見ていただくと分かりますが、第1には憲法を中心にした法律を清く、正しく、美しい運用を求めています。

第2には、健康で楽しい生活です。経歴で触れましたが、2年間の闘病生活をしています。手術をしましたので半年くらいは痛みがありましたが、激しい痛みは手術の翌日だけで、後はよく食べて体力を付けるだけでした。人生の中ではいい休養期間でした。

生涯健康であるためには海馬がある前脳を鍛え、運動、薬事、食事、経験を重ねます。そして医療、保険から健康をどう取り入れて行くか見て行きたいと思います。

第3は、自然環境についてです。地球にも寿命があります。地震と火山は、地球が生きている姿であります。気候の変化により生ずる強風、竜巻、大雨、洪水、砂漠化、解氷、津波、海面の上昇をどう防ぐのか。身近のところで考えて行きたいとおもいます。

蘇生

 

 

 


成長、早さ、富み、多忙、消費を見直そう

2014年05月07日 | 貧乏の中の幸

 

写真は愛知県半田市の亀崎潮干祭 

ゴールデンウイークの最終日は快晴だったので、

黒松のミドリ摘みをしました。

ポッケトラジオのイヤフォンを聞きながらの作業でした。

落合恵子さんと音楽家大友良英さんのトークは、

大友さんのチェロに乗って、穏やかな話口、人情味ある話に

作業も進みました。

他国の紛争に積極的支援を準備するとか、経済の成長、

技術の向上、早さを競う、不要な生産、無駄な時間、 

 どれを取っても、敗戦を経験した日本人が、貧乏の中で培った

忍耐力、団結力からすれば、今以上の豊かさは必要ではなく、

求めれば人間性を喪失し、肉親や、近隣の情愛は薄れるばかりです。

高橋さんも、大友さんももう少しゆっくりした時間を

過ごしていきたいと結んでいました。

急がないで、しっかりと自分の生活を見直す時間を持ちたいと思います。

蘇生


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。